リリスが両親と一緒に帰ることになり、私はクマのぬいぐるみを手にしたアデルと一緒に馬車の前まで見送りに来ていた。

アドニス様は、リリスが怖がるといけないからと見送りには出てきていない。

「本当にリリスがお世話になった。どうか、侯爵によろしく伝えておいて欲しい」

「私からもお願いするわ」

クレイマー伯爵夫妻が御礼の言葉を述べてきた。

「はい、必ず伝えます」

「フローネ……」

リリスが涙目で私を見つめる。

「リリス……」

するとリリスが抱きついてきた。

「フローネ……ま……また会えるよね? 私に会いに……来てくれる?」

「勿論よ、必ず会いに行くわ。お手紙も毎月出すわ」

リリスを抱きしめ、髪を撫でてあげる。

「本当……? 約束よ……?」

涙目で私をじっと見つめるリリスには……もう大人の女性の表情は無かった。
本当に子供のような澄んだ目をしている。

リリスの心は壊れてしまったけれども、もしかすると本人にとっては今が一番幸せなのかもしれない。
壮絶な事件が起こる10歳以前の精神年齢に後退してしまったから……。

「リリス、これあげる。クマさんのぬいぐるみ、好きだったでしょ?」

アデルが手にしていたクマのぬいぐるみをリリスに差し出した。

「え? これ、くれるの?」

リリスが驚いたように目を見開く。

「うん、あげる」

ニコッと笑うアデル。

「ありがとう……大切にするね」

リリスはクマのぬいぐるみを抱きかかえると嬉しそうに笑った。
まさか、リリスがくまのぬいぐるみを好きだったなんて子供の頃は気付かなかった。
何しろ子供の頃のリリスは、ぬいぐるみなど一つも持っていなかったからだ。

クレイマー伯爵夫妻はクマのぬいぐるみを抱えているリリスを涙ぐんだ目で見つめている。
もしかするとリリスはぬいぐるみが欲しくても、買い与えてもらえなかったのかもしれない。

「それじゃ、そろそろ行こう。リリス」

「行きましょう?」

伯爵夫妻が穏やかな声でリリスに声をかける。

「……はい……」

リリスはクマのぬいぐるみを抱きかかえたまま、コクリと頷くと馬車に乗り込むとすぐに馬車は走り始めた。

すると、リリスが窓から顔を出すと泣きながら大きく手を振ってきた。

「フローネーッ! 絶対に会いに来てねー!」

「必ず会いに行くわーっ!」

遠ざかる馬車に手を振り続け……やがて完全に見えなくなるとアデルが声をかけてきた。

「お姉ちゃん。リリス、帰っちゃったね」

「ええ、そうね。アデル、ありがとう。リリスにクマのぬいぐるみをプレゼントしてくれて」

「うん。だって、リリスのお友達だもの」

ニコリと笑うアデル。

「2人はお友達だものね。それじゃ、お部屋に戻りましょう?」

「うん!」

私はアデルの小さな手を握りしめた――



****


――その日は4日ぶりにアドニス様と一緒に夕食の席についていた。

「……そうか、リリスは無事に『マリ』へ帰って行ったんだね」

アドニス様が笑顔で頷く。

「はい、帰って行きました。アドニス様には色々ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」

「何を言っているんだい? 迷惑なんてかけられたとは少しも思っていないよ。何しろ、リリスはフローネの大切な友達だったんだろう?」

「私ともお友達だよ?」

そこへアデルも話に入ってきた。

「ええ、そうよね。アデルはリリスに自分のクマのぬいぐるみをあげたのだから」

頭をなでてあげると、アデルは嬉しそうに笑う。

「そうだったのか? 偉かったな、アデル」

「うん」

そんなアデルを見つめていたアドニス様が私に視線を移した。

「フローネ。クリフのことだが、もう彼を訴える準備を始めている。バーデン伯爵家も使用人を虐待していた容疑で通報済みだ。きっと彼らは重い罰を受けることになるだろう」

「本当ですか? クリフはリリスを壊してしまいました。とてもではありませんが、許せません。彼には重い罰を受けてもらって、心から反省してもらいたいです」

「俺もそう思うよ」

アドニス様は、私の言葉に静かに頷いてくれた……。



そして数日後――

クリフはリリスへの暴行罪で警察に逮捕され、バーデン家は使用人への虐待罪で領地没収されることが決定したことをアドニス様から教えてもらった。

これほど早く事が進んだのは、やはり侯爵家であるアドニス様の力が大きく働いていたからだろう。

こうしてバーデン家は没落することが、ほぼ確定したのだった――