アデルの部屋が完成して、数日が経過した頃のことだった。

この日はサラの休暇日だったので、私が厨房にアデルのおやつを取りに向かった。

「はい、こちらが本日のアデル様のおやつのチェリーパイだよ」

厨房を訪れた私に、副料理長が自らトレーに乗ったチェリーパイを持ってきてくれた。

「ありがとうございます。とても美味しそうですね」

「アドニス様から聞いたんだよ。アデル様はチェリーが好きだって。それで作ってみたのさ」

「きっと喜ぶと思います。では早速頂いていきますね」

チェリーパイを受け取ると、私はすぐにアデルの元へ向かった。


「ちょっと、そこのシッター」

廊下を歩いていると不意に背後から声をかけられた。

その声は……。

振り向くと、ピンク色のドレスを着たビアンカ様が険しい顔で立っていた。背後には4人のメイドがついている。

「こんにちは、ビアンカ様」

いやな予感を抱きつつ、挨拶をした。

「ええ、そうね……同じ屋敷に住んでいると言うのに、会うのは1週間ぶりくらいかしら? それにしても相変わらず地味なドレスばかり着ているのね? まるで年寄りみたいだわ」

フンと鼻で笑うビアンカ様。
そしてメイド達もクスクス笑っている。

「そうでしょうか? でも私はこのドレスが気に入っております。何しろ、アドニス様のおばあ様から譲り受けたドレスですから」

「……何ですって?」

「それで、私に何か御用でしょうか?」

アデルと出来るだけ離れたくはなかった。用件があるなら早目にして欲しい。
けれど、ビアンカ様は私の問いに答える代わりに質問してきた。

「そのケーキはどうしたのかしら?」

「これはアデルのおやつです。私が戻って来るのを待っていると思うので、用件が無ければ、これで失礼致します」

再び、背を向けて歩き出した時。

「待ちなさい! 誰が行っていいと言ったの!」

鋭い声で呼び止められる。

「ビアンカ様……」

再び振り向くと、ビアンカ様は腕組みをしていた。

「それにしてもシッター自らアデルのおやつを取りに行くなんて、よほどメイドの手が足りないのね? 良かったら、私の専属メイドを貸しましょうか?」

「……いいえ、結構です」

4人のメイド達はみんな意地悪そうな笑みを浮かべている。そんな人たちをアデルのメイドにはさせたくない。

「何よ! 人が折角親切で言ってあげているのに。だいたい、あの生意気なメイドはどうしたのよ!」

「今日は休暇日なので休んでいます。なので、私がアデルのおやつを取りに行ったのです」

「ふ~ん……メイドがたった1人しかいないから、そういうことになるんじゃない。でも、これで分かったわ」

ビアンカ様は増々意地悪な笑みを浮かべる。

「何が分かったのでしょう?」

「アドニス様がアデルのことをそれだけの存在としてしか見ていないってことよ」

「どういう意味なのでしょうか?」

一体何を言いたいのだろう?

「本当に妹が大切なら、専属メイドを1人しかつけないなんてありえないでしょう? 仮にもここは侯爵家なのよ? 私みたいに複数のメイドをつけるのは当然じゃない。お前たちもそう思うでしょう?」

「はい、その通りです」
「私たちはビアンカ様の専属メイドですから」
「メイドが1人というのはあり得ませんね」
「私もそう思います」

次々とメイド達は返事をする。
私のことはどう言われても構わない。けれど、アドニス様やアデルのことを悪く言われるのだけは我慢出来なかった。

「そんなことはありません。アドニス様は本当にアデル様を大切にしていらっしゃいます。憶測で物を言わないで頂けますか?」

「何ですって……本当に生意気なシッターね!」

ビアンカ様はツカツカと近付いて来ると、トレーの上に乗ったチェリータルトを叩き落とした。

「! 何するんですか!?」

チェリーパイは床の上に落ちて崩れてしまった。

「あらあら。このシッターは満足にケーキを運ぶことすら出来ないのかしら?」

クスリと笑うビアンカ様。

「それはビアンカ様がケーキを落としたからではありませんか」

「何を言っているのよ? お前たち、今の見たでしょう? ケーキはどうやって落ちたのかしら?」

ビアンカ様はメイド達に尋ねる。

「はい、あのシッターが勝手に落としました」

1人のメイドが代表して答える。

「いい加減なこと、言わないで下さい!」

何て人たちなのだろう……。目撃者がいないからと、勝手な話をでっちあげるつもりなのだ。

「ほら、アデルが待っているのでしょう? その床の上に落ちたケーキでも持って行ってあげれ……ば……」

不意に、ビアンカ様の様子が変わった。ガタガタ震えだし、顔は真っ青になっていく。
勿論、その場にいたメイド達も同様だった。

一体、何が……?

その時背後で声が聞こえた。

「どういうつもりなんだ? ビアンカ」

「え?」

振り向くと、私の背後にはアデルを連れたアドニス様が立っていた――