その日の18時半のことだった。

――コンコン

客室にノック音が響いたので、扉を開けると料理の乗ったワゴンを手にしたアドニス様が立っていた。

「まぁ! アドニス様!」

「たった今、料理を運んでいるサラに会ったんだよ。だから代わりに運ぶことにしたんだ。どうせ、3人で食べるしね。入ってもいいかな?」

「ええ、勿論です。どうぞお入り下さい」

「ありがとう」

ワゴンを押してアドニス様が部屋に入ってくると、アデルに声をかけた。

「アデル、何をしていたんだい?」

「お絵描きしてたの」

「そうなのか? 後で兄さんにも見せてくれるかな?」

「う、うん……描き終わったら……ね」

アデルが恥ずかしそうにうつむく。

「楽しみにしてるよ。さ、それじゃ食事にしよう」

「あ、私が用意しますのでアドニス様はどうぞ、おかけ下さい」

「ありがとう、それなら頼もうかな」

「はい、おまかせください」

テーブルの上に料理を並べ終えると3人だけの食事が始まった。


「アデル、部屋の模様替えだけど……完成するまでに数日かかるんだ。それまでこの部屋で我慢して貰えるかな?」

「うん。いいよ」

アデルが頷くと、アドニス様は私に話しかけてきた。

「実は、アデルの部屋の隣の空き部屋をフローネの部屋にしようと思っているんだ。互いの部屋を室内の扉で行き来できるようにね。……構わないかな?」

「ええ、勿論です。私の部屋まで用意してくださり、本当にありがとうございます」

「私とお姉ちゃんのお部屋、繋がるの?」

アデルが話に加わってきた。

「ええ、そうよ」

「前のお家みたいだね? 嬉しいな」

「私も嬉しいわ。それで、アドニス様。お部屋の内装が終わるまでは私もこの部屋で一緒に過ごしても構わないでしょうか?」

アドニス様に尋ねてみた。

「勿論だよ、アデルの為にもそうしてもらえないかな? もう少ししたら……きっと落ち着いた環境になるはずだからね」

「落ち着いた環境……?」

一体どういうことなのだろう。

「また後でその話はするよ。アデル、料理は美味しいかい?」

「うん。美味しいよ」

「そうか、良かった」

アドニス様は笑顔でアデルを見つめた――



****


 その後、数日間は何事もなく穏やかな日々が続いた。そして4日目のこと。

部屋に朝食を下げに来たサラから嬉しい知らせが入った。

「アデル様、本日のお昼には水色のお部屋が完成するそうですよ」

「本当?」

アデルの目が大きく見開かれる。

「良かったわね。アデル」

「うん」

声をかけると、アデルが可愛らしい笑顔を浮かべる。

「お食事が終わりましたら、お荷物の整理に伺いますね?」

「サラは他にもお仕事があるでしょうから荷物整理なら私1人で出来るから大丈夫よ」

新人のサラにはアデルの専用メイドの他にも雑用の仕事があることを私は知っていた。

「え? でも、よろしいのですか?」

サラが申し訳無さそうに尋ねてくる。

「ええ、大丈夫。だから自分の仕事をして頂戴?」

アーバン家でメイドとして働いてきた苦労が分かっているからこそ、すこしでもサラの仕事の負担を減らしてあげたい。

「私も、お姉ちゃんのお手伝いする〜」

アデルが可愛らしい声で手を上げた。

「本当? それじゃ、アデルにもお手伝いしてもらおうかしら?」

「アデル様、フローネさん。ありがとうございます!」

その後。
サラは仕事に戻り、私とアデルは部屋の整理を始めた――


****

――11時半


「わぁ〜これが私の新しいお部屋なの?」

新しく完成した部屋に入ると、アデルは目を丸くした。
淡い水色の壁紙に、天井は空の模様をしている。部屋のインテリアは何もかも水色で、まるで美しい海の中にいるようだった。

「どうだい? 気に入ってくれたかな?」

アドニス様がアデルに尋ねると、アデルは笑顔で頷く。

「うん、とっても。こんなに素敵なお部屋、初めて」

「良かった。アデルに喜んでもらえるのが一番嬉しいよ」

私はそんな二人の様子を少しだけ、離れた場所で見守っていた。
アドニス様は、本当にアデルを大切にしていることが良く分かる。

すると、突然アドニス様が私の方に視線を向けると話しかけてきた。

「フローネの部屋も用意したんだ。この部屋から隣に行けるから、行ってみよう」

「はい」

「お姉ちゃん、私も行ってもいい?」

「ええ。アデル、もちろんよ。皆で行きましょう?」

皆で隣の部屋へ行ってみると、用意された部屋はアデルとほぼ同じ大きさの広々とした部屋だった。
インテリアは淡いベージュでまとめられており、とても落ち着いた色だった。
置かれた家具は、どれも上質なものばかりで思わず言葉をなくしてしまう。

「……どうだい? フローネ。気に入ってくれたかな?」

アドニス様が背後から声をかけてきた。

「あ、あの……本当にこちらのお部屋を私が使ってもよろしいのでしょうか……?」

「もちろんだよ。何しろ、フローネは家族も同然だからね」

「家族……私が……ですか?」

「うん。お姉ちゃんは私とお兄ちゃんの家族だよ」

アデルが私に抱きついてきた。

「ありがとうございます、アドニス様……アデル」

嬉しさに胸をつまらせながら礼を述べた。

このときの私はとても幸せを感じていた。
だから、気付かなかったのかもしれない。


ビアンカ様に、この様子をじっと見られていたことを――