その後も汽車は走り続け、日が暮れる頃にようやく目的地である終着駅、『ソルト』へ到着した。

「うわぁ……海! 海が見える!」

汽車をおりてホームに降り立つと、遠くの方に海が見えた。
その海に、太陽が沈んでいく姿はとても美しい。

「綺麗……」

「うん、綺麗だね」

私もアデルも生まれて始めてみる景色に思わず見惚れていた。そんな私達をアドニス様は黙って見守ってくれている。

やがて太陽がすっかり海に沈んでしまうと、アドニス様が声をかけてきた。

「二人共、もういいかな」

「あ、申し訳ございません。もう大丈夫です、アデルもいいわよね?」

「うん」

アデルは私の右手を握りしめてきた。

「これからは毎日、見ようと思えば今の光景を見ることが出来るよ。さて、それじゃ駅を出よう。多分迎えの馬車が来ている頃だと思うから」

「はい、アドニス様」
「うん」

私に続きアデルが小さく返事をし、ホームを後にした――


「迎えの馬車はどこかな……」

アドニス様が辺りを見渡した時。

「アドニス様、お待ちしておりました!」

背後から声が聞こえて皆で振り向くと、父と同年代位の男性が立っていた。その背後には黒塗りの豪華な馬車が停められている。

「ただいま、ルイス」

「この方が、お嬢様がアデルさまですね? それで、あなたは……?」

ルイスと呼ばれた男性が私を怪訝そうに見る。

「はい。私はアデルお嬢様のシッターをさせていただいております、フローネ・シュゼットと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「そうですか、フローネさんですね。私はラインハルト家の御者をしておりますルイスといいます。よろしくお願いします。それでは、皆様どうぞ馬車にお乗り下さい」

ルイスさんが扉を開けてくれた。

「それじゃ、乗ろうか。おいで、アデル」

アドニス様がアデルに手を差し伸べる。

「うん」

アデルはためらうことなく、抱き上げられると馬車に乗せられた。2人の間には出会ったばかりのようなぎこちなさは無くなっていた。

私もアデルに続いて乗り込むと、すぐに馬車は走り始めた。

「ねぇ、お姉ちゃん」

隣に座るアデルが話しかけてきた。

「何? アデル」

「どうしてさっき、私のことアデル様って呼んだの?」

「うん、そうだね。俺も理由を知りたいな」

アドニス様まで尋ねてきた。

「えっ……あの、それはルイスさんがアデル様と呼んだからです。私もこれからはラインハルト家の使用人になりますから」

「使用人? お姉ちゃんは私のシッターでしょ? 今まで通りアデルって呼んでよ」

「そうだよ、フローネ。君は使用人じゃない。アデルのシッターなんだから、かしこまった言い方はしないで欲しい。何より、アデルがそれを望んでいるのだから」

「そうですか。なら……いいかしら? アデル」

「うん」

笑顔で頷くアデルの頭をそっと撫でた。

「そう言えば、まだ2人にはラインハルト家のことを説明していなかったな」

「ええ、そうですね」
「うん」

「ラインハルト家は『ソルト』の南部地方を治めている侯爵家なんだよ。俺は15第目に当たる領主になるんだ」

「え!?」

その言葉に驚き、思わず声をあげてしまった。

「どうかしたのかい?」

アドニス様が不思議そうに首を傾げる。

「い、いえ……まさかラインハルト家が侯爵家だとは思いもしなかったので……」

つまり、2人はクリフやリリスよりも身分が高い。ずっと近づき難い人たちだったのだ。そんなに身分の高い人のもとで、貧乏人の私が働くなんて……。

アデルは勿論、アドニス様は私の身分を知りながら温かく受け入れてくれている。
けれど、他の人たちはどうだろう?

もし、バーデン家の人たちのように冷たい目を向けられたら?
私は今度こそ、何処にも行き場を失ってしまうだろう。

そう、考えると怖くてたまらなかった。私は……こんなにも不安定な立場にいるのだ。

「どうかしたのかい?」

「お姉ちゃん?」

アドニス様とアデルが不思議そうに尋ねてくる。

「い、いえ。何でもありません。これから新しい場所に行くということで、少し緊張しているだけですから」

「大丈夫、みんな良い人たちだから緊張することは無いよ。ただ……叔父は少し口うるさいところがあるけどね。叔父にはきちんと説明するから大丈夫だよ」

「ありがとうございます」

笑顔で返事をしつつも、私の胸中は不安だった――