馬車が駅前の賑を見せる大通りで停車し、扉が開かれて男性御者が姿を見せた。

「お客様、馬車を手配した方に言われていた駅前に到着しましたが……どこか行きたい場所はありますか?」

「行きたい場所ですか……? いいえ、ここで大丈夫です。降りますね」

行きたい場所なんて無い。それどころか、これから自分が何処へ行けばいいのかもわからなかった。
今の私は仕事も、住む場所も……好きだった人の優しさも全て無くしてしまったのだから。

「そうですか。お代はもう事前に頂いているので大丈夫ですよ。……あの、お客様。大丈夫ですか?」

「え? 何がですか?」

馬車を降りると御者が尋ねてきた。

「いえ。何だか顔色が酷く悪そうに見えましたので……少し心配になったものですから」

「大丈夫です。ご心配頂き、ありがとうございます」

何とか返事をすると、荷物を持った。

「では、お気をつけて」

御者は馬車に乗り込むと、馬を走らせて去って行った。その様子を見届けると、私は重い足を引きずるようにトボトボと町中を歩き始めた。

これから私は何処へ行けばいいのだろう?
頼れる親戚も、親しい知人もいない。町の中はこんなに人で溢れて、皆幸せそうに歩いているのに私は本当に孤独だった。

バーデン家で受けた仕打ちが今も頭にこびりついて離れない。
クリフも、伯爵夫妻も……あの屋敷で働いていた人たちが皆私に憎悪の目を向けてきた。
私は何か彼らに恨まれるようなことをしてしまっただろうか……?

「あ……ここは……」

気付けば、私はリリスとクリフと一緒に訪れていたカフェの近くまでやってきていた。

「馬鹿ね……私。無意識にこの場所へ足を向けていたなんて」

こんなところに来ても何もならない。

「……そうだわ。まずは住むところを探さないと」

そこで私は不動産屋へ足を向けた――


****

「え……? 身元保証人……ですか?」

「ええ、そうです。何処の部屋を借りるにも必ず身元保証人がいなければ、お貸しすることは出来ません」

眼の前に座るメガネを掛けた男性店員の話に茫然となってしまった。
あのあと、すぐにこの店を訪れた私は何件かのアパートメントを紹介された。
そこで今の私に丁度良い物件が見つかったので契約を結ぼうとした矢先の言葉だった。

「あの……身元保証人がいないのですが……」

「え? そうなのですか? お一人も?」

男性店員が驚いたように目を見開く。
どうしよう……今の私には頼れる人がひとりもいない。ひとりぼっちなのだ。

「そうですか……それは困りましたね。どなたかにアパートメントを貸す場合は、必ず身元保証人が必要なのですよ。万一の為にね。恐らく何処の不動産屋へ行っても同じ答えしか得られないと思いますよ」

そして眼鏡の奥からじっと私を見つめてくる。何故かその視線には私を怪しんでいるように見えてしまう。

「分かりました。では、保証人の方が見つかりましたら又伺います」

「ええ、又の御来店をおまちしておりますね」

男性店員の言葉に見送られ、私は店を後にした。

「ふぅ……これからどうすればいいのかしら……」

クロードさんが渡してきたお金は驚いたことに給料の1年半分程にまでなる金額だった。
今すぐ生活が困窮するレベルではないものの、住む場所と仕事を探さなければならない。

「とりあえずは、安いホテルを探して今夜はそこに泊まることにしましょう」

私はボストンバッグを手に、再び町中を歩き始め……ふと、気がついた。

「町に出てくるのは1年ぶりくらいだけど、いつもこんなに賑わっていたかしら?」

駅前の大きな広場には屋台が沢山並び、大勢の人々が行き交っている。
何気なく広場に近付き、気付いた。

「まぁ……今日はお祭りだったのね」

広場の入口には『第85回市制記念日』と書かれた看板が立っていた。

「そう言えば、5月10日は『マリ』市の市制記念日だったわね……」

数年前……まだ元気だった頃の父とニコルと一緒に町のお祭りに毎年遊びに来ていたことが随分昔のことのように感じられる。

あの頃は貧しかったけど、本当に幸せだった。
けれど、今の私は……。

再び目尻に涙が浮かびそうになり、ぐっと堪えた。そこで気分転換をしようと思い、私は広場の中を見て回ることにした。

少しでも楽しい気分を味わえたら良いと思ったお祭り。

ここで、私はある出会いを果たすことになる――