リリスが馬車で走り去っていく様子を皆で見守っている。

けれど一家団らんの場に混ざる使用人の私にとっては、居心地が悪くてたまらなかった。
もう、リリスはいなくなったことだし……仕事に戻ることにしよう。

「それでは、私……仕事に戻らせて頂きます」

会釈し、屋敷の中へ入ろうとしたとき。

「フローネ。どこへ行くつもりだ?」

背後から冷たい声でクリフが声をかけてきた。その声音に思わず背筋に冷たいものが走る。

「あ、あの……自分の仕事の持ち場に……」

恐る恐る返事をすると、おじ様が進み出てきた。

「クリフから聞いた。お前、本当はフローネ・シュゼットなのだろう?」

「は、はい……そう……です……」

あまりにも冷たい声に震えてしまう。

「驚いたわ……まさかメイドになってこの屋敷に潜り込んでいたなんてね」

「!」

潜り込む……? この私が……? おば様の言葉に心がえぐられそうになる。

「申し訳ございません、父上、母上。フローネをこの屋敷のメイドにしたのは僕の責任なのです。リリスにフローネをメイドとして雇ってあげて欲しいと言われたものですから。リリスは心優しい女性です。父親を亡くして行き場を失った彼女を見過ごすことが出来なかったのでしょう」

クリフは私に冷たい視線を向ける。

「ク……リフ……様……?」

その言葉に全身から血の気が引いていく。
信じられなかった。あの優しかったクリフが……こんなに冷たいなんて……。
本当に同じ彼なのだろうか……? とても現実のことに感じられなかった。

ショックで呆然とする私の前で、クリフたちの会話は続く。

「そうだったのか……だから、昨日もリリスは嘘をついたのか」

「本当にリリスは優しい娘ね」

「ええ、そうです。リリスはそこまでして、フローネを守ろうとしたのです。だから僕は、彼女のために……君に声をかけてメイドにしてやったというのに……」

クリフの目には今まで一度も見たことのない、憎悪が宿っている。

何、この状況……? これは現実なのだろうか……?

「夫婦の寝室に上がり込むなんて……どこまで図々しい娘なんだ」

「これだから貧乏人は嫌なのよ」

吐き捨てるような言葉を投げつけてくる、おじ様とおば様。

「僕が親切にこの屋敷のメイドとして雇ってやったというのに……恩を仇で返すような真似をするなんて……リリスがいない今のうちに出ていけ」

「え……?」

クリフの言葉に耳を疑う。

「そうだ。お前をここから追い出すために、わざわざリリスに家を空けてもらったのだ。万一戻ってくることもあるかもしれないからな。今すぐ出ていくのだ!」

おじ様が私を指さした。

「で、ですが……出ていくにしても、こんな着の身着のままでは……! お、お願いです! せめて持ち物だけでも取りに戻らせて下さい!」

私は床に座り込み、両手を組んで必死に許しを請う。
それに部屋には……ニコルからの大切な手紙があるのに!

「チッ! 何処まで図々しい娘なのだ……」

「あなた、でもあの娘はリリスが気にかけているのよ。このまま追い出すのはまずいのじゃないかしら?」

「ええ、リリスを悲しませたくは無いですからね……。仕方ない、フローネ。30分だけ時間をやる。それまでに出ていくんだ。だが何処かに隠れたり出来ないように監視を付ける必要があるな……」

酷い……ここまで言われて、いられるはずがないのに……!

「だとしたら、そのお役目は私に務めさせて下さい」

クリフの言葉に、突然背後で声が聞こえた。その人物は、クロードさんだった。

「クロードか……そうだな。お前に頼むことにしよう。すぐにその目障りな小娘を連れて行け」

おじ様……、いや。伯爵は冷たい目で私を一瞥するとクリフと夫人に「行くぞ」と声をかける。
そして屋敷へ入ろうとしたクリフが足を止めて私を振り返った。

「フローネ」

「は、はい……」

震える声で返事をする。

「もう二度と僕とリリスの前に姿を見せるな」

その言葉に肩がビクリと跳ねる。目頭が熱くなり、少しでも油断すれば涙が出そうになってしまう。

まさか好きな人に……こんなに冷たい言葉を投げつけられるなんて……。
クリフはもう二度と私を見ることはなく、廊下を歩き去って行った。

「フローネさん。話は聞きましたよね? 今すぐ準備をしたほうが良いです」

呆然と佇む私にクロードさんが話しかけてきた。その声はどこまでも優しかった。

「ク、クロードさん……私……」

少しでも口を開けば涙が零れ落ちてしまいそうだ。

「辛い気持ちは分かります。ですが、皆さんは本気でフローネさんを追い出そうとしています。大切な物が残されているのでしょう? グズグズしていれば何も準備できないまま追い出されてしまいますよ? それどころかムチで打たれてしまうかもしれません」

「は、はい……」

「だったら、早く準備をしましょう。お手伝いしますので」

私は黙って頷き……クロードさんと一緒に自室へ向かった――



****


 クロードさんの手を借りて、追い出される時間ギリギリまでにこの屋敷を出る準備が出来た。

 エントランスに立つ私に、クロードさんがハンドバッグを手渡してきた。

「フローネさん、これをお持ちになりなさい」

「これは……?」

「今まで、あなたが働いて貯めたお金が入っています。私がお預かりしておりました。それに私からの手当も入っております。退職金代わりに受け取って下さい」

「そんな……クロードさんから頂くわけには参りません」

驚いて断るも、クロードさんは首を振る。

「いいえ。私は……フローネさんをお守りすることが出来ませんでした。そのお詫びです」

「な、何故……私にここまでしてくれるのですか……?」

すると、クロードさんは悲しげに笑った。

「私には、かつて娘がおりましたが病気で亡くなっております。あなたは娘と同じ名前でした。だからどうしても傍観してはいられなかったのです」

「!」

「この屋敷の裏手に私が手配した辻馬車がもう来ているはずです。駅まで乗せるように伝えてあります。後は……申し訳ございませんが……ご自身で何とかしていただけますか……?」

申し訳無さそうに謝るクロードさん。

「いいえ……何から何まで……本当に……あ、ありがとう……ございまし……た……」

クロードさんの優しさが嬉しくて、目尻に涙が浮かぶ。

「いいえ。本当にここまでしかお力になれず、申し訳ございません。どうか、お元気で……さぁ、早く行って下さい!」

「は、はい!」

荷物を持つと、私は急いで言われた場所に向かった。
すると、そこにはクロードさんの話していた通り辻馬車が停まっていた。

男性御者は私を見ると尋ねてきた。

「フローネさんですか?」

「はい」

「では、乗って下さい」

頷き、馬車に乗り込んで扉を閉めると、すぐに馬は走り出した。

「クリフ……」

彼の私を見る冷たい眼差しが忘れられない。あんなに憎まれていたなんて思ってもいなかった。

「馬鹿ね……私……一時でも、クリフが私のことを好いてくれていると思いこむなんて……」

好きな人に嫌われることがこんなに辛いとは思わなかった。ついに堪えていた涙が溢れ出してしまう。

本当に私は愚かだった。
リリスの言葉やクリフの優しさを……完全に勘違いしていた。
死にたいくらい辛いけど可愛いニコルのことを思うと死ぬ訳にはいかない。

私が死んだら……絶対に悲しむに決まっている。


窓から、遠ざかっていくバーデン家の屋敷をそっと見つめた。

クリフ……リリス……さようなら。

お二人共、どうぞお幸せに。
もう……二度と勘違いはしませんから……。

私は馬車の中で、いつまでいつまでも泣き続けた――