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「会わなくていいのか」

「……ああ」


ユリアーナがトボトボと(ほこら)を後にして。
未練がましくその背中を見つめているところを、敢えていつもどおりの声でステフが言った。


「お前は、一体どこに逃げるつもりだ。ここで顔を合わせずとも、宿に戻れば彼女がいる。ちょくちょく職場まで押しかけていたくせに、急にそれもしなくなって。新居の話もピタリとしなくなったユリアーナを見て、気にも病まないのか。いや、心苦しくて仕方ないから、逃げているのだったな」

「……そこまで言うなら、もっと責めるなり(なじ)るなりしろよ」

「生憎、傷ついた友の顔を見て詰るほど、悪い性格はしていない」


――友。

そう呼んでくれたのは、ウィルにとって二人目だ。


「……本当に、あの人を見て何も感じないのか。あの時ユリに迫ったのは、ただの挨拶か? 」

「可愛らしい女性だとは思った。ジェラルドの娘だと知っていたら、あんな真似はしなかったが。だが、それを聞いてどうする? 」


既に答えの出ている問いに不満だったのに、文句どころか鼻を鳴らすことすらできなかった。
それだけ、この状況が――いや、知らされた現実が、もたらされた真実が胸を強く押し潰していた。


竜酔(りゅうすい)の姫か。確かに聞いたことはある。ユリアーナがそれだったとして、お前は一体どうしたい? 」

「俺だって、噂くらいは知ってたさ。それどころか、その存在を探すのに躍起になってた時代もある。丁度、姫さんが竜を探してたみたいに」

「……なぜ? 」



竜を骨抜きにするという一族。
大昔、それこそ竜と人間の関係が今より近く、より恐れられ、崇められていた時代には、(にえ)として献上されたこともあったとかなかったとか。
だが、ウィルとて、もちろん喰らいたかったわけではない。


「決まってる。もし、俺がその女に惚れたら……俺は、竜だったってことだろ」


幸福の竜かどうかなんて、大して興味はなかった。


「他人を利用して自分探しか。愚かだな」

「まあな。でも、元々何者かが確立している奴らには分からない悩みが、俺にはあった。竜にも、人間にも……獣にすらないであろう悩みってもんが。あの人に逢ってようやく、それも馬鹿馬鹿しいと思えてたんだ」


ああ、これほど心惹かれる人に出逢えたのだから、俺は人間だ。
たとえ、彼が善意で用意してくれた出逢いだったのだとしても、心が呼応したのまでは予想はおろか仕組むことなどできはしない。

――そう、思っていたのに。


「見ず知らずの、しかも敵だとしか思えない人間に言われたことを信じるのか。自分の想いよりも? お前の言う、そんな不確かな存在を愛してくれる人の気持ちよりも」

「いや、違う。俺は……」


『可哀想だとは思わないのですか? 彼女の意思とは関係なく、強制的に芽生えた感情を恋だと信じて側にいるあの方を見て。彼女の母君はそのお血筋から逃げ、結果落ちぶれた末に亡くなりました。私は、せめてユリアーナ様だけでもお守りしたいのです』


サミュエルから聞かされた、恐らくは嘘や思惑に塗れた答え。
それは確かにウィルを動揺させ、悩ませ、苦しめたままだ。
それでも、あれから自問し続けて出した結論――いや。


「俺は、姫さんが好きだ。俺が何者でも関係ない。ユリを愛していると認められた覚悟に、この血の成分も(ゆかり)も関係ない。それに」


――それもまた、真実のひとつ。


「ユリは俺が何だろうと気にしない。最終的に俺の正体が何であろうと、ずっと想っててくれるんだろうな」

「……そこまで理解していて、なぜだ」


『ウィルが何でも構わない。……一緒の時を過ごせて』


「だからって、傷つけていいことにはならない。……この先ずっと、ふとした瞬間に不安にさせる。俺があの人の側にいるのは、自分の血のせいじゃないかと」


『――嬉しい』


はにかみながらも、はっきりと愛情を示してくれる彼女を見て、自分も同じ気持ちなのだと。きっと、それ以上に愛していると。
その気持ちは嘘でもまやかしでもないと自分自身が分かっていても、彼女は思い悩むだろう。


「血なんかで悩むのは、俺一人でいい。あの人は……姫さんは。今までどおり、お気楽のほほんと生きてりゃいいんだよ」

「馬鹿め。どこまで骨抜きにされている。血だけでどうにかなるほど、心は口先ほど単純ではない。お前が竜だろうが人間だろうがな」


そうとも。
これは血のせいでも、恩人の娘だからでもない。
彼女が、ユリアーナであるからこそ。

――幸せに、笑っていてほしい。
ただ、それだけのことだ。