考えても分からないうえに、分からないとできることも思いつかない。
だから、ひとまずやれることからと思っていると。


「やっぱり、こんなところにいた」


カランと扉が鳴って顔を上げたのは、既に仕事ではなかったかもしれない。
あんまり呆れたようには聞こえない優しい声をウィルが発する前に、私は彼を見つけていたから。


「あいつに金払わせとけばいいのに。もう、ここでバイトする必要ないでしょ」

「そういうわけにはいかないわよ。自分だって、家にいなかったくせに」


公の場でも、最早演技は不要なのだろうか。
いつもの調子のウィルに、いつものお酒を出す。
それだけのことで彼の目が丸くなって、原因に心当たりはないのに「しまった」と思った次には頬が熱くなっている。


「……すみませんね。夜に家を空けて」

「……っ、そ、そんなこと言ってない……」


(……そこで嬉しそうにするの反則……)


仕事中、他のお客さんの目が気になるなか、文句一つも出てこない。
日に日に激甘になっていくウィルに、文句なんかないから。

とはいえ。

(仕事仕事仕事仕事……!! )


仕事だし、寛ぎに来ているお客様に迷惑だし、子どもの遊び相手くらいでステフにお世話になるわけにはいかない。


「あんたと違って、俺は適応能力に乏しいんで。できることといったら、同じようなことになりますけど。確かに、先を見るなら金は必要ですからね」

「……って? 」


また、この前のギルドみたいなところだろうか。
ステフとも繋がりがあるなら、酷い組織ではないのかもしれないけれど。
ウィルに危険なことはしてほしくない。


「危ないことじゃない」


どうして思考がバレたのだろう。
そう思ったのは一瞬だけで、ウィルの視線を辿れば一目瞭然。
カウンター越しに彼の袖口を摘むなんて、あれだけ「仕事」を念じていたのにまるで効果がないなんて。


「……ちょ、ちょっと待って」

「は? 何を」


そうだ、何を――……。
何だか分からないけれども、ウィルの熱を孕んだ甘さについていけない。
家ならそれでもいい――かもしれないが、今は混み合った酒場にいて、私は店員だ。お仕事中なのだ。


「た、耐性も経験ないのよ。私、本当に、こんな時どうしていいのか……」


それなりに機会があったはずのお姫様時代に、場数を踏めなかったことが悔やまれる。


「……どうもしなくていい」


いや、形ばかり口説かれたことはあったかもしれない。
お姫様の手を取って、口づけくらいはされたような気もする。
そのどれも、私の心はピクリとも動かなかった。
当然だ。
彼らは私に触れたのではなくて、貴族のお姫様に触れたがった。
ううん、もしかしたら、一人でいたお姫様への同情ですらあったかもしれない。


「何ですか、その告白は。そんなの知ってますよ」

「そ、そうよね。でも、だから……」


でも、ウィルは違う。


「でも、だからって。今、あんたの口でそれを言われたら」


まだ、どこも触れていない。
愛を囁かれたのでもない。


「……喜んでしまうくらいには、俺はクズなんですよ」


どれかひとつだけでも心臓が壊れそうなくらいドキドキするのに、その視線と声色が組み合わされば、腰砕けて立っていられなくなりそう。


「〜〜っ、だから、勘弁してってば……! こっちは仕事中なの!! 」

「何もしてないじゃないですか。あんた一人で大騒ぎして、俺を楽しませてくれてるだけです」


くくっと笑って、少し俯いた顔が再び上がると。
そこには、本当に楽しそうなウィルの顔があった。


「それに、それを言うなら俺はお客さんでしょ」

「お客さんは一人じゃないの……! ほら……」


タイミング良く、またドアが鳴った。
見たことない顔だが、旅行客だろうか。
それにしては、随分身なりが整いすぎているようだけれど。
こんな村に珍しい。
それこそ、貴族のお坊ちゃんみたい――自分も余所者のお姫様崩れのくせして、そんな考えが浮かぶ。


(え……? )


――今、目が合った……?