『……ったた、何するんですか。じゃなかった』

『そりゃ、痛いわけないわよ。そんなにしっかり受け身取ってるんなら。おまけに、ふかふかのベッドで』


ベッドでまったく必要のない受け身を、こんなに綺麗に取りやがっ……取ったりして。


『ふかふかね。あんたんとこのベッドとは比べものにならないでしょうに。つーか、なんでそこであんたが文句言うんですか。文句の一つ、泣き言一つ言いたいのは俺の方ですよ』

『なんで、ウィルが泣くのよ……第一、泣きたいなら、そのニヤニヤした顔どうにかしたら』

『あら。ニヤニヤしてますか。でも、可愛いことされたら、仕方ないでしょ。それに、違いますよ』


そうかもしれないけれど、ぜっったいにニヤニヤ具合が違うと思う。


『何が違うのよ。鏡見てみなさい』


どこをどう見ても、小馬鹿にしているニヤニヤ――……。


『俺が言った“違う”は、そうじゃなくて』

『……っ』


しまった。
いつもの調子と声に戻っていたから、油断して近づきすぎた。


『……ベッドに俺を寝せたんなら、もっと迫ってくださいよ』


手鏡を見せようとした手を、クイッと引かれ。


『……わっ……ちょ、ちょっと……! よ、避けて!! 』

『なに、阿保なこと言ってんですか。避けたら意味ないでしょうが。ほーら』


(……な、なにこれ……)


私が、まるで。
ウィルを押し倒したみたい――……。


『はい。これが、正しい夫婦予備軍の状況ですよ。次に俺を押し倒したら、速攻あんたが下になってますからね。分かりましたか、俺の姫さん』

『わか……わ、分か……』

『はい。いいこですね。んじゃ、そろそろ行きますか。お仕事探し』


(んなの、分かってたまるかー!! )


叫び声も出てこない私の頭を撫でると、ウィルはさっさと出ていってしまったけれど。
放心状態の私が、どれだけぼーっと座り込んでいたのか――いや、数分も経ってないはず――ドアが細く開いて。


『……行かないんですか』


ちょっと心配そうに覗き込んだりするから。
なぜか――やっぱり、文句は出てこなかった。



・・・



(けど……!!)


「あはは。ユリさん、すごい怖い顔してる」


仕事中に急に記憶が戻ってきて、イライラしながらものすごい勢いでテーブルを拭いていると、お客様に笑われてしまった。


「し、失礼しました……! あの……えっと、注文されたりしました? 」

「あ、上手いなぁ。してなかったけど、もう一杯もらおうかな」

「え、あの、すみません。けして、そういう意味では」


なかったのだけど。
奥でマスターがウインクしてきたのを見ると、お手柄ということらしい。


「いいって。それより、彼氏と喧嘩でもしたの? ウィルさんだっけ」

「喧嘩というか……まあ、いつものことですよ」


カフェというよりは、酒場に近いのだろうか。
次の職場は、そんなところだ。
最初の村とは雰囲気が違ったから少し怖かったけど、すぐに慣れた。
一見柄が悪く見えた常連客たちも、こうして話してみるといい人ばかりだ。
とはいえ、前科があるから、注意はしておかないと。


「仲がいい証拠か。ウィルさん、君のことからかってる時、最高に幸せそうな顔してるもんな」

「…………そ、そうでしょうか…………」


(そうかもしれないけど、意味が果てしなく違う)


「それはもう。そういえば、ここには何の目的で来たの? 婚前旅行にしちゃ何もないでしょう、ここ。その前に、バイトしたりしないか」

「え? そ、それはその……」


(……何だっけ)


恋の逃避行……って、ペラペラ言うものでもないような。
この場合、どう言うのが正解かと必死に思考を巡らせていると。


「ユリ」


ピキッと固まった私の後ろから、甘ったるい声で呼ばれた。


「お疲れさま。僕にも、何かくれる? 」


真顔でチラリとその客に目を走らせた後、まるで恋人用だと言わんばかりに、ウィルはふわりと微笑んだ。