「本当に行っちゃうのね」


出立の日。
女将さんがもう何度目か言った。


「はい。すみません、ウィルを連れて行っちゃって」


涙が見えたのを誤魔化す為に、そんな本当の冗談を言う。


「お世話になりました」


私の下手くそな明るい声は、あまり効果がなかったけれど。
ウィルの甘い笑顔は、女将さんの頬を染めるには効果絶大。


「またいつでも戻っておいでよ。ユリのことだから、またホイホイ騙させれて借金こさえてそうだし」

「……これ以上嵩ませるわけにはいきませんけど。また、いつか」


不確かすぎる約束の語尾が消えて、彼女の目が再び潤んだ。


「……行こうか。これ以上は、ユリも辛いだろ」


スッと手がこちらに伸びてきて、驚く間もなく瞼に触れる。
そんなの一瞬だけだとアピールするみたいに意地悪く笑って、


(これ以上は勘弁。日が暮れますよ)


私の耳元で、そう本音を囁いた。


「そ、そうね」

「なんだ。やっぱり、そういう関係だったのね。ユリったら、なんで教えてくれなかったのよ」


(〜〜今更、どういう関係の設定!? )


「ご覧のとおり、身分違いですから。……名残惜しいですが、追手が来ないうちに失礼しないと」

「そういうことだったの……。もちろん、二人が来たことは誰にも言わないわ。みんなにも口止めしとく」

「助かります」


(自分の分だけ家賃払って、優雅に一部屋取ってる恋人なんている!? )


その時点で設定崩壊しているのに、女将さんが思い出す素振りはない。
それどころか、「応援してる」とぎゅっと手を握られてしまった。


「はは……。行きましょうか」

「ああ」


お世話になったし、名残惜しいのは事実だけれど、これ以上ボロが出ないうちに――ウィルに遊ばれる前に、発つべきだ。
女将さんに背を向けてしばらくした後、ウィルが吹き出した。


「〜〜無意味な設定追加して、遊ばないで! 」

「あの調子じゃ、いつ出発できるか分からないでしょ。また夜道で襲われたいんですか。それとも昼間、どこかの物好きの為に人攫いに遭いたいとでも? 」

「そ、そんなんじゃないけど……! ……それは、申し訳かったけど」


獣に襲われるのも、人攫いだってもう二度とごめんだ。
迷惑掛けっぱなしで、今だって歩く速度を合わせてくれているのも知っているから、それを言われると大人しくなるしかない。


「ま、結果だけ見ればよかったじゃないですか。あのふたり組は捕まったし、少なくともあいつらのせいで悲しむ人は減る。それにまさか、お礼代わりに情報が貰えるなんてね」


そう。
あの後、あいつらが逮捕された知らせが入り、一言お礼だけでもと言ってくれる人たちが宿を訪ねてきてくれた。
その中で、一人いたのだ。


『竜を探してるって聞いたけど……』


「竜騎士の子孫が作った村ねぇ。竜に会った、よりも更に胡散臭いですけど」


そんな村の話を聞いたことがあると、教えてくれた人が。


「どんなお伽噺も、当たってみるしかないわ。……ウィルは……」


この様子だと、ひとまずそこまでは付き合ってくれるということだろうか。
改めて確かめることも、その先の予定を尋ねることも怖くてできない。


「……無意味な設定、ね。案外、そうでもないかもしれませんよ」