そして、あれよあれよという間に王宮入りの日がやってきて、シルビアは自分のために用意された部屋で一人、紅茶を飲みながら読書を楽しんでいた。

 来週は結婚式だ。式を終え、正式にイヴァンの妻となれば、王太子妃としての業務がわんさか舞い込むはずである。こんなに自由な時間を過ごせるのはこれで最後だと、シルビアは式までの間、好きなことをして過ごすと決めていた。

 しかし、そう自分の思い通りにいかないのが、この華麗なる王宮だった。

「失礼します。シルビア様、少しよろしいでしょうか」

 ちょうどこれから小説のクライマックスが来るというところで、誰かが部屋をノックした。
 シルビアはため息をついて本を閉じ、ドアの方に顔を向けた。

「入っていいわ」

 現れたのは、キャリー・ビスチェ伯爵令嬢だった。落ち着いたグリーンのドレスに身を包み、栗色の髪を後ろでまとめあげた彼女はにっこりと微笑んだ。
 てっきり新しい侍女が挨拶にでも来たかと思ったが、予想外の来客にシルビアは姿勢を正した。

「突然どうしたのですか。用があるなら侍女に申し付けてくれればよろしかったのに」

 そう言ってから気付いた。侍女でもない彼女がシルビアの部屋がある東宮殿に訪れることなど普通であれば考えられない。
 怪訝な顔を向けると、キャリーが頭を下げた。

「イヴァン殿下に命じられ、本日からシルビア様の侍女としてお仕えさせていただくことになりました」

「まあ、そうだったのですね」

 イヴァンには有能な侍女をつけてくれと頼んだが、まさかキャリーを選ぶとは思いもしなかった。
 
 キャリーの父が当主を務めるビスチェ伯爵家は、いくつもの事業に成功し、貴族の中でも際立った商才を持つ一族だ。
 何十年もの間、雑草として駆除続けていた草花が、ビスチェ伯爵家の手により食料として、そして加工して衣類として、さらには貴族夫人たちの間で爆発的に流行した香水の原料として、国の代表的な作物になったのはアカデミーの授業でも習うことだ。

 だからこそ、伯爵の愛娘であり、商才に長けていると噂のキャリーを侍女として王宮によこすことなどあり得ないと思っていた。

「あなたのような有能な人がそばにいてくれるなら安心です。それにしてもビスチェ伯爵は王宮で働くことをよく許してくれましたね」

「私がお父様を説得しました。イヴァン様の頼みを断るわけにはいきませんから」

 アカデミー内ではうつけ者と影で揶揄されていたイヴァンも、王宮内ではそれなりの威厳があるのだと感心した。
 特にキャリーはイヴァンと同学年でアカデミーに在学しており、イヴァンがどれだけ曲者かをよく知っているはずだ。それなのに、父親を説得してまで王宮で勤めることを決めるとは。

「殿下への忠誠心が強いのね」
 
 シルビアがそう感心していると、キャリーがにっこりと微笑んで言った。

「イヴァン様は結婚と恋愛は別々に考えてらっしゃいます。ですが、忙しい人ですから私をおそばに置いておきたかったんでしょう」

 それはつまらない牽制だった。シルビアは黙り込み、なるほどと合点した。