「来てしまった」
2ヶ月は怒涛の速さで過ぎ去っていった。
歌の練習をして、踊りの練習はその倍くらいして、メイクも頑張って、更に受験勉強もして、と私の日常はぎゅうぎゅうだった。
どうせ底辺高校に行くのだが、それでも少しは勉強をしなければと必死にシャー芯を削ってきた日々。
元々得意なダンスと歌を本気でやり続けた2ヶ月は、私の全身を筋肉痛に晒し、暫く喉が枯れるという状態になったのはいい思い出だ。

目の前にある高いビルを見上げる。
大手アイドル事務所が主催するオーディションは、気合いが入っているのか大きなビルの中で行われるそうだ。
黒い帽子と黒いパーカ。黒いズボンに黒いリュックと、不審者コーデで来たのだが、周りが華やかな色の服を纏っているのを見ると、恥ずかしい気持ちになった。

「はい。今日はお集まりいただき誠にありがとうございます。これより『ファーム』の第1次オーディションを行います。」
ピリつく中、短い髪のウィッグを被った私は、左胸に付いている番号札を見て、深呼吸をした。
まるで、海中の中に居るように、周りの音がくすんで聞こえた。
緊張、興奮、後悔、恐怖。色んな感情の毛布に巻かれている中で、私は静かに心臓を鳴らしていた。

「終わったー。」
お昼休憩になり、コンビニで買ったおにぎりを食べる。
今日は奮発して筋子おにぎりを2つも買ってきた。
普段、自炊で節約を極限までに極めた生活をしている私には、筋子おにぎり2個ですらご馳走だった。
静かな中庭で、白いベンチに座り穏やかに過ごしていると、隣から声がした。

「隣、いい?」
「あ、えっと。大丈夫です。」
オロオロしながら答えると、隣に腰を掛けてきた青年は正に天から降りてきたとしか思えないほどの美形だった。
暫く彼に見とれていると、彼が困惑した顔をしていることに気がついた。
「えっと、、、あ!名前なんて言うんですか?わ、僕は舞香っていうんです。」
名前だけは本名のまま使っているので、そのままの名前を使う。
少し私と言いかけたが、なんとか訂正することが出来た。
「へー。舞香くんって言うんだ。俺はカラシでいいよ。」
少しポカンとしていると、彼は穏やかに『本名は伏せる気なんだ〜』っと言った。
確かに、芸能界は芸名が付き物だが、アイドルでカラシはどうかと思う。
「カラシ、、、さんですか。宜しくです。」
少し躊躇いながらも挨拶をすると、カラシさんはニッコリと微笑みながらこちらを見た。

「舞香くんはかわいい系かな?人気でそーだね。」
「カラシさんはおっとり系ですかね。お兄さん系?とか」
面倒見が良さそうで、おっとりした雰囲気を纏っている彼にはピッタリな気がした。
「えへへ。ありがと。そういえば、舞香くんのことオーディションの時見たよ。歌上手いね。」
先程の第1次試験は歌だった。
皆上手くて焦ったが、どうやら音を外していなかったらしい。
「ありがとうございます。カラシさんは何が得意なんですか?」
「え〜。猫をあやすことかな?」
まさかの可愛い回答で、吹き出してしまう。
今お茶を飲んでいたらむせていただろう。
サラシさんと一緒に笑っていると、緊張や張り詰めた空気が解けるような気がした。

「まあ、僕らライバルですからね。2人で合格目指しましょう。」
「舞香くん。ハードル高いよ。でも、俺も合格したいからね。頑張ろっか」
カラシさんが立ち上がったのに吊られて立ち上がる。
木々が緑の体をくねらせ、鳥の羽のようにサワサワと揺れていた。
男装とバレないように、最終審査まで通り抜けよう。
そう決心したと同時に、第2次試験の5分前になった。