その《《事件》》は、洗顔に続いて、化粧水や乳液の使い方などの解説&実践動画の撮影を終え、第1フェーズの必要事項にしていたスキンケアに関係する内容についてのプログラムが一段落したときに発生した。
 わたしが語る日常の肌ケアに関する注意事項と、映文研の部長氏による実践シーンを、カメラを水平に動かしながら交互に撮影していたリコが、少し不安げな口調で、ドキュメンタリー映像の出演者である、わたしたちふたりに語りかけてきた。

「いちおう、亜矢が話している場面も、深津くんが洗顔したりしてる場面も、撮影できたと思うんだけど……カメラを何回も左右に動かしてたから、手ブレとかしてないか気になって……一度、いま撮ってた映像を見てくれないかな?」

 心細さそうなリコのようすに、わたしは深津くんと顔を見合わせたあと、彼に声をかける。

「ちょうど、休憩しようと思ってたところだし……深津くん、確認してみてくれる?」
 
「ん、わかった」

と、ぶっきらぼうに答えた彼は、パウダールームを出て行き、自室にあったモノなのだろうか、小型のタブレットPCとUSBケーブルを手にして戻ってきた。

「こっちのディスプレイの方が確認しやすいしな……」

 そう言って、カメラと起動したタブレットPCをケーブルで繋ぎ、録画された動画をタブレットのディスプレイに表示させる。
 11インチのディスプレイをリコやユズちゃんも含めて、わたしたち四人で確認すると……。

「あっ……やっぱり……」

 リコが声をあげる。
 彼女が撮影した映像は、わたしが話したあと、深津くんの姿を映す際、もしくは、深津くんの洗顔の場面を終えて、わたしの解説に移る際のカメラが水平移動するときに、少し、カクカクと画面ブレが起きていた。

「カメラを動かすときに、どうしても揺れちゃって……ゴメンね、撮り直しをした方がイイよね……?」

 今度は、申し訳なさそうな声で、撮影のやり直しを申し出るリコ。
 ただ、そんなクラスメートの心情を察したのか、映文研の部長は、彼女を安心させるように、柔らかな笑みを浮かべて返答する。

「あぁ……これぐらいの感じなら、大丈夫だよ! 画面がパン……横移動しているところ以外の……瓦木さんが話してる場面や、オレが顔を洗ってる場面の手ブレは、そんなに気にならないから」

「そうなの?」

 少し安心したように反応する友人に、部長氏は、彼女を説得させるように穏やかな口調で、

「あぁ、手ブレが気になるような箇所は、編集でカットしても問題ない部分だし……むしろ、映像のテンポを考えれば、その方が良いくらいかも! まぁ、こういう編集の仕方は、オレたち映文研より、《《瓦木さんの方》》が、詳しいと思うけど? そうじゃない?」

そう語りながら、わたしに視線を向けて、同意を求めるように会話を振ってきた。
 ただ、そんな風に聞かれても、わたしには、なんのことか、さっぱり理解できない。

 すると、キョトンとしたわたしの表情を察したのか、深津くんは、取り繕うように、少し早口で

「いや、まぁ、最後の話しは置いておいて……とにかく樋ノ口さんが考えてるほど悪いデキになってる訳じゃないから、心配しないで……」

と語った。
 不安げな親友のフォローをしてくれたことで、
 
(ふ〜ん、少しは女子に気をつかえるんだ……)

と、彼のことを見直しながら、わたしは、カメラに向かって語りかけている自分自身の姿を確認する。

「すすぐときには、手が肌に触れないようにするのも大切! すすぎ残しを心配してゴシゴシ肌を擦りながらすすぐという男子も多いと思うけど……」

(う〜ん! 我ながら、上手く話すことがデキてるな〜 コレも日頃の動画配信の賜物だね)

 《《奥ゆかしい性格》》の自分でも、十分に合格点をあげられる自分自身の語り口に満足しながら、ディスプレイに見入っていたわたしはしかし、次に行われる友人と《《教え子》》の行動を予測できずにいた。
 
「ありがとう、深津くん……そう言ってもらえると、気持ちがすごく楽になった! でも、やっぱり、こういうカメラを持つのに慣れてないから……このデジタルカメラの持ち方というか、撮影の仕方のコツを教えてもらえないかな?」

「あぁ、そっか……そういうことから伝えておけば良かったな……じゃあ、もう一台のカメラで、ちょっと試してみる?」

 そう言って、深津くんは、リコに撮影には使っていない方のカメラを手渡したようだ。

「こういうカメラを持つときは、こんな風にヒジと脇をしっかりと締めるようにして……そうそう……こうして、外からチカラが加わっても、動かないくらいのチカラを入れて……」

 そんな声が聞こえてきたので、ふと、洗面台の大きな鏡を見ると、そこには、衝撃的な光景が広がっていた。
 デジタルハンディカメラを両手で構えたリコの後ろから、彼女を抱きかかえるように《《深津寿太郎》》が、両手を回していたのだ!

(なっ……! そんなバカな……)

 それは、好きな人からの胸キュン行動、不動のナンバー1!
 恋愛ドラマやロマンス映画、少女マンガでも、『ここぞ!』というシーンに登場し、世の恋する乙女たちの心をわしづかみにしてきた仕草。

 後ろからハグ(通称バックハグ)―――――――。

(待って、待って! 非モテ男子が…………バックハグだと…………)

 自分の中で、あまりに唐突で衝撃的な内容に、思考回路が働かず、よけいな方面に脱線する。
 
 一年ほど前、わたしが、《ミンスタグラム》のアンケート機能で、フォロワーの人たちに、

「好きな人に『後ろからハグ』をされたいか?」

と、アンケートを取ったところ、なんと92パーセントの女子が「されたい」という選択肢を選んでいた。
 その理由には、次のような意見が寄せられた。

「安心感と『俺のもの』という感じが好き!」(17歳)
「安心するし、包まれている気がする」(18歳)
「ちょっと強引な感じが好き」(20歳)
「見えない後ろからというのがドキドキする」(16歳)
「愛されていると思うから」(19歳)

その他、「ドキッとする」とか、「男性らしい包容力を感じる」という意見も……。

「後ろからの不意打ち的な感覚も、《《ドキドキ》》や《《ときめき》》を感じるみたいだね!」

――――――なんて、恋バナトークを配信するとき用のまとめコメントをしている場合ではない!!

(『改造計画』の第1フェーズも終えていない状況で、わたしの大切な友だちにバックハグをするなど、一○○万年早いわ!!!!!)
 
 ようやく、通常の状態に戻った思考回路で、注意をしようとした矢先、南極大陸の空気を思わせる冷たさで、吐き捨てるように言う、ユズちゃんの声が耳に入ってきた。 

「お(にい)! それ、普通にセクハラだから……とっとと離れろ! 樋ノ口先輩が困ってるの、わかんないの!?」