ドン、という音が空にこだまし、即座に歓声が上がる。花火大会が始まったんだと思う。どうして「思う」なのか。それは私が今、花火が見えるような場所にいないから。
「というか、ここどこ……」
 辺りを見回しても、誰もいない。薄暗く不気味な社殿と私が座っている錆びれたベンチだけがある、そんな場所。
 そして目の前に広がる、広大な海。星空を反射していて綺麗なんだろう、きっと。
 眺める余裕なんて今の私にはなかった。
 ちゃんと見ててほしい。そんな唯川さんの訴えを断り、二人を置いてその場から離れた。違う、逃げた。私以外の人の想いが航大に伝わる瞬間も、二人が結ばれる瞬間も何もかも見たくなくて、逃げ出したんだ。溜息とともに「かっこ悪……」と漏れた。
 ポケットの中のスマホから通知音が鳴る。取り出した瞬間、表示されているメッセージに目が向いてしまった。
『どこにいんの?』
 たった七文字で、胸が締め付けられる。なんてことない、ありふれた質問なのに。どうして、こんなに。
 どうして私は、航大を好きになってしまったんだろう。
「……いた」
 息切れと一緒に聞こえてきた呟きに振り向くと、そこには汗だくの航大の姿が。
「あっ……」
「一人でどっか行ってんなよ! 危ねえだろ!」
 怒鳴られるのは当たり前だと思った。人気もないこんな場所で何かあったら、助けを呼ぶことも、自分の脚力を考えると逃げることも難しい。
 わかってる。わかってる、けど。
「えっ……」
 明らかに困惑した航大の声。
「ち、違うから!」
「でもお前、泣いて……」
「なんでもない!」
「悪かった、デカい声出して」
 怒鳴られたから、だけじゃない。安心とか嬉しさとか悲しさとか、はっきりしない気持ちがぐるぐるして、気づけば泣いてしまっていた。
「あと、引き止めれなくてごめん」
「それは……、唯川さんに失礼でしょ」
 私だったら、今から告白しようとしているのに他の女子が気になるからってその場から離れられたら、気持ちなんて一瞬で冷める。その後、仕切り直しなんて雰囲気にはならないだろうし。
「……確認、したいんだけど」
 さっきとは打って変わって優しい口調で尋ね、私の隣に座った。
「話せる?」
 万全な状態ではないけれど、とりあえず頷く私。
「お前、俺のこと好きなの?」
「……は?」
 一瞬、涙が止まりそうになった。というか、止まった。
「え……、え? えっ? な、なんで?」
 時間が少し経過して、声がはっきり出せるようになった。とはいえ、出てくるのは焦りだけだけど。
「さっきの反応とか、こうやって勝手にどっか行くのとか、俺のことが好き……だからなのかなと」
 こんなにもあっさりと本人に気持ちが伝わってしまうなんて。私たちはきっと、ムードとかそういうものには無縁なんだろう。
「唯川さんとは?」
 航大の質問には答えずに、私も尋ねた。
「告白された?」
 返事の前に質問を重ねる。意地悪な聞き方だと自覚していたけれど、自分勝手にならないとまた泣いてしまいそうで。
 すると、航大が口を開く。
「けど、断った」
 そうとしか考えられなかった。だってあの後付き合ったんだとしたら、航大はこんな場所なんかにいるわけがない。
「お前を捜す間、考えてたんだ」
 満天の星空を仰ぎ、呟くように話す。
「唯川の気持ちにはまったく気づかなかったのに、なんでお前の気持ちには気づけたんだろうって」
 心臓がバクバク言い始めた。期待してしまう。もしかしたら、って。断ったのはきっと……、って。
「告白断った時さ、すげえ悲しそうな顔してたんだよ、唯川」
「……そう」
「それは、どっか行こうとしてた瞬間のお前もそうだった」
 思わず航大の横顔を見つめる。
「もしかして、って思ったんだ。いや、絶対にそうなんだなって。思い返せば俺もそんな顔してたし」
「えっ?」
「信じられないみたいな顔すんな」
「そう言われても……、あ、彼女にフラれた時……じゃないよね」
 徐々に声量が小さくなっていく私に、無言で頷く航大。というかそもそも、別れたこと自体夏休み初日まで知らなかったわけで。
「……バケツの水にさ」
「バケツ?」
「こないだ花火やった時、暗い水面に一瞬映ったんだよ、俺のそういう顔」
「悲しい顔が……?」
「お前に遊ぶの楽しいって言われたり花火大会誘われて嬉しかったけど、その日終わったらもう終わりなんだなって……、やべえ、俺キモいな」
 ロマンチックな科白から来る照れなのか、自身を茶化す航大に、私は思わず彼の腕を掴んだ。
「全然思わない」
「え……」
「思わないから……、話して」
 冷静になっているつもりで訴えたけれど、そんなことあるわけなかったと腕を離した手の震えで思った。
「で……、家の鏡でちゃんと見て、俺、情けねえ顔してんなって……。そしたら二人も同じような顔してた」
 手の甲に、親指の爪跡がつく。
「それで気づいた、お前のこと好きなんだなって」
 その跡に、一粒の雫が落ちた。
 また、泣いてしまった。
「でも今思うと、大した試合じゃなくてもお前が来るからって無理したり、倒れた時お前がずっと横にいてくれて嬉しかったのも、そういうことだったのかもな」
 一粒どころか溢れ出してしまっている私の顔を覗き、「初めてだわ、こんなしんどい気持ちになったの」と告白する。
「顔だけはいいから恋愛経験は豊富だもんね」
「おま……っ、それが惚れた男に対する評価かよ」
 恥ずかしさを誤魔化し笑う私の腕を掴む。時が止まった。かもしれない。それくらい、航大の目から目が離せない。
「……こっちもお前とは初めてだよな」
「へ……」
 私の情けない声を遮り、航大はキスをした。
 「好き」と伝えてくれたその唇を、こんな私なんかに。事故とはいえ鎖骨に口づけしたり、寝込みを襲うかのようにほっぺにキスした私なんかに。でもこんな私を、航大は。
「……んっ」
 全身で航大を感じた。そんな瞬間。
 永遠なんて言わない。今だけでいいから、二人だけの世界を。
「……しょっぱい」
 キスを終えた彼の第一声は、さっきまでのロマンチストさを疑うような内容だった。
「ちょっ、人の涙舐めないでよ」
「口に入るほどお前が泣くから悪いんだろ」
「仕方ないでしょ、泣くに決まってんじゃん」
 言い終えて、「あ」と慌てて口を塞ぐ。時既に遅し。ニヤリと笑みを浮かべる航大。
「へえ、決まってんだ」
「あんたのせいだから」
「俺のおかげ、な」
「はいはい、そうですね」
「好きだよ」
 やられた。顔が更に熱くなる。悔しい。
「もっかいしねえ? キス」
 でも……、好き。
 頷いて、唇を合わせた。
「明日からもよろしくな、俺の彼女」
 打上花火も浴衣もない夏のキスが終わる。それでもこの肩書きは続いていく。
 ひとつなんて言わない。これからもっとたくさんの恋を、大好きな君とずっと。

〈完〉