航大が運ばれた先の保健室。入室すると、先客がいたことに気づく。
 唯川さんだ。
 帰りたくなった。いっそ帰ってしまおうか、と開けたばかりの扉に手をかける。
 夏休み前の私なら、きっとそうしているんだろう。誰かが代わりにいるんだし、なんて軽く考える気がする。
 でも今は、違う。扉から手を離した。
 私が、私が航大の――。
「なんで観に来ようと思ったの? 試合」
 唯川さんの質問が、胸中を遮る。
「これまで一度も来ていなかったのに」
「あー、えっと……」
 すぐに答えられないのは、期間限定の関係だけが原因じゃない。
 声のトーンに、航大への想いが現れていたから。生半端な理由は受け付けない、とでも言ったような。
 付き合っているから、と答えていいものなのか。
「青羽くんの幼なじみ、なんだよね?」
「……あっ」
「え?」
 顔が熱くなった。心も焦げるように熱い。違う。間違えた。忘れていた。今日の私は違う。
――幼なじみとして来て。
 今日の私は、彼女じゃない。
「なんというか……、なりゆきで」
 恥ずかしい。自惚れるな、私。
「そうなんだ」
 唯川さんは短く答え、眠った状態の航大を見つめて「熱あったのに、無理してたみたい」と呟いた。
「えっ、熱? 航大が……?」
「朝から様子がおかしかったから心配してたんだけど、どうしても出たいからって」
 今朝お弁当を渡した時、そっけないように見えたのは、既に体調を崩していたのかもしれない。
 それだけじゃない。
 昨日のプールの帰り、突然話さなくなったのも、もしかしたら。
 ……自分が情けない。
 私はいつだって、自分の気持ちを最優先にしてしまっている。仮とはいえ、彼女を名乗る権利はない。それどころか、幼なじみとしても失格だ。
柏井(かしい)さん」
 私の名字を呼び、「聞いても、いい?」と少し間を空けて伺う。返事代わりに唯川さんの目を見た。今の私には、声を出す気力すらなかった。
「青羽くんのこと、どう思ってるの?」
「どうって……、私は――」
「私は青羽くんが好き」
 言い終える前に告げられた。私がなんと答えようと、唯川さんは自分の想いを告げるつもりだったのだろう。
 私が、航大を好きにならないように。航大に告白させないために。
「マネージャーとしても彼女としても、彼を支えたい。今はまだ告白できる勇気なんてないけど……、いつか伝えるから」
 私は何をしているんだろう。
 本来なら、こういう人があいつの彼女になるべきなのに。
 航大、選ぶ相手違えてるよ。
 私なんかじゃなく、絶対に彼女を選ぶべきだった。
 そうすれば、何の問題もなくお互いに幸せな時間を過ごせる。
 ああ、そっか。「期間限定」だから私でいいのか。
 その後の「契約がない彼女」は、こういう人がふさわしいんだろうな。
「……柏井さん?」
 わかってた。わかってたけど、今わかった。
 私、航大が好きだ。大好きなんだ。
「いい、よね?」
 今何か口にしたら、唯川さんを傷つける自信しかない。イエスともノーとも答えられないまま、沈黙の時間だけが過ぎていった。