◯介護施設『あすかの里』談話室
テーブルにメイクボックスを広げる咲也。
本格的な仕様に息を呑む杏璃。
咲也「以前ばあちゃんに会いに来たとき、メイクをしてあげたんです。いつも部屋の中だから、気分転換になるかと思って」
「そしたら思いのほか喜んでくれたんですよ」
ポーチからバラバラとヘアクリップを出す咲也。
咲也「ついでにほかの人たちにもやってあげたら、なんか噂になっちゃって」
「それ以来、月イチくらいでボランティアでやってるんです」
杏璃「メイクサービスか。へえ…」
「あっ」
咲也が取り出すコスメを興味津々に眺める杏璃。
その中にあったリップティントを手に取る。
杏璃「このリップ、わたしが前に企画したやつだわ」
咲也「(パッと顔を輝かせ)そうなんですか!?」
「これ、めっちゃいい色ですよね! それに落ちにくくてすごく気に入ってます」
急にテンションが上がる咲也に戸惑う杏璃。
杏璃「あ、ありがとう…」
咲也「(頬を紅潮させ)やっぱ唐沢さんってすごい人なんですね。僕ティントの中ではこれが1番気に入ってるんですよ」
「グロスもいいんですけど、やっぱ時間が経つとあのツヤツヤ感が失せちゃうじゃないですか」
「その点ティントは色持ちがいいし、1本でしっかりキマるのが好きなんですよね」
「あ、でもちょっと乾燥しやすいから、ばあちゃんたちに使うのは保湿性の高い色付きのリップクリームを…」
手を止めて早口でべらべら語り続ける咲也。
その横で一瞬リップを握る力をぐっと強める杏璃(表情は見せない)。
窓際に面したソファに、咲也と介護士が両脇から支える形で織江が腰掛ける。
織江の首元にメイク用のケープをかけながら、気取った口調で語りかける咲也。
咲也「本日はどのようにいたしましょうか、マダム」
織江がくすくす笑う。
織江「いつも通りお任せで」
咲也「かしこまりました」
慣れた手つきでメイクをはじめる咲也。
杏璃もその手際の良さに感心する。
杏璃(メイクが好きっていうのは本当みたいね)
杏璃もまた隣に座る女性にケープをつけて、同じようにメイクの準備をはじめる。
杏璃「(戸惑いながら)えーと、じゃあまずベースメイクから…」
ミヨ「お嬢さん、えらいべっぴんだねぇ」
やや大きな声で脈絡のない話をはじめるミヨ。
ミヨ「背も高くって髪の毛さらっさらで。モデルさんみたいだわぁ」
杏璃「ど、どうも…」
どう返せばいいかわからずおざなりな返事をする杏璃。
入居者たちは気を害した様子はなく、にこやかに話し続ける。
ミヨ「サクちゃんも可愛いけどねぇ。あなたは華があるよ」
背後のソファで咲也から借りた本を読んでいたキイチが、カカッと笑う。
キイチ「毎日枯れたばあさんらばっか見てるせいだろうよ」
ミヨ「(振り返ってキイチをじろっと睨み)干からびてんのはお互い様だよ」
「あんたもサクちゃんを見習って、朝晩しっかり顔を洗うとこからはじめたらどうだい」
ミヨの反対隣でメイクの順番待ちをしているトモコが声をかけてくる。
トモコ「杏璃ちゃんっていったかしら。あなたもお化粧が得意なの?」
杏璃「(ギクッと肩が跳ねる)えっ」
「えーと、得意といいますか、職業柄少しは…」
トモコが穏やかに微笑む。
トモコ「素敵だわねぇ。私らが若いころなんて、化粧品も贅沢でさぁ」
ミヨ「そうそう。今みたいに何種類もあるわけでもなくて」
トモコ「(懐かしそうに目を細める)主人とお見合いするとき、はじめて紅を差したのよね」
「唇が真っ赤になって、それがまた似合わないこと」
懐かしそうに笑うトモコ。
同調してうなずくミヨ。
トモコ「(ふうっと息をつく)昔は今ほど女性も表に出なかったからねぇ」
「化粧する機会が増えたってことは、女も活躍できる時代になったってことだね」
ミヨが隣にいる織江と咲也をちらっと見る。
咲也が笑いながら織江にアイメイクを施している。
ミヨ「織江さんには悪いがね、私ゃはじめはサクちゃんのことを、あんまりよく思ってなかったのさ。男が化粧だの美容だのなんて、なよっちいったらありゃしないってね」
「ところがどうだい」
ミヨが温かな表情で微笑む。
ミヨ「サクちゃんは私みたいな偏屈なばあさんにも優しくてねぇ。まるでひまわりみたいな子だよ」
咲也の背後にひまわりの幻影が浮かぶ。
ミヨ「色眼鏡で見られても、自分を曲げることなく突き進んできたような子さ」
「あれはイイ男になるよ」
杏璃「(愛想笑い)…そうですね」
杏璃の顔に陰ができる。
杏璃(若くてルックスがよくて、性格にも問題がない。素質もおそらくある)
(これから先、きっといくらでもいい出会いがあって、仕事でもプライベートでもいい方向に向かってくんだろうな)
自嘲の笑みを浮かべる杏璃。
杏璃(私とは…違う)
暗くなった杏璃の背中を、トモコがバシバシ叩く。
トモコ「杏璃ちゃんだって美人さんだから、きっと引く手あまただろうね」
「ねえ。会社の上司だなんていうけど、実際どうなの? サクちゃんのこと、どう思う?」
杏璃「はい!?」
唐突な質問に声が裏返る杏璃。
織江にアイシャドウを塗っていた咲也がごほっと咽る。
咲也「急になんの話してるんだよっ」
焦りながら弁明する杏璃。
杏璃「わ、私と彼はただの指導役と教え子の関係でして。それ以上でもそれ以下でもなく…」
咲也「ヘンなこと言って困らせないでよ。明日からやりづらいじゃん」
そろって赤くなる杏璃と咲也を、織江を含めた入居者たちが微笑ましく見ている。
キイチ「おや、照れとるわ」
トモコ「可愛らしいこと」
ミヨ「私らだって若いころはねぇ」
年長者特有のほのぼのした空気になにも言い返せず、曖昧に笑う杏璃。
先ほどよりも表情がだいぶ和らぐ。
化粧下地を手にミヨに向き直る杏璃。
杏璃「おしゃべりしてないで、メイクはじめますよ」
ミヨにメイクを施していく杏璃。
真剣な目つきでミヨを見ながら、楽しげに口角が上がっていた。
テーブルにメイクボックスを広げる咲也。
本格的な仕様に息を呑む杏璃。
咲也「以前ばあちゃんに会いに来たとき、メイクをしてあげたんです。いつも部屋の中だから、気分転換になるかと思って」
「そしたら思いのほか喜んでくれたんですよ」
ポーチからバラバラとヘアクリップを出す咲也。
咲也「ついでにほかの人たちにもやってあげたら、なんか噂になっちゃって」
「それ以来、月イチくらいでボランティアでやってるんです」
杏璃「メイクサービスか。へえ…」
「あっ」
咲也が取り出すコスメを興味津々に眺める杏璃。
その中にあったリップティントを手に取る。
杏璃「このリップ、わたしが前に企画したやつだわ」
咲也「(パッと顔を輝かせ)そうなんですか!?」
「これ、めっちゃいい色ですよね! それに落ちにくくてすごく気に入ってます」
急にテンションが上がる咲也に戸惑う杏璃。
杏璃「あ、ありがとう…」
咲也「(頬を紅潮させ)やっぱ唐沢さんってすごい人なんですね。僕ティントの中ではこれが1番気に入ってるんですよ」
「グロスもいいんですけど、やっぱ時間が経つとあのツヤツヤ感が失せちゃうじゃないですか」
「その点ティントは色持ちがいいし、1本でしっかりキマるのが好きなんですよね」
「あ、でもちょっと乾燥しやすいから、ばあちゃんたちに使うのは保湿性の高い色付きのリップクリームを…」
手を止めて早口でべらべら語り続ける咲也。
その横で一瞬リップを握る力をぐっと強める杏璃(表情は見せない)。
窓際に面したソファに、咲也と介護士が両脇から支える形で織江が腰掛ける。
織江の首元にメイク用のケープをかけながら、気取った口調で語りかける咲也。
咲也「本日はどのようにいたしましょうか、マダム」
織江がくすくす笑う。
織江「いつも通りお任せで」
咲也「かしこまりました」
慣れた手つきでメイクをはじめる咲也。
杏璃もその手際の良さに感心する。
杏璃(メイクが好きっていうのは本当みたいね)
杏璃もまた隣に座る女性にケープをつけて、同じようにメイクの準備をはじめる。
杏璃「(戸惑いながら)えーと、じゃあまずベースメイクから…」
ミヨ「お嬢さん、えらいべっぴんだねぇ」
やや大きな声で脈絡のない話をはじめるミヨ。
ミヨ「背も高くって髪の毛さらっさらで。モデルさんみたいだわぁ」
杏璃「ど、どうも…」
どう返せばいいかわからずおざなりな返事をする杏璃。
入居者たちは気を害した様子はなく、にこやかに話し続ける。
ミヨ「サクちゃんも可愛いけどねぇ。あなたは華があるよ」
背後のソファで咲也から借りた本を読んでいたキイチが、カカッと笑う。
キイチ「毎日枯れたばあさんらばっか見てるせいだろうよ」
ミヨ「(振り返ってキイチをじろっと睨み)干からびてんのはお互い様だよ」
「あんたもサクちゃんを見習って、朝晩しっかり顔を洗うとこからはじめたらどうだい」
ミヨの反対隣でメイクの順番待ちをしているトモコが声をかけてくる。
トモコ「杏璃ちゃんっていったかしら。あなたもお化粧が得意なの?」
杏璃「(ギクッと肩が跳ねる)えっ」
「えーと、得意といいますか、職業柄少しは…」
トモコが穏やかに微笑む。
トモコ「素敵だわねぇ。私らが若いころなんて、化粧品も贅沢でさぁ」
ミヨ「そうそう。今みたいに何種類もあるわけでもなくて」
トモコ「(懐かしそうに目を細める)主人とお見合いするとき、はじめて紅を差したのよね」
「唇が真っ赤になって、それがまた似合わないこと」
懐かしそうに笑うトモコ。
同調してうなずくミヨ。
トモコ「(ふうっと息をつく)昔は今ほど女性も表に出なかったからねぇ」
「化粧する機会が増えたってことは、女も活躍できる時代になったってことだね」
ミヨが隣にいる織江と咲也をちらっと見る。
咲也が笑いながら織江にアイメイクを施している。
ミヨ「織江さんには悪いがね、私ゃはじめはサクちゃんのことを、あんまりよく思ってなかったのさ。男が化粧だの美容だのなんて、なよっちいったらありゃしないってね」
「ところがどうだい」
ミヨが温かな表情で微笑む。
ミヨ「サクちゃんは私みたいな偏屈なばあさんにも優しくてねぇ。まるでひまわりみたいな子だよ」
咲也の背後にひまわりの幻影が浮かぶ。
ミヨ「色眼鏡で見られても、自分を曲げることなく突き進んできたような子さ」
「あれはイイ男になるよ」
杏璃「(愛想笑い)…そうですね」
杏璃の顔に陰ができる。
杏璃(若くてルックスがよくて、性格にも問題がない。素質もおそらくある)
(これから先、きっといくらでもいい出会いがあって、仕事でもプライベートでもいい方向に向かってくんだろうな)
自嘲の笑みを浮かべる杏璃。
杏璃(私とは…違う)
暗くなった杏璃の背中を、トモコがバシバシ叩く。
トモコ「杏璃ちゃんだって美人さんだから、きっと引く手あまただろうね」
「ねえ。会社の上司だなんていうけど、実際どうなの? サクちゃんのこと、どう思う?」
杏璃「はい!?」
唐突な質問に声が裏返る杏璃。
織江にアイシャドウを塗っていた咲也がごほっと咽る。
咲也「急になんの話してるんだよっ」
焦りながら弁明する杏璃。
杏璃「わ、私と彼はただの指導役と教え子の関係でして。それ以上でもそれ以下でもなく…」
咲也「ヘンなこと言って困らせないでよ。明日からやりづらいじゃん」
そろって赤くなる杏璃と咲也を、織江を含めた入居者たちが微笑ましく見ている。
キイチ「おや、照れとるわ」
トモコ「可愛らしいこと」
ミヨ「私らだって若いころはねぇ」
年長者特有のほのぼのした空気になにも言い返せず、曖昧に笑う杏璃。
先ほどよりも表情がだいぶ和らぐ。
化粧下地を手にミヨに向き直る杏璃。
杏璃「おしゃべりしてないで、メイクはじめますよ」
ミヨにメイクを施していく杏璃。
真剣な目つきでミヨを見ながら、楽しげに口角が上がっていた。