「お出かけっちゃそうだけど。十歩もないしなぁ」
(十歩もない?)
咲人さんは出て行く時と同じ、黒いスキニーパンツに、白いシャツ。仕事に行く時の、いつもの恰好……なんだけど。
今日は薄手のコートを着ている。今は夏なのに。変な咲人さん。
「コート暑くないですか?脱いだ方が」
咲人さんに手を伸ばす。すると咲人さんは常人ならぬ反射神経で、素早く私の腕を叩き落した。
「俺に逆らうの?あの約束、ついに忘れた?」
「!」
あの約束、というのは。もちろん、私がミミとして可愛がってもらえる「あの条件」だ。
「さ、逆らいません。すぐに着替えてきます」
「……」
咲人さんは何も言わなかった。その沈黙が重たくて、切なくて。
私と咲人さんは、こういった制約の上でしか会話できないのだと思うと、無性に泣きたくなる。
もっと自由に、今よりも堂々と。咲人さんと話がしたい。そうすれば、もっともっと咲人さんに近づける気がするから。
(って、なにセンチメンタルになってるんだろう。しっかり、私)