ファースト・デート

 高校二年目。今年も図書委員に立候補した。

 本が好き。あたしを夢の世界に連れて行ってくれるから。

 そんな本に囲まれた図書室が好き。あたしの安らぎの場所だから。



 初めての図書当番。

 あたしは経験者ということもあって、一年生の男の子の指導を任された。



「僕、福原瞬(ふくはらしゅん)です……よろしくお願いします……」

「あたし、花崎梓(はなさきあずさ)。よろしくね」



 可愛い子だ。目がくりくりってしてる。

 背は男の子にしては低めだけど、あたしがもっとちっちゃいから見上げることになる。

 正直、背の高い男の子は苦手だから……福原くんと組むことになって安心した。



「それじゃあ、福原くん。貸出機の説明するね……」



 ここの図書室では、貸出は生徒が自分で貸出機を操作して行うことになっていた。

 生徒証のバーコードを読み取らせて。本を台の上に置いて。そうすれば貸出機が勝手に本を認識してくれる。簡単だ。

 けれど、たまーにわからないという生徒もいて、手助けをするのが図書委員の仕事。



「試しに福原くん、一冊借りてみる?」

「そうですね」



 福原くんは文庫本がある棚に行って、少し迷った後、一冊抜き取って戻ってきた。そして、貸出機を使った。



「花崎さん……これでいいんですか?」

「そうそう。貸出票が出てきたらオッケーだよ」



 福原くんが借りたのは、何やら難しそうなタイトルの本だった。「幼年期の終わり」だって。



「福原くん、それってどんな本?」

「SFですよ。クラーク、好きなんです。これはまだ読んだことなくて」

「へぇ……」



 あたしはSFを読んだことがない。それよりもエルフや妖精が出てくるファンタジーが好み。

 福原くんって、けっこう頭いいのかもしれない。

 それから、こんどは返却。こちらは図書委員が生徒証と本のバーコードを読み取って、パソコンで貸出状況を確認する。

 もしも、貸出期限が過ぎている本があって、延滞になっていれば、それを言わなければならない。

 まあ、去年一年間、そんなことになったことは一度もない。

 そもそも……この高校の図書室は利用者が少ない。

 だからこそ、いいんだけど。

 福原くんは、あれこれパソコンをいじってみて、感覚をつかんだみたいだ。



「花崎さん、パソコンの使い方はなんとなくわかりました」

「じゃ、あとはお話でもしよっか!」

「えっ、いいんですか?」

「どーせ誰も来ないもん。福原くんの好きな本の話、もっと聞かせて?」



 福原くんのSF好きは、お父さんの影響らしい。小さい頃から色んな映画を見せられたのだとか。

 それで、本も読むようになったみたい。あたしもちょっぴりSFに興味が出てきた。



「……花崎さん、優しいんですね」

「そう?」

「こんな風に、僕のつまらない話聞いてくれた人、初めてで」

「つまらなくなんかないよ? 面白かった!」



 あたしは心の底からそう思っていて。

 それから、福原くんと過ごすのが楽しみになった。
 高校生って、けっこう忙しい。

 あたしは部活もバイトもしてないけど、それでも宿題に小テストに定期テストに追われていた。

 一息つけるのが、福原くんとの図書当番。

 お互いに、好きな本を交換してみたりなんかして。

 ちょっとずつ、ちょっとずつ、福原くんとは打ち解けていった。



「花崎さん。テストお疲れさまです」



 七月。一学期の期末テストが終わった翌日の図書当番。

 福原くんとはずいぶん久しぶりに会う感覚だった。



「福原くん、テストどうだった?」

「そんなに自信ないですねぇ……」

「えー、本当に?」



 あたしはというと……補習は何とか回避できたかな、というところ。

 うちの高校は、地域では進学校として知られていて、ほとんどの生徒が大学を目指す。

 来年になったら受験生。趣味の本なんて読む暇がなくなるんだろうなと思うと、今からげっそりだ。

 相変わらず誰も来ない図書室のカウンターで、あたしたちはしばらく勉強の話をしていた。

 それが途切れて、福原くんは咳払いをした後に言った。



「あのぅ、花崎さん。嫌だったらいいんです。僕と、その……遊園地、行きませんか?」

「えっ、遊園地? 行きたい!」



 あたしは今まで、遊園地に行ったことが一度もなかった。

 うちの親は、そういうところに連れて行ってくれなかったのだ。

 まずは勉強。次に勉強。とにかく勉強。

 そういう親だから。



「花崎さん、本当にいいんですか?」

「もちろん! ねぇ、いつにする? 次の土曜日空いてる?」

「空いてますけど……」

「じゃあ行こう行こう!」



 そして、連絡先を交換していなかったことを思い出して、スマホでやりとりして。

 土曜日の朝に、駅で待ち合わせることにした。



 遊園地に行けることが嬉しすぎて、金曜日になるまで気付かなかったけど。



 あれ? これって、男の子との初デートじゃない?


 そう意識してしまってからは、大変だった。

 服、どうしよう。頭の中が大騒ぎだ。

 動きやすい方がいいからスカートはダメ。

 そうするとパンツだけど……暑いだろうしショートパンツかな。

 はいてみる。

 脚、出しすぎな気がする。ニーハイはいとこうか。

 上、どうしよう。上。可愛いのなんて持ってない。

 半袖のトップスを片っ端から着てみる。

 しっくりきたのはやっぱりTシャツ。

 だってほら、遊園地だもんね。スポーティーな方がそれっぽいよね。

 白地で胸にワンポイントがついたものにした。



「大丈夫、梓、大丈夫、大丈夫……」



 そう鏡の前でブツブツ呟いて、パジャマに着替えてベッドに入ったけど、なかなか寝付けなかった。
 土曜日の朝。雲一つない真っ青な空が広がっていた。

 待ち合わせ場所の駅前には、十分前に着いたけど、福原くんがすでに来ていた。



「ごめんね、福原くん。待った?」

「僕もさっき来たところです」



 福原くんは、水色のシャツに黒いデニムという格好だった。今日の天気みたいに爽やかだ。



「福原くん……あたしの格好、変じゃない?」

「いえ、その……すごく、可愛いです!」

「もう。お世辞でも嬉しいよ」

「お世辞じゃないですよ。本当です」



 電車に乗り、横並びに座った。福原くんはスマホで遊園地のウェブサイトを表示させた。あたしはそれを覗き込んだ。



「花崎さんはやっぱりパレード見たいですか?」

「うん、見たい見たい!」

「昼の一時からなんですけど、いい場所を取ろうと思うと十二時には行っておいた方がいいみたいです。早めの十一時頃にお昼ご飯食べましょう」

「わっ、調べてきてくれたんだ? ありがとう!」

「僕から誘ったんです。当然ですよ」



 そして、人生初の遊園地のゲートは……カラフルで、賑やかで、夢みたいだった。

 本を読んでも夢の中には行けるけど。

 それとはまた違う。実際に、この身体で、体験することができるのだ。



「ねぇ、福原くん! まずはジェットコースターね!」

「ついていきますよ」



 そこからはもう、物語の主人公になった気分。

 ジェットコースターで、身体がふわりと浮いて、思いっきり叫んで。

 急流すべりで水の中にざぶーん。

 空中ブランコで空を飛んで。

 たちまちお昼になった。



「ねえ、福原くん、ご飯どうする?」

「実は予約してるんですよ」



 福原くんに連れて行ってもらったのは、高級そうなレストランだった。



「えっ、こんなところ、本当にいいの?」

「僕が勝手に予約したんですから、おごりますよ。それくらい、カッコつけさせてください」



 あたしの方が年上なのになぁ。

 まあ……いっか。

 レストランには行列ができていたけど、予約してくれていたおかげで、すぐに席に通してもらえた。



「花崎さん、何でも好きなの選んでくださいね」

「じゃあ……オムライスかなぁ」

「僕もそれにします」



 そういえば、福原くんと食事をするのはこれが初めてだ。

 丁寧にオムライスを崩す様子は、とても上品だった。

 あたしはくれぐれも、ケチャップを顔や服につけるなんてカッコ悪いことをしないよう、慎重に食べた。

 食べ終わってから、パレードが見れる場所に移動した。



「花崎さん、いい暇つぶしがありますよ。ネットで、面白いファンタジー小説見つけて。一時間くらいで読めると思うんです」

「へぇ、そうなの?」

「送りますね」



 夢の中で、さらに夢を見るような気分だった。

 人間の少年がエルフと恋に落ち、いずれ少年の方が先に死ぬとわかっていても、エルフはずっと少年のことを想い続けるという話だった。



「……花崎さん、泣いてます?」

「あっ、ちょっとうるってきちゃった……」

「花崎さんって感受性豊かですよね」

「恥ずかしいとこ見られちゃったな、もう」



 涙をぬぐったところで、軽快な音楽が流れ始めた。

 パレードの始まりだ。

 キャラクターが乗った車が、ゆっくりと近付いてきて、その周りを派手なダンサーが踊っている。

 ダンサーの一人がシャボン玉を吹いていて、それがふわふわとあたしのところにも漂ってきた。



「わあっ……!」



 あたしは思わず声をあげた。

 さっきまで、切ない物語の中に入り込んでいたのに、一気に心が塗り替えられてしまった。

 音楽、ダンス、笑顔……こんなにも、明るくてきらびやかなものがあったんだ。

 後から考えると、写真でも撮っておけばよかったかな、なんて思うけど。

 その時のあたしは、夢中で目の前の光景を見つめていた。



「ねえ、福原くん! すごかったね!
すごかったね!」

「はい! 場所取りした甲斐がありました」



 それからは、ペースを落として、コーヒーカップやメリーゴーランドに乗った。 

 最後にあたしが選んだのは、観覧車だ。 

 ゴンドラに向かい合わせに乗り、あたしはわくわくしながら言った。
 


「高いところ好きなんだ! どんな景色が見れるかな?」



 福原くんは、ぎゅっと握りこぶしを作って、引きつった笑顔を浮かべていた。

 あっ、まさか。



「福原くん……高いところ苦手?」

「バレましたか」

「ご、ごめんね? あたしったら、付き合わせて……」

「いいんですよ。それより……二人っきりですね」

「あっ……」



 ゴンドラはゆっくりと動いていく。

 あたしの心も動いていく。

 どんどんのぼる。高いところへと。



「福原くん。隣……行ってあげようか?」

「えっ……」

「こわいんでしょ? 隣の方がいいよ」

「はい……」



 あたしはそっと福原くんの左隣に腰掛けた。

 自分でも、大胆なことをしていると思う。

 けど、勝手に口と身体が動いてしまった。

 この気持ちは、きっと。多分。いや、絶対。



「……花崎さん、おかげでこわくないです」

「そっか」

「でも、外は見れないですね……」

「そうだ。頂上で写真撮ろう?」

「はい」



 観覧車の支柱を見つめて、頂上が近付いた時。

 あたしはスマホを構えた。
 


「いくよー」



 カシャッ。



「僕、上手く笑えてないですね」

「あたしも変な顔だ」



 ゴンドラが下りていく。

 でも、あたしの鼓動は高鳴ったまま。

 記念ができてしまった。男の子。福原くんとの。初デートの記念が。

 ゴンドラを出て、地上に足をつけた後も、あたしはどこかふわふわしていた。
 遊園地のゲートをくぐって、夢からは出てしまったはずなのに。

 あたしはまだ、現実の世界に帰ることができないでいた。

 乗り物にパレード、観覧車の記念写真……。

 福原くんと、たくさんの「初めて」を経験してしまった。

 電車の中で、福原くんが聞いてきた。



「あのぅ、花崎さん。今日は楽しかったですか?」

「楽しかった! すっごく楽しかった! なんかさ、あたし、振り回しちゃった?」

「そんなことないです。僕も楽しかったですよ」 

「良かったぁ」
  


 あたしが笑うと、福原くんはリュックから一枚の封筒を取り出した。



「これ……花崎さんが楽しめたのなら、渡そうと思って、持ってきたんです」 

「えっ……」 

「返事は急がないです。っていうか、返事しなくてもいいです。僕が一方的に、伝えたいことがあるだけですから」



 あたしは封筒を受け取った。白地に、水彩画だろうか、淡いピンク色の花が描かれたものだった。

 それをショルダーバッグの中に入れて、あたしたちはすっかり黙り込んでしまった。 

 期待、していいのかな? そういうことなのかな?

 福原くんの顔は、全く見ることができなかった。
 


「じゃあ、花崎さん。今日はありがとうございました」

「ありがとう、福原くん。その……返事、するから。絶対するから」

「……無理、しないでくださいね」



 早足で家に帰って、自分の部屋に飛び込み、震える手で封を開けた。

 男の子っぽいちょっと角ばった字で、こんなことがつづられていた。



『花崎梓さんへ。

 素直な気持ちを伝えます。

 僕は花崎さんが好きです。

 図書室だけじゃなくて、もっと色んな場所で、花崎さんと一緒に過ごしたいと思うようになりました。

 それで、遊園地に誘いました。

 きっと、僕にとって一生の思い出になると思います。

 けれど、僕は欲張りです。

 花崎さんと、もっともっと思い出を作りたいです。

 僕を彼氏にしてください。

 福原瞬より』



 ぽと、ぽと。

 涙が頬を伝っていた。

 どう返事をするかなんて、決まっている。

 だって。だって。

 あたしも福原くんのことが、好きなんだから。

 そのことには、観覧車で気付いた。

 あたしは、福原くんのことを、ただの図書委員仲間じゃなくて、一人の男の子として想っているんだ。



「あっ……でも、そっか」



 レターセットがないんだった。手紙なんて、誰にも書いたことがないから。

 福原くんも、これが初めての手紙だったのかな?

 そうだといいな。



「……よし」



 今日はもう遅い。

 明日、買いに行こう。そして、書いて、月曜日に渡そう。

 それからは、彼のことを……下の名前で呼ぶんだ。



fin

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