どのくらいの時間が経ったのだろう。
気づけば綺麗な夕陽がグラウンドを照らしている。

「はあー。」とため息をついた。
このまま、ぼーっとしていてもしょうがない。
神奈川県名門のシニアリーグから、宮城県の石巻まで出て来たのだ。

西村監督率いる宮城県立桜木高校に入学すれば”甲子園出場間違いなし”と教えてくれたのはシニア時代の佐々木監督なのだ。

この後のことは、佐々木監督に文句を言って転校手続きでもしてもらおう。

幸いにして僕は昔から勉強だけはよくできた。
テスト勉強とか特別なことはしなくても点数だけは良かったのだから、今からでも野球部名門高校くらいには受かるだろう。
あとはシニアの実績と佐々木監督の推薦があれば野球部にも所属できるはずだ。

僕はそんなことを考えながら学校から歩いて5分ほどの寮に着いた。
1年ではむりでも、2年ではレギュラー。3年にはスタメンで甲子園に出場する。
それが、僕の目標だ。注目の浴びるあの場所で成し遂げなければならないことがある。

小学校5年生の冬休みから始めた野球、ずっとこの目標のために生きてきたといっても過言ではない。

寮に着いて玄関を開けるとムッと男の汗臭い匂いがする。靴を脱ぎ捨て、スタスタと自分の部屋へ上がる。
寮の決まりで1年生はプライベートでスマホを触れるのは夜の21時から22時半のたった90分だけなのだ。
“学生たるもの青春を謳歌せよ”という校訓の元に作られたルールのようだが、どうも上級生の都合のようにしか考えられない。

まだ19時。とりあえずは着替えて晩御飯を食べに食堂へ降りていく。

食堂に入ると50人近くの男子学生が所狭しと集まっていた。どうりで今まで誰にも合わなかったわけだ。
この桜木高校は、1学年男子15人、女子15人の1クラス。
全寮制で、女子寮と男子寮に分かれているのだからこの食堂にほぼ全学年の男子が集まっていることになる。
皆んな、思い思いに食事にがっついている。割と賑やかだ。

僕も食堂の厨房の方に並べてある今日のメニューをお盆にとって、空いている席はないかと目で辺りをウロウロする。

「やあ、一郎くん、きみも今から食事かい?」

不意に後ろから声をかけられて振り返るとそこに仁太がいた。
仁太は教室で僕の席の前に座ってる、割と大柄な体型の人だ。
入学初日に仁太から声をかけられて、授業中でもそれなりに喋っている仲ではある。かなりの変わり者という感じだ。

「僕も今から食事なんだ。良かったらそこの席、丁度空いてるから一緒にどう?実は話したいこともあって」

そう言って、窓に面しているカウンター席に誘う。

「ああ、いいよ」
僕はそう返事して窓際の席に仁太と並んで座る。

窓からはグラウンドを間に挟んで校舎が見える。まだ職員室には電気が点いている。

「あのさ、入学してからもう5月の半ばだろ?どこの部活も新入生の体験入部は終わったはずだ。一郎はどこへ入部したの?」

これまた仁太は嫌なとこを悪気もなく聞いてくる。
それが仁太なのだ。

「そうだな。僕に合う部活は見つからなかった。せっかく仲良くしてくれた仁太には悪いけど僕は転校をも考えている。」

「え、なんで?桜木高校だよ!超名門高校で有名だよ。卒業生は皆んな海外の有名大学に入るか起業だってしてる。せっかく入学できたのに自分に合う部活がないからって転校する気?」
仁太がこいつバカなのかって雰囲気で聞いてくる。

対して僕は大真面目だ。最もこの学校がそんな進学校なのは知らなかった。何せ佐々木監督に勧められるがるままに受験したのだ。

「悪いな、仁太。僕には卒業後の人生なんて考えられない。とにかく甲子園にスタメンで出るんだ。
ここじゃ野球部もないからいたってしょうがない。悪かったな。」

そう僕が軽く詫びを入れて食事を箸でつつく。

しばらくすると仁太が口を開いた。

「あのさ、一郎、僕の目標も聞いてもらえないかな。一郎の目標はスタメンで甲子園に出場することだろ。」

「ああ、そうだ。」
僕は続けてと言わんばかりに顎で先を促す。


「一郎、僕の目標はこの学校で1番の偉業を成し遂げることなんだ。なあ、僕と君とでお互いの夢を叶えられるんじゃないか。協力できないかな。」

はあ、こいつ何言ってんだ。今度は僕が仁太をバカにする。

「仁太、どう解釈したら僕と君とで両方の夢を叶えられると思ったんだよ。」

仁太は箸を止めてまっすぐ僕の目を見た。

「僕らは野球部を作る、そんでもって甲子園に行く!
監督なしで甲子園出場なんてしたら大騒ぎだ。しかも桜木高校からともすれば尚更だ!」

あまりにも目を輝かせてまっすぐ見つめられるものだからドキっとしてしまったが、騙されてはいけない。
無茶がすぎる、西村監督なしで甲子園には行けない。そもそも人数が足りない。野球は9人必要だ。

校長室で見たアンケート結果が脳裏をよぎる。
内申点のためだの、練習がキツイなどと言っている連中とは付き合えない。

「まあ、仁太の壮大な目標は分かったよ。確かに甲子園に出場すればそれなりに注目は浴びるだろうよ。
けど、無理だよ。そんな甘い世界じゃない。
第一、仁太は野球やったことあるの?」

「やったことない」

開き直ったように、キッパリと言い放つ仁太に思わず苦笑する。
僕はこの話は終わりと言わんばかりに立ち上がって言った。

「まあ、学校で偉業を成し遂げる方法なんていくらでもある。生徒会長になるなり、学業で1番をとるなり頑張ってくれ。」

食べ終えた食器を返しにお盆に載せて厨房付近まで歩く。

さて、20時か。風呂に入って戻ってきたらちょうどいい時間だな。

さっさと風呂に入って少しゆっくりした僕は玄関近くの寮母室の窓口へ行って5人くらいの列の1番後ろに並ぶ。

皆んなスマホを使用するために順番が来たら学年と名前を言っている。

僕の番だ。
「1年 佐藤一郎 スマホを使用させてさください。」

「はい、佐藤くんね、えーと、はいこれ。ちゃんと10時半までに戻しに来てね」

50代半ばと思われる優しそうな寮母さんが手際よく渡してくれる。

「はい、ありがとうございます。」
そう言って僕は自室へスマホを持って上がる。

ドアを開けると同部屋の三田陸(さんた りく)と進藤吾郎(しんどう ごろう)がいた。出席番号順だから佐藤、三田、進藤で同部屋なのは仕方ない。

3人とも新入生で寮生活が始まったのは4月中頃、僕以外の2人はGW(ゴールデンウィーク )中、実家に帰っていたみたいだからまだお互いのことをよくは知らない。

今から電話をするのに2人に邪魔されたくなかったのでベランダに出ることにした。
洗濯物を干すくらいしかできない小さなスペースだが電話くらいならできる。

スマホに登録してある佐々木監督の番号を押す。

トゥルルルルル...

2回くらいの呼び出し音が繰り返された後、
「はい、佐々木です」と監督の声がした。

僕は息を吸い込んで、ただし至って冷静を装いながら言った。

「あ、遅くに失礼します。元神奈川のファイターズ シニアでお世話になってました佐藤一朗です。」

「あー、一郎か!どうした、急に。そっちでは元気にやっているのか?」
いつもの元気な佐々木監督の声がする。

「あー、はい。おかげさまで、元気にやっています。」
僕はそう言ってから後悔した。いや、違うな。僕は今かなり混乱している。

「あの、いえ実は、佐々木監督に聞きたいこととがありまして。」
僕は早速本題を持ち出す。

「うん、どうした、まあ一郎から早かれ遅かれ連絡が来るとは思っていたが。」
佐々木監督はいつも通りのテンションだ。

「あの、僕、ファイターズ引退の前に進路について佐々木監督に相談しました。僕はどうしても甲子園でスタメン出場したいと。」

うんうん、と電話の向こうで佐々木監督が頷いているのがわかる。
僕は続けて言った。

「そこで佐々木監督は高校教師の西村先生についていけば良いとおっしゃいました。
だから僕は西村先生の学校について調べたんです。そしたら宮城県立の桜木高校だと知って、入学したんです。」

そこまで言って僕は一旦黙る。

「それで、一郎は桜木高校に入学してどうしたんだ。野球部にでも入ったのか?」
佐々木監督は呑気にいつもの調子で聞いてくる。

「はい、そのつもりでした。ですが西村監督はもういません。教師を辞めたと聞きました。」

「ははは、あいつらしいな。すぐ辞める癖は変わっていない。くっくっ」
この状況に佐々木監督は面白がっている。そんな佐々木監督を軽蔑しながら怒りの気持ちを込めて嫌味を言う。

「おかげで、桜木高校で甲子園出場という望みは消えました。なので僕は学校を転校しようと思っています。そこで佐々木監督にはひとつお願いがあるのですが。」

「なんだ、お勧めの転校先でも探しているか?」
相変わらずの佐々木監督の物言いにイラッとする。

「いえ、転校先はもう自分で決めました。それに関しては今後佐々木監督に頼るつもりはありません。
監督には僕が野球部に入部できるよう学校側に推薦をお願いしたいのです。」

もうこんな肩透かしはたくさんだ。他人に相談した僕が悪い。今度こそ自分でインターネットを駆使して色々調べたのだ。
転入生でも部活に入れてすぐに公式試合に出場を許している高校はそんなにない。しかも野球部の強豪校となれば尚更だ。

「ほう、、んで、もう頼らないとか言いながら、結局俺に頼むんだろ? で、どこの学校なんだ?」
ほんとうに悪びれのない物言いにイラッとするが、頼む立場なのは確かだ。
転校先の強豪野球部に入部するのに推薦が必須なのは仕方がない。

「神奈川県 私立の橘高校です。この2年間で甲子園出場に春夏連覇しています。
同じ神奈川県なら監督の推薦さえあれば、ファイターズシニア時代の実績で十分だと思います。」

僕は内心の怒りを抑えてできるだけ謙遜になりながら言う。

「橘高校か。。」
佐々木監督がそう言ってしばらく沈黙が流れる。
嫌な時間だ。謝るなりさっさとしてくれればいいのに。
そんなことを思っていると、電話越しに佐々木監督の声がした。

「断る。」

プッチン。何かが切れる感覚が僕の中でとっさに走った。もう我慢ができない。
僕は声のトーンなんで気にせずに声を荒げた。


「どういうつもりですか。僕はファイターズ時代、監督を尊敬していました。
だからこそ、僕の、心の内だって打ち明けて相談したのです。

西村監督が辞任することは佐々木監督にも予想できなかったでしょう。それについて責めるつもりはありません。
ですが、推薦の頼みくらい聞いてくれても良いじゃないですか。
野球に対する取り組みだって他に劣っているとは思いません。」

かろうじて敬語だけを保ったがもう体裁なんて気にしていない。

「一郎、俺は確かに西村監督についていけば甲子園に行けるだろうと言った。
それは認める。だが、西村監督についていくために桜木高校に行けとは一言も言ってないぞ。」

は?どういう意味だ。確かに佐々木監督は桜木高校に行けとは言わなかった。
でも、それでは、どうやって西村監督に野球を教わるとことができると言うのだ。
僕は思ったままを口にした。

「桜木高校に行かずしてどうやって西村監督から野球を教わるというのですか。
それに、もし僕が甲子園に行くために桜木高校に入学する必要がないのであればどうして止めてくれなかったのですか。」
校長室に押しかけた時のようにやや早口になって問いただした。

「なあ、一郎、どうしてお前が桜木高校に入学できたか分かるか?」
佐々木監督は僕の質問にそんな呑気な質問で返してくる。

「知らないですよ。高校受験で合格したんです。
あまり自慢はしたくないですが、僕は中学時代、どちらかというと成績も良いほうでしたから。」
投げやりになって僕は言う。

「あー、そうだな。一郎は学年でトップの成績だった。俺はお前のファイターズ引退前に中学の先生から聞いて驚いたよ。
何せ、俺からみてもお前は3年間、ずっと野球に打ち込んでいたからな。いや、リトルリーグから考えるともう少しか。」
佐々木監督が何を考えているかわからない。だからどうしたと言うのか。
僕が押し黙っていると、佐々木監督が続けて言った。

「で、俺はその一郎の担任に聞いてみたんだ。“一郎に合う高校はどういうとこだと思いますか“とな。
まあ、もちろん野球部の強いところで。

そしたらその担任はこう言ったんだ。

“私は野球部のことはよく分かりません。ですが佐藤くんは大変優秀です。
おそらく神奈川県内でしたらどこの高校でも入学できるしょう。いや、県外の私立高校だって大抵のところは受かると思います。”
それからその担任は真面目な顔をして俺にこう言ってきたんだ。

“ただし、佐藤くんにはどこか危ういところがあります。優秀すぎてその力が有り余っているように見えるのです。
宮城県に私立の桜木高校という学校があります。
そこに行けば環境も整っており、佐藤くんの力も正しい方向に発揮できることでしょう。
ただし、入学するには学力以外に他の誰かの強い推薦が必要です。
担任の私が言うのも恥ずかしいのですが、佐藤くんは確かに成績は優秀です。
ですが他に何もないのです。授業をまじめに聞いているようでもなく、クラスの中心になっているようでもない。
ただ、野球の本を教室でずっと読んでいるのを目にしたものですから、もしかして普段野球に打ち込んでいるから学校では適当にしているのかと。
それでもし佐藤くん本人が望むのであれば、普段野球で関わっている佐々木さんに佐藤くんの推薦人になってほしいと思いまして。“

そう担任は俺に話を持ちかけた。で、俺は言ったんだ。
決めるのは本人。だがその時が来たら力になること。
そして機会があれば一郎に桜木高校を勧めるとな。」

ここまで佐々木監督は言うと黙った。僕は心の整理がつかない。みんなして僕を騙していたんだ。
「じゃあ、僕が佐々木監督に進路について心の内を打ち明けた時はすでに僕の担任と話した後だったと言うことですね。」

「あー、そうだ。言っとくが俺だって担任の言いなりになったつもりはない。俺なりに桜木高校については調べた。
対してお前はどうだ。よく調べもしないで俺の言葉の通りに鵜呑みにしたんだろ。別に俺は桜木高校に行けとは言ってない。
まあ、行っても良いと判断したから止めもしなかっんだがな。」

やっぱり僕は騙されてたんだ。

「確かに佐々木監督は桜木高校の名前は出しませんでした。でも西村監督の名前を出して、そこから僕が桜木高校にたどり着くことは予想していたということですね。」
自分で推理していて、いい加減腹が立つ。

「そう言うことになるな。西村が辞任したのは知らなかったが、あいつについていけば確実に甲子園に行けるのは確かだ。
今からでもすがってみるんだな。」
佐々木監督がそう言い放つ。
どうやら佐々木監督は僕が転校しないで野球部を続けるつもりと踏んだようだ。

僕には判断ができない。そこまでして桜木高校にしがみつく理由が全くない。

「いえ、僕は桜木高校に興味はありませんから。甲子園にスタメンで出場できるのならどこの高校へ行ったって構わないんです。
お願いですから転校先に推薦状を書いてください。編入試験には必ず受かりますから。」
さっきよりは落ち着いて、すがる気持ちで僕は佐々木監督に言う。

「お前の目標は充分に分かったよ。だけど俺も一郎のかつての指導者としての責任はある。
お前のためを思って言うぞ。

一郎なら桜木高校から甲子園に必ず行ける。
まずは西村にコンタクトをとってみろ。

それでもダメなら8月にもう一度俺のとこへ来い。
どうせ編入できるのは9月からだ。
一郎の学力ならそれから勉強したって編入試験を受けるのに遅くはない。

頑張れよ。応援してるから。」

佐々木監督はそう言って、電話を切った。