「何てことだ……」

リアンナ様より先にマルケロフ家に到着した僕は木の上で様子を伺っていた。
まさか侯爵が使用人を突き飛ばすだけでなく、実の娘に平手打ちをするとは思ってもいなかった。
迫害されていることは知っていたが、まさか暴力まで受けていたなんて……!

「いくら父親とはいえ、女性に手を挙げるなんて……」

ギリギリと歯を食いしばる。

クロイツ家は代々王族に使える騎士だった。騎士たるもの、か弱い相手には絶対に手を挙げてはならないと教わってきた。
それを、自分の目の前でリアンナ様が暴力を受けた。

リアンナ様は驚いた様子で父親を見つめ、背を向けて去っていく。そこへ、彼女の兄が追ってきた。

リアンナ様の兄、ベネディクト様も父親同様冷たい人間だということは知っていた。けれど、やはり血の繋がった妹。引き止めるために後を追ってきたのだろうと思っていたのだが、そうではなかった。

ベネディクト様はこちらに顔を向けるように、リアンナ様に何かを囁いた。途端に青ざめ、恐怖の顔を浮かべるリアンナ様。

だけど、リアンナ様が青くなるのは当然だろう。読心術を心得ている僕には、ベネディクト様が何と囁いたのか、はっきり分かってしまった。

『お前……俺が渡した毒を飲まなかったのだな。せっかく人が親切に渡してやったというのに』

「信じられない……まさか、妹に服毒自殺を図るように勧めたなんて……!」

彼らの恐ろしい姿を目の当たりにし、背筋がゾッとした。
マルケロフ家は何としてでも、リアンナ様が王太子妃に選ばれることを望んでいた。
けれど、殿下が選んだのは伯爵家のアンジェリカ様だった。

今夜のパーティーに殿下が迎えに来なかった段階で、勝敗は明らかだった。恐らく、相当リアンナ様は責められたはず。
にも関わらず、一縷の望みをかけてパーティーに出席したに違いない。

けれど、あんなに大勢の人々の前でリアンナ様は殿下に恥をかかされてしまった……。
一度席を外して次に戻ってきたときには別人のように性格が変わってしまっていたが、もしかするとあまりのショックで気が触れてしまったのかもしれない。
そう考えるのが筋だ。

そんなことを考えていると、いつの間にかリアンナ様は二人の使用人と馬車に乗り込んで何処かへ行こうとしていた。

「そうだ! こうしてはいられない!」

急いでその場でメモを取ると、肩に乗っている伝書鳩のオスカーに託した。

「頼む、急いで殿下の元へ飛んでくれ」

「クルックルッ」

オスカーは小さく鳴くと、バサバサと羽を広げて城の方角へ向かって飛んでいく。

「リアンナ様の後を追わなければ」

木から飛び降りると、急ぎ足で建物の影に隠しておいた愛馬に駆け寄った。

「行くぞ、スカイ!」

するとスカイは軽くいななき、走り始めた。
何としても、リアンナ様の後を追わなければ。

万一危険な目に遭った場合、あの方をお助けするために――!