玉響の花霞       あなたにもう一度恋を 弍

春の暖かな空気がエントランスから
フワリと舞い込む


まるでその風と一緒に桜の花びらが
一緒に吹き込むような心地いい春風に、
姿勢を正して丁寧にお辞儀をした。


「こんにちは。いらっしゃいませ。
 ご用件をお伺い致します。」


『あ‥えっと‥13時に約束してます
 ◯△産業の丸岡です。』


「◯△産業の丸岡様ですね。
 ‥‥本日企画課の河野との
 お約束を承っております。
 すぐに担当の者をお呼び致しますので
 あちらのソファにおかけになって
 お待ち下さいませ。」


『あ、はい‥‥
 ありがとうございます。』


もう一度丁寧にお辞儀を済ませると、
丸岡様はペコっと小さくお辞儀をして
ソファに向かい腰掛けた。


すぐに企画に連絡をしたあと
受付のパソコンの丸岡さまの欄に
来客済のチェックと、受付担当の欄に
『井崎 霞』と入力をした。


『先輩‥‥
 丸岡様がこちらを見てます。
 来る人くる人にモテますね?』


「‥‥花野さん。エントランスに
 お客様がいらっしゃる時は私語は
 厳禁です。」


『‥‥はぁい。』


「‥‥‥」


大好きなこの企業に勤めてもう2年目
となった私にも後輩が出来たのだが、
集中力がなく、どうしても日々の
注意が増えてしまっている


4年目の佐藤さんが休憩中の
この1時間が2人きりになり、
何も問題が起きませんように‥と
願っていた


『井崎さんたち休憩変わるわね。
 15時まで来客はないから、
 上でゆっくり休憩しておいで。』


「はい、ありがとうございます。
 花野さんも同期や他の人と
 休憩して来ていいよ。」


『ありがとうございますぅ。』


花野さんの話し方に佐藤さんと
2人で視線を交わすも、
お辞儀をしてから
休憩に行くことにした。



悪い子ではないんだけどな‥‥‥。


明るくて美人だしいい子なんだけど、
話し方と集中力がかなり乏しい。


今は仮配属期間だけど、
受付主の佐藤さんがどう好評するかは
まだ分からないところだ。


私もまだ2年目で完璧では
ないところもあるけれど、
昨年山崎さんと佐藤さんに
しっかり育てて頂いたおかげで
だいぶ受付業務が身にはついてきた



『霞、お疲れ様』


久しぶりの11階の社員食堂に
足を運ぶと、菖蒲が手を振る
姿を見つけて人を掻き分けながら
窓際に向かった。



「菖蒲、お疲れ様。
 今日もここに来れてよかった。」


『なかなか同じ会社にいるのに
 会えないけど霞とは夜ご飯の時に
 沢山会えるから。』


「そうだね。」


『それよりまた
 告白されたんだって?』


ドキン
何処から菖蒲にその情報が
回ったのか分からないけど、
顔を変に赤らめる私を見て小さく
溜め息を吐いた。


『最強のナイトがいなくなった途端って
 感じよね?霞は元々綺麗だもの。
 で?また断ったの?』


「‥‥うん。」


綺麗なんかじゃない‥‥。
受付に立つ以上は、身なりを整えて
メイクやネイルなどは清潔感や品が
出るように心がけてはいるけど、
普段なんてスッピンに近いし、
服だってカジュアルの物の方が
着やすくて好きだ。


菖蒲の方が美しい黒髪の
ロングストレートで顔立ちも
綺麗だから入社式の時から
美人だなってずっと思ってる


『もう半年以上経つんでしょ?
 そろそろ前を向かないと‥』


「うん‥‥分かってる。」


筒井さんに待ってて欲しいなんて
言われてはないし、私が勝手に
忘れたくないから想ってますと
伝えたままの恋だ。


あの星空の下で最後に何度も
優しく抱いてくれたことを
今でも忘れたくなくて覚えてる。


未練がましいと言われたらそれまでだ。



それぐらい私の中の筒井さんの存在は
誰にも入り込めないくらい大きい。


向こうで、筒井さんのことを笑顔に
して支えてくれる人が出来たら
仕方ないって伝えた。
その時は言って欲しいとも‥‥


心の奥底ではそんな連絡が来たら
相当落ち込むと思うけど、
それでも想うだけなら自由だ。


私にも筒井さんの存在を超える
誰かが現れるかもしれない。
だからその時までは自分の中に
芽生えたこの初恋をまだ終わらせたくは
なかった。


『私はさ‥霞がツラクないなら
 いいんだよ?だけど親友として
 幸せになってほしいって思ってること
 は忘れないで?』


菖蒲‥‥‥ありがとう
ちゃんと伝わってるよ‥‥


その日も花野さんの指導を
根気よく行う佐藤さんを心配しつつ
1日の受付業務をこなした後、
着替え終わった私は会社近くの
イタリアンレストランに向かった


『井崎さん、こっち。』


「亮さん!こんばんは。」


スーツ姿の亮さんを見つけると、
席に向かい椅子に腰掛けた。


筒井さんが旅立たれてからも、
亮さんとは月に1、2度こうして
会って一緒に食事をしているのだ


心配して誘ってくれてるのは
すごく伝わるけど、話やすくて
楽しいから私も甘えてしまっている


『お仕事お疲れ様。
 適当に頼んでまたシェアしようか?』


「はい、お任せします。」


筒井さん達行きつけの
イタリアンレストランに来るのも
3度目となり、前回は蓮見さんと
古平さんも含めた4人で食事をした



「今日はどうされたんですか?
 急なお誘いでビックリしました。」
『うん‥‥どうしてるかなって
 気になってたから。元気?』


お互い平日は電車で帰るので、
一杯だけ白ワインをいただき
亮さんと乾杯を軽くした。


「元気です‥‥‥表向きは。」


一口ワインを口に含むと
グラスをテーブルにそっと置いた


仕事中は集中してるし、
大きなミスに繋がるといけないから
いつも通りこなせてはいるけど、
こうしたオフの時間に筒井さんが
いないということを毎日思い知らされ
思いにふけってしまうのだ。


フランスは寒くないですか?
体調は崩していませんか?
そちらの空からも同じ星空は
見えていますか?


こう言ったことを遠くにいる
筒井さんに向けて心の中でいつも
思ってしまう


『そっか‥‥。それなら尚更
 今日誘ってよかったよ。
 とりあえず食べようか?』


「はい、美味しそうですね。
 お腹ペコペコです。」


パスタやピザをシェアして食べ、
亮さんとくだらない話や、最近の
近況などを話し合い時間が
あっという間に過ぎていく



『‥‥‥まだ‥滉一に会いたい?』


えっ?


少しだけ寂しそうに笑う亮さんに、
本当のことを言ってしまいたい気持ちを
抑えて小さく首を振った



「筒井さんはいつ帰って来れるか
 分からない自分を待つツラさを
 私には感じてほしくないから、
 あの日別れを告げようとしました。
 それなのに、私が忘れたくないから
 筒井さんのことを思う気持ちだけは
 無くしたくなくて子供みたいに
 我儘を言ったんです。」


『井崎さん‥‥それはきっと
 本音じゃないよ‥‥。
 井崎さんはまだ若いから、
 滉一のことを待つ時間よりも、
 井崎さん自身の時間を大事にして
 欲しかったんじゃないかな‥』


亮さん‥‥‥


「私‥‥やっぱり筒井さん以外は
 好きになれないんです。だから、
 大人になった私が楽しみと
 言ってくださったので今は
 やれることを一生懸命
 頑張るしかないと思います。
 そしていつかまた会えた時に、
 その姿を1番に見せたいです。
 寂しくて泣いてばかりの私だと
 心配させてしまうと思いますから。」


筒井さんに将来
他の恋人ができるかもしれない‥‥
それでもその時に泣いてしまう
私ではいたくない。
一瞬でも私と過ごした時間が
楽しかったって思って欲しいから。


『井崎さん変わったね。
 綺麗になったし強くなった。』


「本当ですか?
 お世辞でも嬉しいです。
 ありがとうございます。」


駅に着くと亮さんが、
優しく頭を撫でてくれた。


いつも気にかけてくれて、
話を聞いてくれたりこうして
会ってくれたりと、亮さんは
兄のような存在になっている気がする



『お世辞じゃないよ。
 滉一にも今すぐ見せたいくらいさ。
 また連絡する。気をつけてね。』
 
軽く手を振り亮さんと別れると
電車に乗って車窓から外を眺めた


筒井さん‥‥‥


あなたの心の中にまだ
私は少しでも存在してますか?


私はなかなかあなたのことを
忘れて前に進めそうにありません。



はぁ‥‥‥‥


悩んでても仕方ない。
今はとにかく仕事を頑張らないとな‥‥



「おはようございます。」


『おはよう、井崎さん。』


「あれ‥‥?花野さんはまだですか?」


今日は掃除当番なのに‥‥‥


着替え終えてから受付に行くと、
ちょうど電話が鳴ったので受話器を
取った。


「おはようございます。
 受付の井崎です。」


『霞ちゃんおはよう。蓮見だけど、
 花野さんの事で聞きたいことが
 あるから、少しだけ仕事終わりに
 面談いいかな?』


えっ?
花野さんのこと?なんだろう‥‥



「構いませんが‥あの‥‥
 今日、花野さんがまだ
 出社されてないんです。」


『ああ‥‥今日は体調崩して休むと
 連絡があった。』


体調不良?


昨日飲みに行くって言ってたけど、
夜から体調崩してしまったのだろうか‥


「そうなんですね‥分かりました。
 仕事終わり次第総務課に伺います」


『どうかした?』


「あ、花野さんが体調を崩された
 みたいでお休みされるそうです。」


体調は心配だけど、
ここは佐藤さんと2人だから
体制的には問題らない。
いつも通りミスなく頑張ろう‥‥


1日の業務も全く問題なく
終わらせた後、着替え終えた私は
7階の総務課に向かった



「お疲れ様です‥‥。」


『お、井崎さんお疲れ様。
 どうかした?こんな時間に』


入り口付近で変わらず仕事をしていた
古平さんにお辞儀をしてからIDを通して
総務課に入ると、遠くにいた蓮見さんが
気付いてくれこっちに向かってきた。


『お疲れ、仕事終わりに悪いな。』


「いえ。予定ないので平気ですよ。」


『こだちゃん、A会議室で面談
 してるからなにかあったら呼んで。』


『了解。井崎さんまたね。』


「はい、お疲れ様です。」


蓮見さんと面談なんて改めて
したことなかったから、少しだけ
緊張してしまう


ノリが良く、明るくてふざけている
ことの方が多いからこそ、いざ
仕事の話となると、仕事には
厳しい人だから話の内容が内容なだけに
気になっていたのだ。


『入って。好きなとこ座っていいよ。』


「はい、ありがとうございます。」



入り口付近の椅子に腰掛けると、
蓮見さんは1つ椅子を空けた場所に
座り小さく溜息を吐いた。


『早速だけど、花野さんの事をいくつか
 聞いても大丈夫?』


「はい、構いません。」


今更気づいたけれど、
蓮見さんが異性をちゃん付で
呼ばないことに違和感を感じた


『今朝、俺宛に送られてきた
 メールなんだけど
 見てもらってもいい?』

メール?


パソコンを開くと、
操作を少ししてから私の方に
画面をそっと見せてくれた。


「‥‥‥‥‥‥えっ!?
 これって‥‥どういうことですか?」



あまりの内容に驚いて両手で口元を
押さえてしまう‥


『当事者じゃないと分からないし、
 本当のことなら企業にとっても
 良くないことだから霞ちゃんには
 嘘偽りなく話して欲しいんだ。』


蓮見さんを見てから
コクコクと小さく頷くものの、
まだ信じられなくて少し体が震える



--------------------------------------------------


受付で毎日2人から
イジメにあっています。
佐藤さんからは心にもないことばかり
勤務中ずっと言われるし、
特に井崎さんは来る人くる人に
色目を使っていてウンザリです。
こんな会社辞めたいです。


花野 唯華
--------------------------------------------------


酷すぎる嘘の内容に、
今までやってきたことを否定される
ような気持ちにさせられ
頭が真っ白になってしまう


イジメ?
何をどう取ったらそう思うのだろう?


確かに語尾を伸ばしたり、私語が
多かったりと同じことでの注意は
毎日何度もしていたと思う。


でもそれは、私がここに配属された
時にプレッシャーのように感じた
【企業の顔】という事があってのことだ



だから前任の山崎さんや、佐藤さんから
厳しく育てられたけど、それをクリア
しないとここには立てないと思い
必死で覚えて見て学んできたのだ


『‥‥‥俺はずっと見て来たから
 2人に限ってこんなことは
 しない子だと思ってる。』



蓮見さん‥‥‥


パソコンの画面を閉じると、
私の方を向きツラそうな表情を
向けて来た。


『霞ちゃんはさ、特に滉一の事もあって
 距離感が近いのもあるけど、
 仕事に私情を挟むことは
 やっぱり出来ない‥‥。
 まだ上にはこれから報告になるし、
 さとちゃんからも話を聞かないと
 いけないからな。』


「佐藤さんは指導者として責任を持ち
 花野さんを育てています。
 私も昨年沢山失敗したからこそ
 教えて頂いたことを伝えて来ました。
 それでも花野さんがそれをそう感じて
 しまったなら‥私は何も言えません。
 私に関しても、色目を使ったことも
 一度もありません‥‥。」


自分ではちゃんとやってても、
受け取る側がそう感じたなら
フォローが足りなかったのかもしれない




でも‥‥
これは流石に落ち込む‥‥
ダメだ‥‥泣くな‥‥‥‥


『分かった。
 疲れてるのに悪かったね‥‥
 ありがとう、霞ちゃん。』
悪い子ではないと思っていた。
だからこそ、このメールの内容は
頭をガツンと殴られたような衝撃で
そのあとどうやって家まで帰って
来たのかも分からないほどのショックを
感じたのかもしれない


ずっと泣かずに前だけ向いて来たけど
やっぱりツラい‥‥


こんな時‥‥
筒井さんがいてくれたら‥‥


そばにいる人じゃなくて
居ない人を心が求めてしまう




黙って抱き締めてくれただろうか。
それとも鼻を思いっきり摘んで
叱ってくれるのかな‥‥‥


会いたい‥‥



今すごく会いたいです‥‥




引き出しから筒井さんから貰ったままの
ハンカチを取り出すと、そこに涙が
ポタポタといくつもシミを作り
両手でそれを抱き締めた



ブーブーブーブー


ビクッ!!!


電話?‥‥誰からだろう?


電気もつけていない部屋で、
鞄の内ポケットが光り、涙を手の甲で
拭いながら取り出して出た




「‥‥もしもし」


鼻声なことがバレないようになんとか
平静を装って声を出す


久しぶりにこんなにも
コントロール出来ず泣いてしまったから
相手に声色で伝わると申し訳ない。





『‥‥‥‥‥泣いてるのか?』


ドクン


えっ?


‥‥‥なんで?


私が会いたいなんて言ったから、
幻聴でも聞こえてきてるの?


そっと耳からスマホを離して
画面を見ると、記されていた
名前にまた涙が一筋流れていく



「‥‥‥筒井さ‥っ‥筒井さん‥‥
 筒井さ‥‥だ。」





1番聞きたかった声なのに、
元気な声を届けることが
出来なくて悔しい‥‥


それでも止まらない涙に
ハンカチで目元をグッと押さえる



『フッ‥‥‥何度も呼ばなくても
 聞こえてる‥‥‥だから泣くな。』


筒井さんだ‥‥‥
本当にこれは夢じゃないんだ‥‥



日本から遠く離れた場所から
届く声が愛しくて胸が苦しいほどに
締め付けられてゆく


泣きながら何度も何度も
首を縦に振り頷きながら
筒井さんのハンカチを握りしめる



「‥グス‥‥お元気ですか?」


『ああ‥‥‥‥お前は?』


「元気です‥‥グス‥
 今元気になりました‥‥だからもう
 大丈夫です。」



『‥‥‥‥』


なんで半年も経った今、私にこうして
電話をくれたのかなんて分からない。


でも、聞こえてくる筒井さんの声に
安心して、さっきまでの不安なんか
どうでもいいとさえ思えてる



「筒井さん‥‥‥」


『どうした?』


「いえ‥‥‥‥。
 声が聞けて嬉しかったです‥‥。
 お忙しいのにお電話くださって
 ありがとうございます‥。
 お体に気をつけて過ごされて
 ください。私も頑張ります。」


国際電話の料金はバカにならない。
筒井さんに負担がかかってしまうのが嫌で、電話を切らないとと思った。