「どうぞ、イレーネ嬢」

ゲオルグは自分が手配した馬車の扉を開けた。

「ありがとうごいます」

早速イレーネは馬車に乗り込むと、ゲオルグも後に続く。扉を閉めるとすぐに馬車は音を立てて走り始めた。

「どうだい? イレーネ嬢。この馬車の乗り心地は?」

何故か自慢気に尋ねてくるゲオルグ。

「そうですね。座面も背もたれも丁度良い具合ですね」

あまり馬車にこだわりがないイレーネは当たり障りの無い返事をする。

「やっぱり分かるか? この馬車は俺が自ら考案したんだ。特にこだわったのが椅子だ。絶妙な座り心地だろう? 実は馬車の内装も今後の俺の商売に取り入れようかと考えている最中なのさ」

「ゲオルグ様自ら考案とは素晴らしいですね。日々、仕事のことを考えていらっしゃるなんて。流石はルシアン様と血が繋がっているだけのことはあります」

すると何故か突然ゲオルグの顔が曇った。

「……やめてくれないか? あいつを引き合いに出すのは」

「え? 駄目なのですか?」

「ああ。あいつは昔から何かにつけ生真面目で、どこか俺を見下しているようなところがあったからな。確かにあいつの方がいい大学は卒業しているが……」

ブツブツ文句を言い始めるゲオルグ。一方のイレーネは話を半分にしか聞いていなかった。
何故かと言うと、馬車の中の暖かさと揺れで眠くなってきたからだ。

(眠い……眠いわ……。今にも意識が……)

必死で眠気をこらえるも、本能には抗えない。ついに……。

「ふわぁぁあ……」

我慢できずに、イレーネは大きな欠伸をしてしまった。勿論、一応淑女? らしく口元は手で隠したのだが。

しかし当然のように正面に座るゲオルグに見られてしまった。

「何だ? 眠くなったのか?」

「あ、お話中だったのに、失礼な真似をしてしまい、申し訳ございません」

すぐにイレーネは謝る。
てっきり不機嫌になるのではないかとイレーネは思ったが、ゲオルグの反応は予想外のものだった。

「何、別に気にすることはないさ。誰だって眠くなることがあるのだから」

「確かに仰るとおりですね。つい馬車の乗り心地が良かったもので眠気が来てしまったようです」

「お? 君は中々気の利いたことを言ってくれるじゃないか? 気に入ったよ。以前ルシアンが付き合っていた女性とは全く真逆のタイプだ。……おっと、婚約者の前でこれは余計な話だったかな。気に障ったなら許してくれ」

ゲオルグはニヤリと笑う。

「いいえ、別に気に障っておりませんので大丈夫ですわ」

イレーネも笑みを浮かべながら答える。その反応がゲオルグには意外だった。

(何だ? 本当に何も気にしていない態度だな。あえて意図的にこの話をしたのに)

ゲオルグがルシアンの過去の話を持ち出したのには理由があった。イレーネがルシアンの婚約者なのか、疑っていたのだ。
そこで、もう少しイレーネに揺さぶりをかけてみることにした。

「別に気にしていないのなら構わないが……本当にルシアンは女性の好みが変わったようだな。以前の女性は何処か冷たい印象のある美女だったんだよ。俺も何度か会ったことがあるのだが、世間にはあまり大っぴらに公表できない相手だったしな」

「そうだったのですね。少しも知りませんでした」

(そう言えば、以前ルシアン様とお食事に行ったとき、誰かと間違われたわね。その女性のことかしら?)

ぼんやりとイレーネは過去のことを思い出す。

「何? ルシアンから以前付き合っていた女性の話を聞かされていないのか!? 君は婚約者なのに? それはちょっと無いだろう?」

大げさに驚くふりをするゲオルグ。そして思った。

(やはり、2人は本当の婚約者同士じゃ無いかもしれないな……)

ゲオルグは益々イレーネのことを疑い始めた――