午前11時半――

コルトの町の中心部に到着すると、ルノーは馬車を止めて扉を開けた。

「町に着いたよ、イレーネ」

そして手を差し伸べた。

「ありがとう」

ルノーの手を借りて馬車を降りたイレーネは目を見開いた。

「まぁ、ここは……」

「そうだよ、イレーネが来たがっていた職業紹介所だよ」

「まさか、ここに連れてきてくれるとは思わなかったわ。ルノーは仕事が忙しい人だから、職場の近くまでで良かったのに」

ルノーが務める弁護士事務所は職業紹介所よりもずっと手前にあるのだ。

「何言ってるんだ。そんなはずないだろう? それに君のことだ。恐らく、途中で降ろせばここまで歩いてきていたんじゃないか? ドレス姿の女性を歩かせるわけにはいかないからな。大事なドレスを汚してしまったら困るのは君だ」

「あら……分かっちゃった?」

肩をすくめるイレーネ。
イレーネは薄紫色のツーピースのデイ・ドレス姿だった。このドレスは数少ない彼女のドレスで、面接に挑むための外出着である。

「大切なドレスまで大分手放してしまっただろう? もとからシエラ家は貧しい男爵家だったから、君は社交界デビューだって出来なかったじゃないか……今ならまだ間に合う。爵位を手放して、高額で金持ちの商人にでも売ってしまわないか? 俺に任せてくれれば、上客を紹介出来るぞ?」

屋敷を手放すことに反対のルノーは最後の説得を試みる。

「だから、それは出来ないって言ってるでしょう? ルノーは知らないの? 爵位があるだけで、好条件の仕事を紹介してくれるのよ?」

「そんなことくらいは知ってる。仮にも俺は弁護士だぞ?」

少しだけムッとした表情を見せるルノー。

「幼馴染のあなたが私を心配するのは分かるし、その気持は嬉しいけれど……私は祖父の遺言を守りたいの。それじゃ行くわね。良い仕事が斡旋してもらえることを祈っていて?」

「……分かった。行って来いよ」

イレーネは笑顔でルノーに手を振ると、ガラス張りの回転扉をおして職業紹介所へ足を踏み入れた――



****

「え〜と……イレーネ・シエラさん……現在二十歳ですね?」

イレーネの前にメガネを掛けた男性職員が、彼女の履歴書に目を通している。

「はい、そうです」

「……あぁ、なるほど……シエラ家……あまり聞いたことはありませんが男爵令嬢なのですね?」

「確かにあまり名門ではありませんが、これでも貴族令嬢の嗜みは身についています。それに私は二年間エステバン伯爵家でメイドとして働いていたこともあるので、一通りの仕事は出来る自信があります」

社交界デビューは出来なかったものの、祖父から一通りのマナーは教えてもらっている。それにこの町でエステバン伯爵家を知らない者はいない。

「確かに履歴書に記されていますね……それで、今回は住み込みの仕事を探されているのですね? しかもできるだけ早急に」

男性職員は求人票をパラパラとめくる。

「はい。今住んでいる屋敷は訳合って住めなくなりますので、住み込みの仕事でないといけないのです」

「……なら、この求人はいかがですか?」

男性職員は一枚の求人票に目を止めると読み上げた。

「一年間という期間限定ではありますが、とても給金の高いメイドの仕事が入っていますよ。雇用先はマイスター伯爵家で、未婚女性を募集していますね。もちろん住み込みで……月給は三十万ジュエル以上を出してくれるそうです」

「え!? 三十万ジュエルですか!? 衣食住保証でですよね!?」

イレーネがこの求人に飛びついたのは言うまでも無かった――