「イレーネ……随分、帰りが遅いな……」

ルシアンはソワソワしながら壁に掛けてある時計を見た。

「ルシアン様、遅いと仰られてもまだ21時を過ぎたところですよ? それに一応成人女性なのですから。まだお帰りにならずとも大丈夫ではありませんか? 大丈夫、きっとその内に帰っていらっしゃいますから。ええ、必ず」

「そういうお前こそ、心配しているんじゃないか? もう30分も窓から外を眺めているじゃないか」

ルシアンの言う通りだ。
リカルドは先程から片時も窓から視線をそらさずに見ていたのだ。何故ならこの書斎からは邸宅の正門が良く見えるからである。

「う、そ、それは……」

思わず返答に困った時、リカルドの目にイレーネが門を開けて敷地の中へ入ってくる姿が見えた。

「あ! イレーネさんです! イレーネさんがお帰りになりましたよ!」

「何? 本当か!?」

ルシアンは立ち上がり、窓に駆け寄ると見おろした。するとイレーネが屋敷に向かって歩いてくる姿が目に入ってきた。

「帰って来た……」

ポツリと呟くルシアン。

「ほら! 私の申し上げた通りではありませんか! ちゃんとイレーネさんは戻られましたよ!?」

「うるさい! 耳元で大きな声で騒ぐな! よし、リカルド! 早速お前が迎えに行って来い!」

ルシアンは扉を指さした。

「ルシアン様……」

「な、何だ?」

「こういうとき、エントランスまで迎えに行くか行かないかで女性の好感度が変わると思いませんか?」

「こ、好感度だって?」

「ええ、そうです。きっとルシアン様が笑顔で出迎えればイレーネさんは喜ばれるはずでしょう」

「何だって!? 俺に笑顔で出迎えろと言うのか!? 当主の俺に!?」

「そう、それです! ルシアン様!」

リカルドが声を張り上げる。

「良いですか? ルシアン様。まずは当主としてではなく、1人の男性としてイレーネさんを出迎えるのです。そして優しく笑顔で、こう尋ねます。『お帰り、イレーネ。今夜は楽しかったかい?』と」

「何? そんなことをしなくてはいけないのか?」

「ええ、世の男性は愛する女性の為に実行しています」

そこでルシアンが眉を潜める。

「おい、いつ誰が誰を愛すると言った? 俺は一言もそんな台詞は口にしていないが?」

「例えばの話です。とにかく、自分を意識して欲しいならそうなさるべきです。では少し練習してみましょうか?」

「練習までしないといけないのか?」

情けない声を上げるルシアン。

「ええ、そうです。はい、ではやってみましょう。まずは笑って下さい」

「こ、こうか……?」

ルシアンは口角を上げる。

「う~ん……口は笑ってるのに、目元は笑っていないですね‥‥…はっきり言って怖いです」

「怖いだって?」

「そう、それです。その表情がいけません。もう少し口角をあげて、目を細めてみてください」

「……これでどうだ?」

「まぁ、先程よりはマシでしょう。では早速先程の台詞を……」

その時。


――コンコン

書斎の扉がノックされ、イレーネの声が聞こえてきた。

『ルシアン様、いらっしゃいますか? ただいま戻りましたのでご挨拶に伺いました』

「大変だ! お帰りになられたのだ!」

リカルドは急いで扉に向かい、大きく開け放した。

「きゃあ!」

突然目の前の扉が開き、驚くイレーネ。

「驚かせてしまい、申し訳ございません。お帰りなさいませ、イレーネさん」

リカルドが笑顔で出迎える。

「あ…‥只今戻りました。リカルド様」

2人の様子を見て、唖然とするルシアン。

(何だって言うんだ? リカルド! お前が先にイレーネに声をかけてどうする!)

すると、すぐにイレーネがルシアンに笑顔を向けた。

「ルシアン様、戻ってまいりました。遅くなってしまい、申し訳ございませんでした」

「いや、気にすることはない。それで‥…その楽しかったか?」

先程練習した通り、笑顔を作るルシアン。

「はい、とても楽しかったです。素晴らしい体験をすることが出来ました」

「そうか、それは良かったな」

「では、これで失礼致しますね」

イレーネのあっさりした挨拶にルシアンは驚く。

「何だって?」

「え? 失礼致します……と言ったのですが?」

「い、いや! そ、そんな意味で聞いたわけではないのだが……」

「くっ……」

2人の噛み合わない会話に、リカルドは肩を震わせながら必死で笑いを堪えている。

そんなリカルドを一瞬、睨みつけるとルシアンは気を取り直してイレーネに話しかけた。

「ま、まぁいい。遅くまで出かけていたので疲れているだろう。部屋に戻って休むといい。それで‥…明日は、また何か用事でもあるのか?」

「いえ、特に何もありませんが?」

「そうか……なら、明日一緒に出掛けよう。連れて行きたい場所があるのだ」


イレーネの為に何かしてやりたいと考えていたルシアン。

実は密かに、ある計画を立てていたのだった――