――18時

仕事を終えたルシアンはマイスター家には寄らずに、真っ直ぐイレーネがいる家にやってきた。

「ルシアン様。こちらでお待ちしておりましょうか?」

 馬車を降りたルシアンに青年御者が声をかける。

「ああ。……いや、先に帰っていい」

「え? ですが……」

怪訝そうな顔になる御者。

「……ひょっとすると、状況次第では彼女にただ会うだけでは収まらなくなるかもしれないからな。場合によって、かなり遅くなるかも知れない。だから先に帰ってくれ……ん? 何故そんな顔で俺を見る?」

ルシアンは赤い顔で自分を見つめる御者に首を傾げる。

「ル、ルシアン様……あ、あまり強引な真似はどうぞ……なさらないで下さいね? 約束ですよ!? 相手は……レディーなのですからね!?」

「あ? ああ……分かった。約束しよう」

何のことか分からないまま、ルシアンは頷く。

「本当ですよ? 絶対に約束ですからね! こ、これは……主と使用人としてではなく、男同士の約束ですから! で、では……失礼します!」

御者はそれだけ告げると、馬車を走らせて去っていった。

「……全く一体何だったんだ? 理由が分からん」

ルシアンは首を傾げるとイレーネの元へ向かった。


「……まさか、またこの家を訪問することになるとは思わなかったな……」

2年前の辛い出来事を思い出し、ルシアンの胸がズキリと痛む。

(彼女はこの家が不満で……いつも不機嫌な顔で俺を迎えていたっけ……)

そんなことを考えながら、ルシアンはドアノッカーを掴むとノックした。

――コンコン

すると……。

『は〜い!』

元気な声が響き、ドアが大きく開かれた。

「ルシアン様! こんばんは!」

イレーネは満面の笑みを浮かべてルシアンを迎える。その姿に一瞬ルシアンは息を呑む。

「あ、あぁ……こんばんは」

何と応えれば良いか分からず、同じ返事をし……思い直した。

「イレーネ。こんばんは、じゃない。いいか? 君のような若い女性がいきなり確認をせずにドアを開けるのは危険だ。ほら、ここに丸い穴が開いているのが見えるだろう? これで外を確認してから開けなさい。俺だったから良かったものの、変な男だったらどうするつもりだ?」

つい、くどくど説教じみたことを言ってしまう。

「あ、それなら大丈夫です。窓からルシアン様が馬車を降りる姿が見えましたので」

「え? そう……だったのか?」

「はい、でも私のことを心配して来てくださったのですね? 嬉しいです。ありがとうございます」

ニコニコ笑顔でお礼を述べるイレーネ。

「い、いや……それは当然だろう。何しろ、俺と君は……」

「はい、契約で結ばれたパートナーですから」

「……そう、だな」

複雑な気持ちを押し込めたまま、頷くルシアン。その時、家の中に良い匂いが漂っていることに気づいた。

「この匂いは……?」

「あ、そうですわ! 丁度今、シチューが出来たところなのです。良かったら今夜こちらでお食事されていかれませんか?」

「君が……作ったのか?」

あまり貴族令嬢が料理を作る話をルシアンは聞いたことが無かった。

「ええ、そうです。どうでしょうか?」

「そうだな。いただくことにしよう……か」

「本当ですか? ではどうぞリビングにお入り下さい。私はシチューの準備をしてまいりますので」

笑顔でイレーネはルシアンを部屋に招き入れる。

「……ありがとう」

ルシアンの口元に笑みが浮かび……次の瞬間、凍りつく。

「な、な、何だ……これは……!!」

何とダイニングテーブルの上には例の写真が飾られていたからだ。

(何で、こ、この写真が……ここに飾られているんだ!)

ルシアンが仰天したのは言うまでもない――