「カラルタン島が見えたぞー!」
島が見えた、という見張りの報告に、甲板が沸き立った。はしゃぐような男たちの様子に、奏澄は首を傾げた。
「なんか、やけに嬉しそう?」
「緑の海域は全体的に食糧が豊富で、中でもカラルタン島は美食の島とも言われている」
「なるほど。美味しいものは世界共通で人を幸せにするものね」
日本人は食にうるさい。真面目な顔で頷く奏澄を、メイズは不思議そうに眺めた。
ひとまずコンパスに従い、緑の海域へと進路をとった奏澄たちは、カラルタン島に船を寄せた。
島に降り立つと、奏澄は蒸し暑さに顔を扇いだ。
「ここ、湿度が高いね」
「雨が多いからな。スコールに気をつけておけ」
緑の海域というだけあって、鮮やかな緑が一面に広がっている。この森林は、豊富な雨によるものなのだろう。赤の海域ではカラリとした気候が多かったので、余計に湿気を感じる。
「船長、あの、俺ら」
「ああ、はい。どうぞ、各自自由行動で」
「よっしゃー!!」
そわそわと落ちつきのない乗組員に声をかけられ、奏澄が許可を出すと、わっと歓声を上げて方々に散った。元々ドロール商会とは、島では自由にしていいという契約だ。本来なら奏澄に許可を取る必要も無いのだが、船長を立ててくれているのだろう。
「いいのか?」
「とりあえず指してる方向に来たけど、この島を指してるってわけじゃなかったし。全員で調査することもないかなって。みんな楽しみにしてたみたいだし、好きに過ごしてもらおう」
「まぁ、ここに何かあるとは考えにくいしな。俺たちも腹ごしらえするか」
「そうだね」
美食の島だけあって、あちこちに店が構えてある。ガイドブックがあるわけでもなし、どこが良いのかはさっぱりなので、適当に決めた店に二人で入る。
メニューからは中身が想像できなかった奏澄は、店員におすすめを聞いていくつか注文し、一息つく。すると突然、厨房の方から何かが割れる音と怒号が飛んだ。
「てめぇ邪魔なんだよ! でけぇ図体しやがって!」
「す、すみません!」
思わず身を竦ませる奏澄。謝罪の声が聞こえたが、その後も文句は続いているようだった。ホールの店員が「失礼しました」と一言入れていたが、それも耳に入らなかった。
「出るか?」
「え!? い、いや大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから」
奏澄が怯えたことに気をつかったのだろうが、奏澄としては注文も済ませてしまった店から居心地が悪いというだけで、一口も食べずに出るという選択肢は無い。周りの客も一瞬ざわついたが、それほど気にしている様子は見られない。よくあることなのかもしれない。
「お待たせしました」
料理が運ばれてくると、ふわりと食欲を刺激する香りが鼻をくすぐった。
「いただきます」
手を合わせ、食事に口をつける。まず最初に温かなスープを口に含むと、じゃがいものような優しい甘さが口に広がった。
「わ、これ美味しい」
「さすがカラルタン。食に関しちゃ外れがないな」
スープの後にも、肉や魚、果物を使った料理など色々口にしたが、奏澄は最初に食べたスープの味が忘れられなかった。おそらくあれはじゃがいもだと思うのだが、土地特有の芋だったりするのだろうか。口当たりが非常になめらかだったが、自分で作るとなると普通に裏ごししたのではああはならないだろうか。もう一度食べておきたい気もするが、せっかくなら他店も色々食べてみたい。
非常に悩ましいが、今すぐにこの島を発つわけでもない。また後で考えようと、奏澄はメイズと店を出た。
さてどうしようかというところで、ぽつぽつと水滴が降ってきたかと思うと、あっという間に強い雨に変わった。
「タイミングが悪いな」
店に戻れば雨宿りくらいはさせてくれるだろうか、と視線を巡らせたところで、奏澄の目が人影を捉えた。
「カスミ?」
「メイズ、ごめんちょっと」
店の裏手の方に駆け出した奏澄の後を、メイズが溜息一つ吐いてから追いかける。
「大丈夫ですか!?」
奏澄が声をかけた大柄な男は、野菜の入った籠を抱えたまま振り返った。
「え……!? え、あの」
「これ、中に運べばいいんですか?」
言いながら、奏澄はスコール用に持っていた防水布を地面に置かれた籠にかけた。
「そ、そうだけど、あの」
「濡らさない方がいいんですよね。手伝います」
「お、お客さんにそんなことさせられないよ!」
「早くしないと水びたしになるぞ」
籠を抱えあげたメイズを見た男はぎょっとして、少し逡巡した後、頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
無事店のバックヤードに全ての籠を運び込み、男はその大きな体を丸めるようにして頭を下げた。
男から店の備品であろうタオルを渡されて、二人は雨に濡れた体を拭く。
「いえ、食材が無事で良かったです。何だか無理に割り込んでしまって、すみません」
「いや、そんな、助かりました」
「良ければ、スコールが止むまでここで雨宿りできると助かるのですが」
「は、はい。そのくらいは……多分、大丈夫だと、思います」
おどおどとした会話のテンポに、奏澄はなんだか自分と似たものを感じた。
「あんた、ここの店員だよな」
「そ、そうです。ここの厨房で働いている、アントーニオといいます」
アントーニオと名乗った男は、二メートルはあろうかという身長に窮屈そうにコック服を着こんでいた。体全体に厚みがあり、熊のような体格をしている。しかしその見た目に反して気は弱そうで、遠慮がちに背を丸めている。
「何で外で作業なんかしていた? ここいらはスコールが多いのはわかり切っているだろう」
「あ……そ、それは」
彼はどうやら、外で皮むきの作業をしていたようだった。そのままの野菜なら多少雨に濡れても問題は無かっただろうが、皮のむかれた野菜が雨ざらしというのはいただけない。慌てて運び込んでいる姿が見えたので、奏澄は手伝いに向かったのだった。
俯いてしまったアントーニオに、奏澄がフォローを入れる。
「メイズが不躾なことを、すみません。名乗り遅れましたね。私は奏澄、彼はメイズです」
「ど、どうも」
「その……違っていたら、すみません。もしかして、先ほど厨房で怒鳴られて……?」
彼の声に聞き覚えのあった奏澄は、おそるおそる尋ねた。何か事情があるのかもしれない。
「あ……き、聞こえていたんですね。恥ずかしいなぁ」
から笑いをしながら、アントーニオはますます俯いた。
「ぼく、体がこんななので。でかくて邪魔だとか、ウドの大木だとか、言われて。ついに厨房から追い出されちゃって、それで外で作業してたんです」
「それは……」
職人の世界でよくある、いじめのようなものなのだろうか。店の内部のことに、奏澄が口を出すべきではない。それがわかっていても、奏澄の胃はキリリと痛んだ。
「ぼくは、前の料理長に誘われて、この店に入ったんですけど。二代目に、嫌われていて。もうずいぶん、前菜のサラダやスープしか作らせて貰えなくて」
「あ……もしかして、今日のスープも、あなたが?」
「え? はい、そうですけど」
「あのスープ、すごく美味しかったです! どうやって作ったんだろうって、また食べたいってずっと考えてました」
「ほ、ほんとですか!」
先ほどまでの落ち込んだ様子とは一変して、アントーニオの瞳がきらきらと輝きだした。
「わぁ、嬉しいなぁ。二代目になってから、お客さんの前に出ることもほとんどなくなって……味の感想を聞くこともなかったから」
少年のような笑顔に、奏澄の顔が綻ぶ。アントーニオは、本当に料理が好きなのだ。
「待遇が不満なら、辞めたらどうだ」
「メイズ!」
窘める奏澄に、メイズは何が問題なのかわからない、という顔だった。
おそらく、メイズのような意志のはっきりした人にはわからない。ここに居たいわけじゃない。それでも、いざ離れるとなると、不安がつきまとう。辞めると言ったとして、うまく辞められるのか。次は見つかるのか。悪い噂を流されたりしないか。これ以上悪くなるくらいなら、現状を耐え忍んだ方がまだましなのではないか。知らない恐怖よりは、知っている恐怖の方が、体が慣れている。
そういう、黒く渦巻く負の感情に取りつかれ、身動きのできなくなる状態が。わからない人には、わからない。
ただでさえアントーニオには、初代の時には上手くいっていた記憶が残っている。この店に思い出もあるだろう。そうすぐに決断できることではない。
しかし、いわゆるブラックな職場なのだとしたら。思考力を奪われるほど、長居するのも良くはない。
「私たち、しばらくはこの島にいるので。何か力になれることがあったら、言ってくださいね」
「あ……ありがとう」
力なく笑ったアントーニオに、奏澄も感情を飲み込んで、笑みを返した。歯痒さはあるが、無責任なことも言えない。
雨も上がり、二人は店を後にした。
島が見えた、という見張りの報告に、甲板が沸き立った。はしゃぐような男たちの様子に、奏澄は首を傾げた。
「なんか、やけに嬉しそう?」
「緑の海域は全体的に食糧が豊富で、中でもカラルタン島は美食の島とも言われている」
「なるほど。美味しいものは世界共通で人を幸せにするものね」
日本人は食にうるさい。真面目な顔で頷く奏澄を、メイズは不思議そうに眺めた。
ひとまずコンパスに従い、緑の海域へと進路をとった奏澄たちは、カラルタン島に船を寄せた。
島に降り立つと、奏澄は蒸し暑さに顔を扇いだ。
「ここ、湿度が高いね」
「雨が多いからな。スコールに気をつけておけ」
緑の海域というだけあって、鮮やかな緑が一面に広がっている。この森林は、豊富な雨によるものなのだろう。赤の海域ではカラリとした気候が多かったので、余計に湿気を感じる。
「船長、あの、俺ら」
「ああ、はい。どうぞ、各自自由行動で」
「よっしゃー!!」
そわそわと落ちつきのない乗組員に声をかけられ、奏澄が許可を出すと、わっと歓声を上げて方々に散った。元々ドロール商会とは、島では自由にしていいという契約だ。本来なら奏澄に許可を取る必要も無いのだが、船長を立ててくれているのだろう。
「いいのか?」
「とりあえず指してる方向に来たけど、この島を指してるってわけじゃなかったし。全員で調査することもないかなって。みんな楽しみにしてたみたいだし、好きに過ごしてもらおう」
「まぁ、ここに何かあるとは考えにくいしな。俺たちも腹ごしらえするか」
「そうだね」
美食の島だけあって、あちこちに店が構えてある。ガイドブックがあるわけでもなし、どこが良いのかはさっぱりなので、適当に決めた店に二人で入る。
メニューからは中身が想像できなかった奏澄は、店員におすすめを聞いていくつか注文し、一息つく。すると突然、厨房の方から何かが割れる音と怒号が飛んだ。
「てめぇ邪魔なんだよ! でけぇ図体しやがって!」
「す、すみません!」
思わず身を竦ませる奏澄。謝罪の声が聞こえたが、その後も文句は続いているようだった。ホールの店員が「失礼しました」と一言入れていたが、それも耳に入らなかった。
「出るか?」
「え!? い、いや大丈夫! ちょっとびっくりしただけだから」
奏澄が怯えたことに気をつかったのだろうが、奏澄としては注文も済ませてしまった店から居心地が悪いというだけで、一口も食べずに出るという選択肢は無い。周りの客も一瞬ざわついたが、それほど気にしている様子は見られない。よくあることなのかもしれない。
「お待たせしました」
料理が運ばれてくると、ふわりと食欲を刺激する香りが鼻をくすぐった。
「いただきます」
手を合わせ、食事に口をつける。まず最初に温かなスープを口に含むと、じゃがいものような優しい甘さが口に広がった。
「わ、これ美味しい」
「さすがカラルタン。食に関しちゃ外れがないな」
スープの後にも、肉や魚、果物を使った料理など色々口にしたが、奏澄は最初に食べたスープの味が忘れられなかった。おそらくあれはじゃがいもだと思うのだが、土地特有の芋だったりするのだろうか。口当たりが非常になめらかだったが、自分で作るとなると普通に裏ごししたのではああはならないだろうか。もう一度食べておきたい気もするが、せっかくなら他店も色々食べてみたい。
非常に悩ましいが、今すぐにこの島を発つわけでもない。また後で考えようと、奏澄はメイズと店を出た。
さてどうしようかというところで、ぽつぽつと水滴が降ってきたかと思うと、あっという間に強い雨に変わった。
「タイミングが悪いな」
店に戻れば雨宿りくらいはさせてくれるだろうか、と視線を巡らせたところで、奏澄の目が人影を捉えた。
「カスミ?」
「メイズ、ごめんちょっと」
店の裏手の方に駆け出した奏澄の後を、メイズが溜息一つ吐いてから追いかける。
「大丈夫ですか!?」
奏澄が声をかけた大柄な男は、野菜の入った籠を抱えたまま振り返った。
「え……!? え、あの」
「これ、中に運べばいいんですか?」
言いながら、奏澄はスコール用に持っていた防水布を地面に置かれた籠にかけた。
「そ、そうだけど、あの」
「濡らさない方がいいんですよね。手伝います」
「お、お客さんにそんなことさせられないよ!」
「早くしないと水びたしになるぞ」
籠を抱えあげたメイズを見た男はぎょっとして、少し逡巡した後、頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
無事店のバックヤードに全ての籠を運び込み、男はその大きな体を丸めるようにして頭を下げた。
男から店の備品であろうタオルを渡されて、二人は雨に濡れた体を拭く。
「いえ、食材が無事で良かったです。何だか無理に割り込んでしまって、すみません」
「いや、そんな、助かりました」
「良ければ、スコールが止むまでここで雨宿りできると助かるのですが」
「は、はい。そのくらいは……多分、大丈夫だと、思います」
おどおどとした会話のテンポに、奏澄はなんだか自分と似たものを感じた。
「あんた、ここの店員だよな」
「そ、そうです。ここの厨房で働いている、アントーニオといいます」
アントーニオと名乗った男は、二メートルはあろうかという身長に窮屈そうにコック服を着こんでいた。体全体に厚みがあり、熊のような体格をしている。しかしその見た目に反して気は弱そうで、遠慮がちに背を丸めている。
「何で外で作業なんかしていた? ここいらはスコールが多いのはわかり切っているだろう」
「あ……そ、それは」
彼はどうやら、外で皮むきの作業をしていたようだった。そのままの野菜なら多少雨に濡れても問題は無かっただろうが、皮のむかれた野菜が雨ざらしというのはいただけない。慌てて運び込んでいる姿が見えたので、奏澄は手伝いに向かったのだった。
俯いてしまったアントーニオに、奏澄がフォローを入れる。
「メイズが不躾なことを、すみません。名乗り遅れましたね。私は奏澄、彼はメイズです」
「ど、どうも」
「その……違っていたら、すみません。もしかして、先ほど厨房で怒鳴られて……?」
彼の声に聞き覚えのあった奏澄は、おそるおそる尋ねた。何か事情があるのかもしれない。
「あ……き、聞こえていたんですね。恥ずかしいなぁ」
から笑いをしながら、アントーニオはますます俯いた。
「ぼく、体がこんななので。でかくて邪魔だとか、ウドの大木だとか、言われて。ついに厨房から追い出されちゃって、それで外で作業してたんです」
「それは……」
職人の世界でよくある、いじめのようなものなのだろうか。店の内部のことに、奏澄が口を出すべきではない。それがわかっていても、奏澄の胃はキリリと痛んだ。
「ぼくは、前の料理長に誘われて、この店に入ったんですけど。二代目に、嫌われていて。もうずいぶん、前菜のサラダやスープしか作らせて貰えなくて」
「あ……もしかして、今日のスープも、あなたが?」
「え? はい、そうですけど」
「あのスープ、すごく美味しかったです! どうやって作ったんだろうって、また食べたいってずっと考えてました」
「ほ、ほんとですか!」
先ほどまでの落ち込んだ様子とは一変して、アントーニオの瞳がきらきらと輝きだした。
「わぁ、嬉しいなぁ。二代目になってから、お客さんの前に出ることもほとんどなくなって……味の感想を聞くこともなかったから」
少年のような笑顔に、奏澄の顔が綻ぶ。アントーニオは、本当に料理が好きなのだ。
「待遇が不満なら、辞めたらどうだ」
「メイズ!」
窘める奏澄に、メイズは何が問題なのかわからない、という顔だった。
おそらく、メイズのような意志のはっきりした人にはわからない。ここに居たいわけじゃない。それでも、いざ離れるとなると、不安がつきまとう。辞めると言ったとして、うまく辞められるのか。次は見つかるのか。悪い噂を流されたりしないか。これ以上悪くなるくらいなら、現状を耐え忍んだ方がまだましなのではないか。知らない恐怖よりは、知っている恐怖の方が、体が慣れている。
そういう、黒く渦巻く負の感情に取りつかれ、身動きのできなくなる状態が。わからない人には、わからない。
ただでさえアントーニオには、初代の時には上手くいっていた記憶が残っている。この店に思い出もあるだろう。そうすぐに決断できることではない。
しかし、いわゆるブラックな職場なのだとしたら。思考力を奪われるほど、長居するのも良くはない。
「私たち、しばらくはこの島にいるので。何か力になれることがあったら、言ってくださいね」
「あ……ありがとう」
力なく笑ったアントーニオに、奏澄も感情を飲み込んで、笑みを返した。歯痒さはあるが、無責任なことも言えない。
雨も上がり、二人は店を後にした。