妊娠のことは、メイズ以外には安定期まで隠しておこうかと思っていた。しかし、既に悪祖の症状が出ていることもあり、暫く共に航海するならと、仲間たちにも伝えられた。そしてついでとばかりに、結婚することも伝えた。
 二重の報告に、仲間たちの驚きようは凄かった。コバルト号は一気に拍手喝采に包まれた。

「ええええ!? おめ、おめでとう!!」
「なんだいなんでそんな大事なことさっさと言わないのさ!」
「マジで俺全然気づかなかった、え、あ、歩いて大丈夫なんですか?」
「船長が……ついに人妻に……」
「おめでとうございます船長おおお!!」

 わあわあと祝福されて、奏澄は顔が緩むのを止められなかった。こんな風に手放しで祝福されることは、とても嬉しい。
 ああ、この子は、これだけの人に祝福されて生まれてくるのだ。なんて幸せな子だろう。

「なぁ、結婚式はいつすんの?」

 レオナルドの一言に、喧騒がぴたりと止んだ。

「絶対しない」

 それに答えたのはメイズだった。

「は!? メイズさん何言ってんの!?」
「甲斐性無し」
「見損ないました」

 エマ、マリー、ローズと女性陣に立て続けに罵倒されて、メイズがたじろぐ。それを奏澄は苦笑しながら見ていた。そういうことは苦手だろうと思っていたから、元々期待はしていない。

セントラル(ここ)ならいくらでも教会あるし、今のうちに済ませた方が早いんじゃねぇか?」
「いやぁ……オレらがセントラルで結婚式ってのも、なかなかシュールだと思うけどね」

 ラコットの疑問に、ライアーが半眼で答える。
 確かに、セントラルは神の国だ。教会には困らない。しかし、今までのセントラルとの関係を考えれば、祝い事をこの国でするというのも、なかなかに度胸の要る話だ。

「提案はありがたいんだけど、今すぐはいいかな」
「えー! だってこういうの後回しにすると、絶対なぁなぁで流されるよ!」

 エマの剣幕に、奏澄もやや引き気味になる。なんだろうかこのパワーは。

「うーん、でも、結婚式にはアントーニオさんがケーキ作ってくれるって約束だから。どうせなら、お腹いっぱい食べたいし? 生まれてからの方がいいかなって」
「あぁー……そうかぁー」

 妊娠中であることを理由にすれば、エマの勢いも引いた。今の状態で、ご馳走はちょっと食べられない。
 花嫁からもそう言われれば、周囲が推し進めるわけにもいかないと、結婚式はとりあえず後回しになった。

「それで、これからなんだけど。お世話になった四大海賊の人たちに、挨拶回りをしようかなって」
「船旅なんかして、体調は大丈夫なのかい?」
「うん、今のところは。具合悪くすることもあると思うけど、陸にいるからって治まるものじゃないし。もちろん、予定日近くなったら降りるけどね。子どもが生まれたら旅をするのは難しいから、むしろこれが最後のタイミングかなって」
「……そっか。そうだね」

 心配そうにしていたマリーも、奏澄の笑みに頷いた。
 そう。これが、最後の旅になるだろう。だから。

「もう少しだけ、私に付き合ってくれますか?」

 大声で問いかけた奏澄に、仲間たちは笑顔で応、と答えた。



*~*~*



 特にセントラルに長居する用も無いし、休息も補給も充分ということで、たんぽぽ海賊団はまずアルメイシャ島に向かった。ドロール商会が再開されてから一度も寄っていないので、様子を見ておきたいとのことだった。

 ドロール商会はすっかり元通り再開しており、島は元の活気を取り戻していた。久しぶりの商会長の帰還に、商会員たちも総出で迎えた。
 内部の整理に数日だけ欲しいというマリーに、奏澄は快く了承した。久しぶりのアルメイシャだ。ゆっくり見て回ろう、と思っていた奏澄だったが。

「カスミはちょっと見てほしい物とかあるから! 一緒に商会来て!」

 エマとローズに引きずられ、カスミは何故かドロール商会へ向かった。
 そして更に謎なことに、品物の目利きを頼まれた。そんなものはカスミにはさっぱりわかるわけがないので、疑問符を浮かべながらも、何となく好みを答えることしかできなかった。

 夕方に疲弊しながらメイズと合流すれば、何故かメイズも疲弊していた。理由を聞いたが、はぐらかされるだけだった。
 うっすらと予感するものはあるが、そうでなかったら大恥だし、それを考えたところで奏澄にできることは無い。なるようになる、と無理やり納得した。

 翌日はゆっくりと過ごして、迎えた翌々日。

「カースミ。ちょっといい?」

 楽しそうなライアーに、奏澄は内心苦笑しながら頷いた。

「こうやってメイクしてもらうの久しぶり」
「まぁ、そんなに機会もなかったしね」

 船内で、カスミはライアーにメイクを施されていた。理由は訊かなかった。

「でも、ちょっと意外。エマかローズがやると思ってた」
「ああ、オレがやりたいって言ったの」
「そうなの?」
「そりゃ、これが最後かもしれないしね。今までで一番可愛くしたいから」
「……ありがと」

 照れたように笑った奏澄に、ライアーも微笑み返した。

「なんかほんと、ライアーには、ずっとお世話になりっぱなしで。感謝してもし足りないよ」
「はは、そんなに頼りにしてくれて、航海士冥利に尽きるよ」
「本当だよ。ライアーがいなかったら、今の私はいなかったし……この団だって、なかったんだから。メイズとは違う、すごく、すごく大事な人。大好きだよ」
「…………やめてカスミ、オレ泣いちゃう」
「ええ~立場逆でしょ~」

 軽い調子で笑い飛ばしながら、奏澄の方も泣きそうだった。本当に、家族みたいに大切な人。そんな仲間が得られたことを、誇りに思う。

「おし、上出来!」

 メイクを終え、髪も整えると、ライアーは満足そうに頷いた。

「こっから先はエマたちにバトンタッチ。オレはメイズさんの方行くから」
「大変そうだ。よろしくね」
「任された」

 ウインクしたライアーが出ていくのと入れ替わりに、エマとマリーが入ってきた。

「はーい、ここからはお着替えの時間です!」
「体調には気をつけながらやるけど、何かあったらすぐ言いなよ」

 その手には、淡い桜色のドレスが用意されていた。



*~*~*



 上甲板に出れば、普段より小奇麗にした仲間たちが揃っていた。
 商会の男性陣も協力したと見えるが、細かいところはローズがやったようだ。奏澄の方に来なかったのは、他の面々の準備を手伝っていたのだろう。

「カスミ!」

 気づいたローズが駆けてくる。それに軽く手を上げて答えた。

「すごく、すごく綺麗。良かった」
「うん。ありがとう、ローズ」

 涙ぐむローズに、奏澄もつられて泣いてしまいそうだった。メイクが崩れるから、と気合で我慢した。

「勝手にごめんね。カスミは、後でもいいって言ったけど……やっぱり、先のことはわからないから。私たちは、ずっとそうだったから。今、できる内に、小さくてもお祝いしたかったの」
「うん、ありがとう。すごく嬉しい。私も、今できて良かったって思うよ」
「そうそう、ケーキとかご馳走とかはさ、またもう一回やればいいじゃん!」
「そうさ。何も二度と会えないわけじゃないんだから。奏澄が子どもから手が放せなければ、あたしらが動けばいいだけだしね」
「エマ、マリーも。ありがとう」

 ローズの言葉は、もっともだった。奏澄は、一度仲間たちの前から突然姿を消している。その後、仲間が捕らえられたり、レオナルドが残されたり、黒弦との闘いでも、奏澄たちは二度と会えないかもしれない状況で別れている。これまでは幸運にも無事に再会できているが、これからもそうだとは限らない。
 今、この瞬間を。皆が揃っているこの時を。大切に思うなら、今こそ最善だといえよう。

「カスミさん」
「ハリソン先生」

 老紳士は、さすがの着こなしだった。フォーマルな服に着られている様子が全く無い。

「おめでとうございます。祝いの場だからといって無理せず、体調が悪くなったらすぐに言ってくださいね」
「ありがとうございます。今日は調子がいいので、大丈夫そうです」

 屈託なく笑う奏澄に、ハリソンは眼鏡の奥の目を眩しそうに細めた。

「あなたが、幸せに生きることを。この世界で、望んだ家庭を持つことを。本当に、心から嬉しく思います」
「……そうなれたのは、ハリソン先生のおかげです。本当に、ありがとうございます」

 この人がいなければ。奏澄は、生きていたのかどうかもわからない。感謝してもしきれない、大恩人だ。
 この人に、恥じない人生を送りたいと、強く思う。

「お、新郎様のお出ましだぜ!」

 ラコットの台詞を皮切りに、囃し立てるような口笛や野次が飛ぶ。視線を向けると、ライアーとアントーニオに背中を押されるようにして、メイズが出てきた。
 黒のフォーマルなジャケット姿で、初めて見るその格好に、奏澄は目を奪われた。

「……何故カメラがないのか」

 いつぞやと同じ感想を漏らしてしまう。タキシードやウェディングドレス、といった決まった服装は無いようだが、それなりにフォーマルな格好をするという概念はあるらしい。ライアー、グッジョブ。奏澄は内心でガッツポーズを取った。
 嫌そうに歩きながらも、奏澄の姿を目に留めたメイズは、息を呑んで立ち止まった。

「どう?」

 ドレスの裾を持って、小首を傾げてみる。
 女性陣が選んでくれた、淡い桜色のドレス。妊婦なのでウエスト周りを締め付けないデザインで、少しゆったりと生地が流れるようになっている。胸元は露出せず、胸から上、そして背中部分がレースに切り替わっている。ノースリーブで肩は出ているが、グローブは無かった。ベールも無いが、髪には白と薄紅色を中心にたくさんの花が飾りつけられていた。

「…………似合ってる」

 いつぞやと同じ台詞ではあるが、眩いものを見るように目を細めて、感嘆の息と共にそう告げたメイズに、奏澄はちょっとだけ目を瞬いて、淡く微笑んだ。

「さて、そんなお二人さんに式の前にプレゼントです」
「わ、レオ!?」

 ふわふわとした空気に割って入るように、レオナルドがずいと手のひらを差し出した。そこには、指輪のケースがあった。
 受け取ったメイズが蓋を開けると、そこには海のように青く揺らめく宝石をあしらったペアリングが入っていた。奏澄がそれを覗き込んで、レオナルドに視線を向ける。

「これ……」
「さすがに、前のやつそのままはカッコつかないだろ。結婚するなら、このくらいはね」
「いい、の?」
「むしろ貰ってもらわないと困る。二人のために作ったんだから」
「……ありがとう」

 瞳を潤ませた奏澄に、レオナルドは切なそうに微笑んだ。

「幸せになれよ。泣かされたら、いつでも俺のとこ来ていいから」
「それは無い」

 レオナルドの軽口を、ばっさりとメイズが切り捨てる。

「冗談だって」

 笑い飛ばすレオナルドを睨んでから、一つ息を吐いて。

「……ありがたく、受け取らせてもらう。大切にする」

 真剣なメイズの言葉に、レオナルドは目を丸くした後、ゆっくりと細めた。

「……そりゃ、どーも」



 指輪を持って、二人は船首近くに立つ。

「……何すりゃいいんだ」
「私もよくわかんない。前にアントーニオさんに聞いた時は、なんか誓えばいいって言ってたかな。あ、せっかく指輪貰ったし、指輪交換やりたい」

 決まった形は無い、とのことだったので、それっぽい流れになればいいだろう、と簡単な流れをメイズに伝えて、奏澄は仲間たちを見渡した。

「今日は、私たちのために準備してくれてありがとう。すごく嬉しいです。一生の思い出になりました。みんなに見守られて誓いを立てられることを、こんな風に祝福してもらえることを、心から幸せに思います。本当に、ありがとう」

 ああ、もう既に泣きそうだ。まさか自分が、こんな日を迎えられるなんて。
 涙を堪えて、奏澄はメイズに向き直る。

「私、奏澄は。どんな時でも互いを尊重し、敬い、支え合って、命のある限り夫メイズを愛し続けることを誓います」

 真正面から告げられて、メイズがうろたえた。どうぞ、と奏澄が視線で促す。眉間に皺が寄っているが、これは多分困っているのだろう。あんまり黙るようなら助け船を出さないとな、などと考えていると。

「私、メイズは。どんな時でも互いを尊重し、敬い、支え合って……命のある限り、妻カスミと子を愛し、守り、決して傷つけないと、誓います」

 奏澄は大きく目を瞠った。唇が、震える。
 何かを言う前に、メイズが気まずそうに指輪の箱を取り出す。

「ほら、指輪交換、するんだろ」
「……うん……っ」

 メイズが、奏澄の左手の薬指に指輪を嵌める。奏澄も同じように、メイズの左手の薬指に、指輪を嵌めた。
 サイズは、二人ともぴったりだった。
 互いの左手を絡ませて微笑んだ奏澄に、メイズがそっとキスをする。

 驚きに目を見開く奏澄。伝えたのは、誓いの言葉を交わして、指輪を左手の薬指に嵌める。それだけだ。誓いのキスの話は、していない。
 そうしたいと、思ってくれたのだろうか。だとしたら、嬉しい。
 わあっと歓声が聞こえる。それを聞きながら、奏澄は幸せな気持ちで目を閉じた。
 温かい涙が一筋、頬を伝った。