セントラルに着くと、奏澄たちはすぐにオリヴィアに会うための手続きをした。セントラルもまだ随分と慌ただしいようだったが、奏澄たちの件は話が通っていたのか、すぐに処理された。
前回と同じく、オリヴィアとは城で謁見することになった。レオナルドが、そこにいるからだろう。
奏澄はすっかり気力を取り戻していた。それでも、あの日何があったのかは、頑として口を割らなかった。ただ、悪魔は討ち取ったのだと。奏澄がそれほどまでに言いたくないのならと、仲間たちもそれ以上の追及はしなかった。
奏澄、メイズ、マリー、ライアー。フランツの首が入った箱を持ち、四人は円卓の間で待機していた。
通されてからそれほど待たずして、部屋の扉が開いた。
「……! レオ……!」
最初に入ってきたのは、レオナルドだった。特に拘束もされておらず、顔色も悪くない。
「よ。久しぶり、カスミ」
軽い調子で手を上げた彼に、感極まった奏澄は、涙を滲ませてレオナルドを抱き締めた。
「約束通り、迎えに来たよ……!」
「ああ。ありがとうな」
優しい声で言って、頭を撫でる。変わらない彼の様子に、奏澄は安心して、力が抜けた。
「もういいかしら」
「あっは、はい!」
唐突にかけられた声に驚いて、奏澄は肩を跳ねさせた。
唐突だと感じたのは奏澄がすっかりレオナルドに意識を集中していたからで、オリヴィアは最初からいたのだが。
「見ての通り、人質は無事よ。これで、信用してもらえたかしら」
「はい、ありがとうございます。では、こちらからも」
席に着いたオリヴィアに、フランツの首が入った箱を差し出す。同時に、借りていた神器も剣帯と共に返却した。それをちらりと見たオリヴィアが、
「コンパスはどうしたの?」
「あれは、悪魔に壊されてしまって」
「……そう。それは残念ね」
その言葉を信じたのかどうかはわからないが、それ以上追及されることは無かった。オリヴィアは箱の中身を検めて、納得したように頷いた。
「確かに、受け取ったわ」
「あの。その首は、どうするんですか」
「そうね。悪魔の首だもの。あれだけの騒ぎがあったし、暫く晒し首かしら」
奏澄が卓の下で、拳を握りしめた。
「お願いがあります。その首は、はぐれものの島に通ずるあの洞窟に……女神マリアのレリーフがあったあの場所に、沈めていただけませんか」
「どうして?」
「それは、悪魔の首です。確かに切断しましたが、女神の加護下に置いておいた方が、今後も安全だと思います」
「……それは、女神と同じはぐれ者の勘か何か?」
「そう思っていただいて構いません」
こんなものは、口から出まかせだ。それでも、なんとか、フランツをマリアの傍に置きたかった。例えそれが偶像でも。どちらの魂も、そこには無いのだとしても。
彼の首が晒されて。民衆の憎悪の対象になることは、奏澄には耐えられなかった。
「それは最初の取引とは別のお願いね。なら、こちらからも条件をいいかしら」
「どうぞ」
「あなた、英雄になる気はない?」
問われた言葉が突飛すぎて、奏澄は目を丸くした。仲間たちも、驚きに言葉が出ないようだった。
「それは、どういう」
「セントラルの建国神話は、読んだことがあるかしら」
「え、ええ、一応」
「あなたは今、女神マリアと同じ立場にあるわ」
「え……?」
ついていけない奏澄に、噛み砕くようにして説明を続けるオリヴィア。
「かつて世界を蹂躙した悪魔は、神の僕である女神マリアの手によって打ち倒された。そして今、再び蘇った悪魔をセントラルの指示によって、女神と同じはぐれ者であるあなたが、打ち取った。世界の平和を勝ち取ったのはあなたよ。国から恩賞を与えて、然るべき地位に据えてもいいわ」
「そうやってこいつを生贄に仕立て上げて、セントラルを信仰させるための道具にするわけか。ろくでもないな」
怒気を孕んだメイズに少しも怯むことなく、オリヴィアは微笑んだ。
「あら、いけない? 女神の再臨なんて、民衆は喜ぶわよ。いいじゃない。人のためになるし、海賊なんかやらなくても、この先一生贅沢ができるわ。悪い話じゃないはずよ」
「お断りします」
きっぱりと言い切った奏澄に、オリヴィアは笑みを消した。
「私は女神ではありません。今回のことは……必要があったから、したまでです。それに、首を落としたのは私でも、その前に多くの人の力を借りています。私の功績ではありません」
「欲が無いのね」
「欲はありますよ。最初の取引の時に出したお願いは、叶えてもらいます」
「ああ……白虎のことね」
どことなく苦々しい顔で、オリヴィアはその名を口にした。
そのことに、奏澄は内心首を傾げた。
「白虎の仲間は解放されるわ。王家から恩赦が与えられることになったから」
「恩赦……?」
「どうせわかることだから言っておくけれど。今回悪魔が起こした騒動は、想定を遥かに越えていて、セントラルだけでは対処しきれなかった。各地での鎮圧には、四大海賊とその傘下が多大に貢献したそうよ。民衆からの声も大きくて、無視するわけにもいかず、王家は現在監獄島にいる四大海賊の関係者には恩赦を与えて、釈放することになったの」
「釈放……!」
奏澄は思わず歓喜の声を上げた。それでは。奏澄をはぐれものの島へ送るために捕らえられた白虎の仲間たちは、皆解放されるのだ。
ハリソンに良い報告ができる、と奏澄は笑みを浮かべた。
「それだけじゃないわ。大規模災害が起こった時には、セントラルだけでは目が届かないんじゃないか、という話が出て、四大海賊との同盟関係を口にする者までいるそうよ。冗談じゃないけれど、あなたにとってはいい話なのかもしれないわね。そういう力関係を、望んでいたんでしょう?」
皮肉めいた言い回しに、奏澄は思わず怯んだ。確かに、そのような話はした。一強よりも、バランスを取った方がいいと。それでも、こんな急激な変化を望んだわけではなかったのだが。
「なんだかあなたの思い通りに事が進んでいるようで癪だから、悪魔討伐の手柄は私が貰って構わないかしら。英雄になる気はないんでしょう?」
「はい。それは、構いませんが」
「なら、悪魔を討伐したのはあくまでセントラルということにさせてもらうわ。神の国の権威を失うわけにはいかないのよ」
首の入った箱を持って席を立ったオリヴィアに、奏澄も思わず立ち上がった。
「あ、あの!」
「この首は、ちゃんとあの洞窟に沈めておくわ」
「……っ、ありがとう、ございます……!」
深く頭を下げた奏澄を一瞥して、オリヴィアは部屋を出ていった。
レオナルドを加えて五人になった奏澄たちは、報告のためコバルト号へと戻る道を歩いていた。
「なんか凄いことになってたみたいだな。後で話ゆっくり聞かせてくれよ」
「うん。話したいこと、たくさんあるよ」
「悪魔かぁ。ちょっと、見てみたかった気もするな」
「うーん。会わなくて、良かったんじゃないかな?」
何も知らないレオナルドを、ライアーとマリーははらはらと見ていた。奏澄はフランツのことを全く語らない。しかし、うっかりレオナルドが聞き出せたりしないだろうか、という期待もあるのだろう。
「けど、その悪魔ってメイズの上司だったんだろ。やっぱちょっと似てたりすんの」
その言葉に、奏澄は立ち止まった。
「カスミ?」
レオナルドはきょとんとしていたが、マリーとライアーは地雷を踏み抜いたのでは、と戦々恐々としていた。
「似てない。全然、全く、ちっとも似てない」
「え、あ、ああ。悪かったって」
涙声になった奏澄に、レオナルドは焦ったように謝った。何が地雷だったのか、とメイズを窺うように視線をやったが、メイズは首を振るだけだった。
似ていた。フランツとメイズは。そして、マリアと奏澄は。二人の関係性は、よく似ていた。
違う世界の人を愛したこと。愛した人が、悪党と呼ばれる人だったこと。互いが、互いの半身であったこと。
運命を分けたのは、そこに神の手が入ったかどうかだ。神が、マリアを操らなければ。マリアがあのまま、フランツの心を解いていたなら。二人で生きられる未来は、あったんじゃないだろうか。フランツが悪魔と呼ばれずに、ひっそりと生きられるような未来が。
考えても仕方ない、もしもの話。けれど、思ってしまう。絶対的な悪など、果たして存在するのかと。誰もが恐れた大悪党でさえ、誰かの愛しい人だったのだ。それを、手にかけた。
メイズと生きたいがために、言葉を尽くした。自分を正当化するような言葉を使った。けれど、結局は。自分の願いを叶えるために、他人を踏みつけにして生きている。
そうでなければ生きられない。そうでなければ守れない。その覚悟を。
顔を上げた奏澄の瞳に、涙はなかった。
前回と同じく、オリヴィアとは城で謁見することになった。レオナルドが、そこにいるからだろう。
奏澄はすっかり気力を取り戻していた。それでも、あの日何があったのかは、頑として口を割らなかった。ただ、悪魔は討ち取ったのだと。奏澄がそれほどまでに言いたくないのならと、仲間たちもそれ以上の追及はしなかった。
奏澄、メイズ、マリー、ライアー。フランツの首が入った箱を持ち、四人は円卓の間で待機していた。
通されてからそれほど待たずして、部屋の扉が開いた。
「……! レオ……!」
最初に入ってきたのは、レオナルドだった。特に拘束もされておらず、顔色も悪くない。
「よ。久しぶり、カスミ」
軽い調子で手を上げた彼に、感極まった奏澄は、涙を滲ませてレオナルドを抱き締めた。
「約束通り、迎えに来たよ……!」
「ああ。ありがとうな」
優しい声で言って、頭を撫でる。変わらない彼の様子に、奏澄は安心して、力が抜けた。
「もういいかしら」
「あっは、はい!」
唐突にかけられた声に驚いて、奏澄は肩を跳ねさせた。
唐突だと感じたのは奏澄がすっかりレオナルドに意識を集中していたからで、オリヴィアは最初からいたのだが。
「見ての通り、人質は無事よ。これで、信用してもらえたかしら」
「はい、ありがとうございます。では、こちらからも」
席に着いたオリヴィアに、フランツの首が入った箱を差し出す。同時に、借りていた神器も剣帯と共に返却した。それをちらりと見たオリヴィアが、
「コンパスはどうしたの?」
「あれは、悪魔に壊されてしまって」
「……そう。それは残念ね」
その言葉を信じたのかどうかはわからないが、それ以上追及されることは無かった。オリヴィアは箱の中身を検めて、納得したように頷いた。
「確かに、受け取ったわ」
「あの。その首は、どうするんですか」
「そうね。悪魔の首だもの。あれだけの騒ぎがあったし、暫く晒し首かしら」
奏澄が卓の下で、拳を握りしめた。
「お願いがあります。その首は、はぐれものの島に通ずるあの洞窟に……女神マリアのレリーフがあったあの場所に、沈めていただけませんか」
「どうして?」
「それは、悪魔の首です。確かに切断しましたが、女神の加護下に置いておいた方が、今後も安全だと思います」
「……それは、女神と同じはぐれ者の勘か何か?」
「そう思っていただいて構いません」
こんなものは、口から出まかせだ。それでも、なんとか、フランツをマリアの傍に置きたかった。例えそれが偶像でも。どちらの魂も、そこには無いのだとしても。
彼の首が晒されて。民衆の憎悪の対象になることは、奏澄には耐えられなかった。
「それは最初の取引とは別のお願いね。なら、こちらからも条件をいいかしら」
「どうぞ」
「あなた、英雄になる気はない?」
問われた言葉が突飛すぎて、奏澄は目を丸くした。仲間たちも、驚きに言葉が出ないようだった。
「それは、どういう」
「セントラルの建国神話は、読んだことがあるかしら」
「え、ええ、一応」
「あなたは今、女神マリアと同じ立場にあるわ」
「え……?」
ついていけない奏澄に、噛み砕くようにして説明を続けるオリヴィア。
「かつて世界を蹂躙した悪魔は、神の僕である女神マリアの手によって打ち倒された。そして今、再び蘇った悪魔をセントラルの指示によって、女神と同じはぐれ者であるあなたが、打ち取った。世界の平和を勝ち取ったのはあなたよ。国から恩賞を与えて、然るべき地位に据えてもいいわ」
「そうやってこいつを生贄に仕立て上げて、セントラルを信仰させるための道具にするわけか。ろくでもないな」
怒気を孕んだメイズに少しも怯むことなく、オリヴィアは微笑んだ。
「あら、いけない? 女神の再臨なんて、民衆は喜ぶわよ。いいじゃない。人のためになるし、海賊なんかやらなくても、この先一生贅沢ができるわ。悪い話じゃないはずよ」
「お断りします」
きっぱりと言い切った奏澄に、オリヴィアは笑みを消した。
「私は女神ではありません。今回のことは……必要があったから、したまでです。それに、首を落としたのは私でも、その前に多くの人の力を借りています。私の功績ではありません」
「欲が無いのね」
「欲はありますよ。最初の取引の時に出したお願いは、叶えてもらいます」
「ああ……白虎のことね」
どことなく苦々しい顔で、オリヴィアはその名を口にした。
そのことに、奏澄は内心首を傾げた。
「白虎の仲間は解放されるわ。王家から恩赦が与えられることになったから」
「恩赦……?」
「どうせわかることだから言っておくけれど。今回悪魔が起こした騒動は、想定を遥かに越えていて、セントラルだけでは対処しきれなかった。各地での鎮圧には、四大海賊とその傘下が多大に貢献したそうよ。民衆からの声も大きくて、無視するわけにもいかず、王家は現在監獄島にいる四大海賊の関係者には恩赦を与えて、釈放することになったの」
「釈放……!」
奏澄は思わず歓喜の声を上げた。それでは。奏澄をはぐれものの島へ送るために捕らえられた白虎の仲間たちは、皆解放されるのだ。
ハリソンに良い報告ができる、と奏澄は笑みを浮かべた。
「それだけじゃないわ。大規模災害が起こった時には、セントラルだけでは目が届かないんじゃないか、という話が出て、四大海賊との同盟関係を口にする者までいるそうよ。冗談じゃないけれど、あなたにとってはいい話なのかもしれないわね。そういう力関係を、望んでいたんでしょう?」
皮肉めいた言い回しに、奏澄は思わず怯んだ。確かに、そのような話はした。一強よりも、バランスを取った方がいいと。それでも、こんな急激な変化を望んだわけではなかったのだが。
「なんだかあなたの思い通りに事が進んでいるようで癪だから、悪魔討伐の手柄は私が貰って構わないかしら。英雄になる気はないんでしょう?」
「はい。それは、構いませんが」
「なら、悪魔を討伐したのはあくまでセントラルということにさせてもらうわ。神の国の権威を失うわけにはいかないのよ」
首の入った箱を持って席を立ったオリヴィアに、奏澄も思わず立ち上がった。
「あ、あの!」
「この首は、ちゃんとあの洞窟に沈めておくわ」
「……っ、ありがとう、ございます……!」
深く頭を下げた奏澄を一瞥して、オリヴィアは部屋を出ていった。
レオナルドを加えて五人になった奏澄たちは、報告のためコバルト号へと戻る道を歩いていた。
「なんか凄いことになってたみたいだな。後で話ゆっくり聞かせてくれよ」
「うん。話したいこと、たくさんあるよ」
「悪魔かぁ。ちょっと、見てみたかった気もするな」
「うーん。会わなくて、良かったんじゃないかな?」
何も知らないレオナルドを、ライアーとマリーははらはらと見ていた。奏澄はフランツのことを全く語らない。しかし、うっかりレオナルドが聞き出せたりしないだろうか、という期待もあるのだろう。
「けど、その悪魔ってメイズの上司だったんだろ。やっぱちょっと似てたりすんの」
その言葉に、奏澄は立ち止まった。
「カスミ?」
レオナルドはきょとんとしていたが、マリーとライアーは地雷を踏み抜いたのでは、と戦々恐々としていた。
「似てない。全然、全く、ちっとも似てない」
「え、あ、ああ。悪かったって」
涙声になった奏澄に、レオナルドは焦ったように謝った。何が地雷だったのか、とメイズを窺うように視線をやったが、メイズは首を振るだけだった。
似ていた。フランツとメイズは。そして、マリアと奏澄は。二人の関係性は、よく似ていた。
違う世界の人を愛したこと。愛した人が、悪党と呼ばれる人だったこと。互いが、互いの半身であったこと。
運命を分けたのは、そこに神の手が入ったかどうかだ。神が、マリアを操らなければ。マリアがあのまま、フランツの心を解いていたなら。二人で生きられる未来は、あったんじゃないだろうか。フランツが悪魔と呼ばれずに、ひっそりと生きられるような未来が。
考えても仕方ない、もしもの話。けれど、思ってしまう。絶対的な悪など、果たして存在するのかと。誰もが恐れた大悪党でさえ、誰かの愛しい人だったのだ。それを、手にかけた。
メイズと生きたいがために、言葉を尽くした。自分を正当化するような言葉を使った。けれど、結局は。自分の願いを叶えるために、他人を踏みつけにして生きている。
そうでなければ生きられない。そうでなければ守れない。その覚悟を。
顔を上げた奏澄の瞳に、涙はなかった。