日曜日の朝七時。まだみんなが寝ている静かな住宅街を私は自転車でさらりと進む。

大会まであまり時間は残っていない。それまでにもっと練習したい、もっと上手くなりたい。その衝動が私のことを突き動かす。

それだけじゃない。晴翔も頑張っていると思うから私も頑張れるんだ。

晴翔とのメッセージは続いている。お互い大変な時だからこそ、励ましあうのが大きな力になるんだ。

静かな朝を抜けて、道場にたどり着いた。今は一人で集中したい。だから休みの日に頑張って早起きをしたんだもんね。

ガラガラと道場の扉を開けると一人の人影が見えた。修也が練習をしていた。

急に帰ったあの日から修也はずっと部活に来てなかった。きっと毎日道場で練習していたはずだ。

「理菜も来たのかよ」

「別にそんなの私の自由でしょ。修也がいるって知らなかったんだし」

更衣室に行って道着に着替える。修也の声が更衣室にいても聞こえてくる。

すごく気合いが入っている。それはわかるけど、どこか寂しがっているようにも聞こえてくる。

修也と並び合う形で練習をする。並び合うといっても道場を二人で使うのだから距離はかなり離れている。

道場には高校の格技場と同様に自分の姿を見れる大きな鏡がある。この鏡を見ながら自分の動きを確認するんだ。

二人の掛け声が道場に響く。

どれくらい練習していたんだろう。一人で練習しているとついついのめり込んでしまう。動きを止めると今まで溜まっていた疲れがどっと噴き出すように湧いてくる。

「疲れたー」

ふと、修也の方を見る。慌てて目を逸らすように私から顔を背ける。

「なーに、私の練習に文句でもあるの?」

「いや、別に」

修也が慌てたようにぶっきらぼうに答える。

何さ、二人で練習するなんて昔からの慣れっこじゃない。

「私と二人なの嫌なの?」

「べ、別にそんなんじゃねーよ」

修也が強がっているのはすぐにわかる。

「ねえ修也、何があったの?私、修也に何かしたかな」

少しずつ二人の距離を詰めていく。なのに修也はその距離間を保つように後ろに下がる。

「理菜がいると、集中できねーんだよ」

私、修也にめっちゃ避けられてるじゃん。とぼとぼと元の位置に戻る。

「なんかごめん。今のは理菜に八つ当たりしちゃった」

二人しかいない格技場がしーんと静まり返る。

修也の額にうっすらと汗の滴が流れる。すごく男らしい。

真っ直ぐに修也を見つめ返す。途端に修也は私から目を逸らす。

いつから修也はこんなに背が高くなってたんだろう。いつから修也の声は低くなったんだろう。ずっと一緒にいるのに私は修也の変化に全然気がついていない。修也は私の変化にすぐ気がつくのに。

修也のことを腐れ縁じゃなくて一人の男子として見ちゃった。

高校生の男女が一つの部屋に二人きりでいる。このシチュエーションに思わずドギマギしてしまう。

「何、こっちをジロジロ見てるんだよ」

「先に私を見てきたのはそっちでしょ」

試合前のような張り詰めた空気が格技場に漂っている。

「あー、やっぱだめだ。全然集中できない!」

修也がワーっと頭をかき出す。今の修也にとってそんなに私って邪魔なんだ。

時計を見ると九時を過ぎたところだった。もう少しだけ練習をしたら帰ろうかな。

「ごめん、もうすぐ帰るから」

「違う、そういうことじゃないんだ」

節目がちに修也が話す。顔が赤くなり、どこかソワソワしている。

「これを言わないと俺は集中できない」

グッと堪えたように修也が拳を握った。

修也の目が真っ直ぐに私を見つめる。心の奥底まで見られているような気持ちになる。

「あのさ、理菜」

思わず、私は息を飲む。

「俺、理菜のことが好きだ」

嘘。今の聞き間違いじゃないよね?

「俺はずっと理菜のことが好きなんだ」

今度の言葉で確信する。修也は私に恋をしている。心臓がバクバクする。額からよくわからない汗が流れているのがわかる。

私が男子に告白されるなんて考えたこともなかった。何か言わなきゃって思うのに、あまりにびっくりして言葉が出てこない。

「やっと言えたよ」

修也が深呼吸をする。空気の抜けた風船のように息を大きく吐き出している。

「そんなこと急に言われてもびっくりするよな」

修也の頬が緩む。いつも見てきた修也の笑顔。

「いつから、好きなの?」

「うーん、いつからだろう。少林寺をする前かな?」

「そんな前から?」

今度はびっくりしすぎて大きな声が出る。

「急に大きな声出すなよ。びっくりするだろ」

「だって全然知らなかったもん、そんなこと」

「正直、いつから好きかは俺もよくわからない。一緒に遊んでいるうちにいつの間にか意識してた。でも理菜と一緒に少林寺に通えるって決まった時はすごく嬉しかったのは覚えているんだ」
 
修也の気持ちが嬉しくないわけじゃない。だけど私は修也に言わなきゃいけないことがある。

「あのさ、修也。私……」

他に好きな人がいるんだよね。その言葉がなかなか言い出せない。言わなきゃいけないってわかっている。だけど、簡単には言えないよ。

「他に好きな人いるんだろ?」

何で修也がそんなこと知っているの?

「何で知っているの?って顔してるな」
 
思わず両手で自分の顔を隠す。

「今更隠しても、もう遅いよ」

修也の声はすごく穏やかだ。

「ただでさえわかりやすい理菜のこと、ずっと見てきたんだぜ」

「私、そんなにわかりやすいかな」

「うん。もう気持ちがバレバレ」

そんなつもり全くないんですけど。

「理菜の好きな人って斜め前に座っている本読んでいるやつだろ?」

「そこまでわかるの?」

「教室にいる理菜を見ればわかるよ。席替えしてから突然化粧とかするようになったし、一華ちゃんじゃなくて、斜め前の方意識しながら弁当食べてるし」

そんなところまで見られてたんだ。

「小さい頃から理菜と少林寺を続けて、いつの間にか俺の中で理菜と一緒にいることが当たり前になってた」

それは私も同じだよ。そう思うけど、その言葉を必死に抑える。

「だから勝手にさ、これからも理菜とずっと一緒な気がしてたんだ」

今までの時間、一番一緒にいたのは修也だ。

「そこまで考えて初めて俺は理菜に恋をしているって気がついたんだ」

私は修也のことを一番の親友だと思っていた。

「自分の気持ちに気がついたら、理菜のことをすごく意識するようになっちゃってさ。少林寺をしていても理菜のことばっか考えてた」


私が晴翔のことを考えるのと同じだ。

「でも修也は少林寺で日本一になりたいって」

「そう、そうなんだよ」

急に修也が大きな声を出すから思わず仰反っちゃう。

「俺はただ少林寺が好きで少林寺で一番になりたかった。そのはずなのに、理菜のことがずっと頭にちらついて。自分でも少林寺が好きなのか、理菜のためにしているのかわからなくなっちゃってさ」

修也の気持ちが何となくわかる。

「だからはっきりさせたいと思った。俺は少林寺のことが好きだし、理菜のことも好きだ。だから、今、理菜に気持ちを伝えたいと思った」

真剣な目をした修也が私の目の前にいる。

「ありがとう、修也」

私にはこれしか言えない。

「うん。そう言ってくれるだけで俺は満足だよ」

すごく晴れやかに修也は笑っていた。

「あー、理菜と話せてすっきりした。これで少林寺のことだけ考えられるぞ」

「まるで私が修也の邪魔してたみたいじゃない」

「いや、めっちゃ邪魔してたぜ?急にオシャレ始めた時はマジで動揺してたもん。髪はどんどんツヤツヤになっていい匂いするし」
 別に修也のためにおしゃれしたわけじゃないんだからいいじゃない。

「モテる女も困っちゃうね」

「ま、俺と付き合いたくなったらいつでも言えよ。俺が少林寺で一位になったらモテちゃって彼女がいるかもな」

そう言って修也が笑う。「はいはい、そうですね」なんて言いながら軽く受け流す。

修也も意外と鈍感だね。あなたのことを好きな女の子はいっぱいいるんだよ。私のことはいいから、修也も別な人を好きになってほしいな。

「よーし、こうなりゃ練習あるのみだな。新人戦は理菜に負けないからな」

「私だって修也に負けないもん」

小学校の時からずっと同じことを言っている。大会前にはずっと二人で張り合う。それはずっと変わらないよね。

ガラガラと突然、道場の扉が開いた。外の光が道場の中に眩しいくらいに入ってくる。

「あれ、二人とももう来てたのか。さすがだな」

西園寺先輩がやってきた。続いて後ろからひょっこり蘭先輩が入ってきた。

「じゃあ、先輩たちも早く着替えて。練習始めちゃいましょう」

うん、よかった。いつもの感じに戻ったみたい。

道場の中に笑い声が広がる。私たちはお互いに仲間であり、ライバルだ。

ここの空気を思い切り吸い込むように、大きく一つ深呼吸をした。