一週間が瞬く間に過ぎていった。いよいよ、今日は北光学院高校での合同模擬試合だ。
市内の高校四校が集まって模擬試合をする。全道大会は全部で六校との戦いになるが、半分以上の高校が今日の模擬試合に集まる。全
国でも有名な富良野東高校は来ないけど、新人戦へのシミュレーションとしては申し分のない試合だ。
北光学院高校は地下鉄から直結で繋がっている。さすが有名私立高校。場所の立地からすでに全然違う。
会場には現地に直接集合。私は最寄りの地下鉄に乗って移動する。普段、自転車で通学しているから地下鉄に乗るのは久しぶりだ。
休日だからか、朝の早い時間なのに、同じ年頃の人たちがちらほら地下鉄に乗っていた。みんなすごく楽しそう。何だか羨ましく見えちゃう。
私も晴翔と二人で休みの日に地下鉄でどこかに出かけたいな。
それなのに。どうして隣にいるのが晴翔じゃなくて修也なのよ!
地下鉄に乗ってから修也とはまだ一度も口を聞いていない。それどころかあの雨の日以来、修也とちゃんと話すらしていない。本当は修也となんて顔も合わせたくないのに、毎日部活で会う。それだけでも嫌なのに学校の出来事を知らないお母さんから「模擬試合の日は修也君と行きな」と言われてしまった。
「風邪、大丈夫か?」
修也がぼそっとした声で話しかけてきた。私に話しかけてきたのはわかってるけど、すぐに答える気にはならない。
また二人に沈黙が訪れる。ガタンゴトンと地下鉄は自転車の何倍ものスピードで進んでいく。
「何とか、大丈夫」
無視し続けるのも可哀想だから答えてあげる。
「大丈夫ならよかった」
そう言って修也が笑う。悔しいけど、修也の笑顔を見てると少し落ち着いてくる。小学生の時から少林寺の大会の前はいつも隣に修也がいた。修也の笑顔に何度も助けられたっけ。
「次の駅で乗り換えだぞ」
乗り換えのことをすっかり忘れていた。慌てて降りる準備をする。
「そんなに急がなくても大丈夫だよ」
修也がまたこっちを見て笑ってくる。もう一人だけあたふたして、何だか恥ずかしいじゃない。
「俺がいなかったら理菜は会場に辿り着かなかったんじゃないの?」
「そんなことないもん」
そうは言いながらも、修也の後についていく。北光学院高校に行くのは二回目だけど、前に行ったのは半年くらい前だもん。行き方忘れちゃっても仕方ないじゃない。
途中、修也が「あれ、こっちであってるんだっけ?」と不安そうに私の方を見てきた。
修也と二人であたふたしながら、何とか乗り換え先の場所を探す。
無事に目的の地下鉄に乗り込めた。この時間ならギリギリ遅刻はしない。席に座ると、思わずお互いに顔を見合わせて笑っちゃった。
「いやー、危なかったな」
「危なかったじゃないよ。てっきり修也が全部わかってるのかと思った」
「理菜は俺を頼りすぎるんだよ。自分でも何とかしろよ」
「ここの場所を見つけたのは私でしょ」
二人して笑ってしまう。この一週間、修也と口もききたくなかったけど、何だかどうでもよくなってきちゃった。私と修也は昔からこんな感じだ。
駅を降りると小走りで高校に向かう。地下鉄直結の好立地だから出口さえ間違えなければ辿り着く。北光学院高校の入口前でみんなが集まっていた。時間は八時五十八分、ギリギリセーフ。
目の前にある巨大な北光学院高校の校舎を見て緊張と高揚感が体中を走っていくのがわかる。
西園寺先輩は慣れたように北光学院高校の広い校内を迷いなく進む。さすが有名私立高校、前に来た時も思ったけど校舎は綺麗だし、とにかく広い。私一人だけならすぐに迷子になっちゃいそう。
すでに何校かの生徒が着替えて練習をしていた。どの高校も一、二年生が中心。高校から始めたばかりの人が多く、帯の色も多種多様だ。
荷物を置き、更衣室に入って着替えをする。白色のTシャツの上に道衣を着て帯を巻く。普段は降ろしている後ろの髪をまとめ上げたら試合のスタイルの完成だ。小学校の頃からの慣れ親しんだ格好。試合の時は特別で、急に体のスイッチが入ったような、まるで別な自分に変身したような気分になる。
「それじゃあ、試合が始まるぞ」
西園寺先輩の声にみんなが集合する。時刻は九時半。模擬試合の始まりだ。
広々とした格技場に市内の四校が集まる。六月の全道大会ぶりの人もいれば、夏の全国大会で見た人もいる。この人たちと十二月の新人戦を戦うんだ。
試合は男子と女子で別々なコートだ。競技は団体演武、組演武、単独演武の順番で行われる。私たち北丘高校の女子で単独演武に出場するのは私と蘭先輩の二人だ。
少林寺拳法の勝敗は点数で決まる。技術と表現を合わせて採点するのだ。表現と言っても見栄えや派手さではなく、武的要素を見ている。正確な動作と綺麗さ。何年も続けていてもこればっかりは奥が深い。
「理菜」
私の名前を呼ぶ声が聞こえてパッと顔を上げる。一華が走って駆けてきた。
「一華、もう来てくれたんだ」
「せっかくだからいっぱい見たいと思ってさ。少林寺って初めて見たけど、すごく面白いね」
一華と少し話ができて、落ち着いてきた。
「私、そろそろ戻らないと」
「ねえ、もしよかったら今日一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
「ありがとう。それじゃあまた後でね」
そう言って一華は観客席の方に戻って行った。今日は練習試合みたいなもんだけど選手の親とか友達っぽい人もちらほらいた。それに体育館では別な部活が練習試合をしているらしい。いろんな部活が集まれるくらい大きな校舎ってことなんだろう。北光学院にいる他の部活の生徒が何事かと格技場を覗きにきていた。
組演武が終わった。どんどん出番が近くなる。私の出番は女子の単独演武の中で一番最後だ。
「そろそろ私の出番だ」
蘭先輩が準備を始める。みんなも蘭先輩の演武に注目している。全道五位の実力者。今は三年生が引退し、さらに実力もつけている。どんな演武をするのか楽しみだ。
蘭先輩が合掌し演武が始まる。単独演武の時間は一分から一分十五秒。二分を超えてしまえばそれだけで失格。
蘭先輩が険しい顔で虚空を睨みつける。これは本気モードだ。
「はあ」
凄まじい掛け声と共に演武が始まった。技のキレが今までの選手とは段違いだ。
蘭先輩は蹴りが得意。見事な蹴りが見えない相手に強烈にヒットする。自分の攻撃から相手の動きを予測する。構成もなんとも絶妙だ。
基本に忠実な蘭先輩だからこその演武。これはなかなかの強敵かもしれない。
タイムは一分五秒。しっかり規定以内に収めてくる。
電光版にスコアが表示される。二百五十五点。現在の一位に躍り出た。
少林寺は三百点満点。全国大会でも二百六十点前後を取ればかなりいい方だ。
心臓がバクバク鳴る。あれ、私焦っている?
最近の自分の練習を思い出す。あんなに綺麗に技が出せているかな?体調が悪かったりいろんなことを考えたり。どこか鈍っている気がしてくる。
いや、私はみんなよりも小さい時から練習してきたんだ。高校の中で、いや全道の中でも私は長く少林寺を続けている方だと思う。
私が負けるわけがない。そう自分に言い聞かす。
他の選手が次々と演武をする。それを見るとどんどん不安になってくる。
「やー」
男子のコートから修也の叫びが聞こえてきた。修也ってこんなにうまかったっけ?いつの間にこんなに技がきれいに出せるようになっていたんだろう。
少林寺を始めた時は同じくらいの身長だったのに今じゃ私よりもずいぶん背が高い。長身を見事に活かした蹴り技は見えない相手であっても同情してしまうほど切れ味がある。
俺、少林寺で全国一位を目指しているから。修也はいつもそう言っている。修也はどうしてそんなに少林寺を頑張れるんだろう。
「ほら理菜、もうすぐ出番だよ」
蘭先輩が笑顔で私の背中を押す。蘭先輩は暫定一位。その笑顔が勝利への余裕なのかいつもの優しさなのか私には分からない。
大きく息を吐いて呼吸を整える。蘭先輩や修也は関係ない。私は私の演武をするだけだ。
「札幌北丘高校。岩田理菜」
名前を呼ばれて私はコートに立つ。ここから先の一分間は孤独の中で自分との戦いだ。
コートの中央で合掌をする。さあ、スタートだ。
構えをして自分のスイッチを入れる。動きの構成は体に染み付いている。
あれ、何か調子が変だ。いつもなら架空の相手がまるでその場にいるかのように感じるのに今は何も見えない。コートの中でただ一人。
まずこちらから突きをする。いつもは見えない相手にも手応えを感じていたのに今日は全然感じない。
汗が額からにじみ出る。慌てるな、落ち着いて。
すぐに相手からの攻撃が来る。だからそれを受けてすぐにこっちからもう一撃突けばいい。
体はしっかり動きを覚えているのに、なぜか頭がそれに追いつかない。その分だけ動きのキレが落ちる。
さっきの蘭先輩や修也の動きがフラッシュバックする。いや、そんなの関係ない。今の目の前の演武に集中しないと。
「あー!」
思い切り叫ぶ。だけど虚しくコートに響くだけ。
遠くで誰かが私を見ているところを想像する。コートの中で私は一人。そこで必死に動いて戦っているふりをしている。そう思うと、何だか自分のしていることがバカらしく思えてくる。
今の私はただ決められた通りに動いているだけだ。そして私は孤独に負けてしまう。
ふう、やっと終わった。合掌をした時、私の心の浮かんだのはその言葉だった。
たったの一分間のはずなのに恐ろしく長く感じた。ただ苦しいだけの一分間だった。点数が出た。二百五十点。案の定、点数は低い。
蘭先輩にも負けて、今回の私は三位だ。全道大会の二位と三位は三年生だし、四位は富良野東の選手だ。
私、ものすごいランクダウン。
もう少林寺なんか嫌だ、やめてしまいたい。そう心の中で思っているはずなのに、なぜかうまく頷けない。自分でも何が何だかわからないよ。
呆然と立ち尽くす私に蘭先輩が駆け寄ってきた。
「理菜、大丈夫?具合でも悪いの?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
私に勝って蘭先輩は得意になっているかと思った。けどそうじゃない。私のことを本気で心配してくれている。
修也と西園寺先輩がこっちにやってくる。男子もちょうど終わったとこみたい。
「いやー、あと二点ってところで西園寺先輩に負けちゃったよ」
修也が悔しそうに、でもどこか晴れ晴れとした表情で話している。負けたのにどうしてそんな表情ができるの?
試合が終わった。あとは各高校ごとに集まってそのまま解散だ。
男子の単独演武は西園寺先輩が一位で、修也が二位だった。女子も単独演武の一位は蘭先輩だ。
やる気がすっかり無くなっちゃったよ。負けが続くんだったら少林寺はやめようかな。
「よかったところも悪かったところも色々見つかったいい機会だったと思う。明日はゆっくり休んで、また月曜から練習していくぞ」
どうせ私は悪いところしかないですよーだ。自分の中に疲れだけがずしんと残る。
「よお、理菜」今一番話したくない相手、修也が目の前にきた。
「何よ、修也」
「二位になったんだからもっと喜んでくれてもいいのに」
「何で私が修也が二位になったら喜ばないといけないのよ」
「理菜が全道一位になったとき、俺は嬉しかったぜ」
私が全道大会で優勝した時、修也はすごく喜んでくれた。
「ねえ、あの時、私だけ全国に行くの嫌じゃなかったの?」
「理菜がいい成績残せたら嬉しいに決まってるじゃん」
修也が素直に笑う。素直すぎて思わず目を逸らす。
「何で一緒に喜んでくれるの?」
「そりゃ、昔から一緒にやってる仲間だからな。仲間がいい成績を残るのも嬉しいぜ」
きっと修也は本当に少林寺が好きなんだ。
私は修也に誘われたから少林寺を始めただけ。スタートから全然違う。
「今回は残念な結果だったけど、次は頑張ろうぜ」
修也の顔をじーっと見る。さっき試合で見た修也とは違う、いつもの修也がここにいた。
「理菜」
一華が私を呼んでいる。そうだ、一華と一緒に帰る約束をしたんだ。
「試合見てたよ、お疲れさま」
「うん、ありがとう」
「修也君もお疲れ。二位だったね、すごいじゃん」
「俺ってすごいんだよ。知らなかった?」
修也が嬉しそうに笑う。
「ねえ、修也君。今日、私が理菜と帰ってもいい?」
そんなの修也に聞くことないのに。変なの、一華。
「お、そっか。じゃあな、理菜」
修也がスタスタと帰って行った。
「はあ、なんか疲れちゃった」
ぐー。私のお腹が鳴っちゃった。もうすごく恥ずかしい。
「まずはお昼でも食べに行こうか」
一華の提案に私は大きく頷いた。
市内の高校四校が集まって模擬試合をする。全道大会は全部で六校との戦いになるが、半分以上の高校が今日の模擬試合に集まる。全
国でも有名な富良野東高校は来ないけど、新人戦へのシミュレーションとしては申し分のない試合だ。
北光学院高校は地下鉄から直結で繋がっている。さすが有名私立高校。場所の立地からすでに全然違う。
会場には現地に直接集合。私は最寄りの地下鉄に乗って移動する。普段、自転車で通学しているから地下鉄に乗るのは久しぶりだ。
休日だからか、朝の早い時間なのに、同じ年頃の人たちがちらほら地下鉄に乗っていた。みんなすごく楽しそう。何だか羨ましく見えちゃう。
私も晴翔と二人で休みの日に地下鉄でどこかに出かけたいな。
それなのに。どうして隣にいるのが晴翔じゃなくて修也なのよ!
地下鉄に乗ってから修也とはまだ一度も口を聞いていない。それどころかあの雨の日以来、修也とちゃんと話すらしていない。本当は修也となんて顔も合わせたくないのに、毎日部活で会う。それだけでも嫌なのに学校の出来事を知らないお母さんから「模擬試合の日は修也君と行きな」と言われてしまった。
「風邪、大丈夫か?」
修也がぼそっとした声で話しかけてきた。私に話しかけてきたのはわかってるけど、すぐに答える気にはならない。
また二人に沈黙が訪れる。ガタンゴトンと地下鉄は自転車の何倍ものスピードで進んでいく。
「何とか、大丈夫」
無視し続けるのも可哀想だから答えてあげる。
「大丈夫ならよかった」
そう言って修也が笑う。悔しいけど、修也の笑顔を見てると少し落ち着いてくる。小学生の時から少林寺の大会の前はいつも隣に修也がいた。修也の笑顔に何度も助けられたっけ。
「次の駅で乗り換えだぞ」
乗り換えのことをすっかり忘れていた。慌てて降りる準備をする。
「そんなに急がなくても大丈夫だよ」
修也がまたこっちを見て笑ってくる。もう一人だけあたふたして、何だか恥ずかしいじゃない。
「俺がいなかったら理菜は会場に辿り着かなかったんじゃないの?」
「そんなことないもん」
そうは言いながらも、修也の後についていく。北光学院高校に行くのは二回目だけど、前に行ったのは半年くらい前だもん。行き方忘れちゃっても仕方ないじゃない。
途中、修也が「あれ、こっちであってるんだっけ?」と不安そうに私の方を見てきた。
修也と二人であたふたしながら、何とか乗り換え先の場所を探す。
無事に目的の地下鉄に乗り込めた。この時間ならギリギリ遅刻はしない。席に座ると、思わずお互いに顔を見合わせて笑っちゃった。
「いやー、危なかったな」
「危なかったじゃないよ。てっきり修也が全部わかってるのかと思った」
「理菜は俺を頼りすぎるんだよ。自分でも何とかしろよ」
「ここの場所を見つけたのは私でしょ」
二人して笑ってしまう。この一週間、修也と口もききたくなかったけど、何だかどうでもよくなってきちゃった。私と修也は昔からこんな感じだ。
駅を降りると小走りで高校に向かう。地下鉄直結の好立地だから出口さえ間違えなければ辿り着く。北光学院高校の入口前でみんなが集まっていた。時間は八時五十八分、ギリギリセーフ。
目の前にある巨大な北光学院高校の校舎を見て緊張と高揚感が体中を走っていくのがわかる。
西園寺先輩は慣れたように北光学院高校の広い校内を迷いなく進む。さすが有名私立高校、前に来た時も思ったけど校舎は綺麗だし、とにかく広い。私一人だけならすぐに迷子になっちゃいそう。
すでに何校かの生徒が着替えて練習をしていた。どの高校も一、二年生が中心。高校から始めたばかりの人が多く、帯の色も多種多様だ。
荷物を置き、更衣室に入って着替えをする。白色のTシャツの上に道衣を着て帯を巻く。普段は降ろしている後ろの髪をまとめ上げたら試合のスタイルの完成だ。小学校の頃からの慣れ親しんだ格好。試合の時は特別で、急に体のスイッチが入ったような、まるで別な自分に変身したような気分になる。
「それじゃあ、試合が始まるぞ」
西園寺先輩の声にみんなが集合する。時刻は九時半。模擬試合の始まりだ。
広々とした格技場に市内の四校が集まる。六月の全道大会ぶりの人もいれば、夏の全国大会で見た人もいる。この人たちと十二月の新人戦を戦うんだ。
試合は男子と女子で別々なコートだ。競技は団体演武、組演武、単独演武の順番で行われる。私たち北丘高校の女子で単独演武に出場するのは私と蘭先輩の二人だ。
少林寺拳法の勝敗は点数で決まる。技術と表現を合わせて採点するのだ。表現と言っても見栄えや派手さではなく、武的要素を見ている。正確な動作と綺麗さ。何年も続けていてもこればっかりは奥が深い。
「理菜」
私の名前を呼ぶ声が聞こえてパッと顔を上げる。一華が走って駆けてきた。
「一華、もう来てくれたんだ」
「せっかくだからいっぱい見たいと思ってさ。少林寺って初めて見たけど、すごく面白いね」
一華と少し話ができて、落ち着いてきた。
「私、そろそろ戻らないと」
「ねえ、もしよかったら今日一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
「ありがとう。それじゃあまた後でね」
そう言って一華は観客席の方に戻って行った。今日は練習試合みたいなもんだけど選手の親とか友達っぽい人もちらほらいた。それに体育館では別な部活が練習試合をしているらしい。いろんな部活が集まれるくらい大きな校舎ってことなんだろう。北光学院にいる他の部活の生徒が何事かと格技場を覗きにきていた。
組演武が終わった。どんどん出番が近くなる。私の出番は女子の単独演武の中で一番最後だ。
「そろそろ私の出番だ」
蘭先輩が準備を始める。みんなも蘭先輩の演武に注目している。全道五位の実力者。今は三年生が引退し、さらに実力もつけている。どんな演武をするのか楽しみだ。
蘭先輩が合掌し演武が始まる。単独演武の時間は一分から一分十五秒。二分を超えてしまえばそれだけで失格。
蘭先輩が険しい顔で虚空を睨みつける。これは本気モードだ。
「はあ」
凄まじい掛け声と共に演武が始まった。技のキレが今までの選手とは段違いだ。
蘭先輩は蹴りが得意。見事な蹴りが見えない相手に強烈にヒットする。自分の攻撃から相手の動きを予測する。構成もなんとも絶妙だ。
基本に忠実な蘭先輩だからこその演武。これはなかなかの強敵かもしれない。
タイムは一分五秒。しっかり規定以内に収めてくる。
電光版にスコアが表示される。二百五十五点。現在の一位に躍り出た。
少林寺は三百点満点。全国大会でも二百六十点前後を取ればかなりいい方だ。
心臓がバクバク鳴る。あれ、私焦っている?
最近の自分の練習を思い出す。あんなに綺麗に技が出せているかな?体調が悪かったりいろんなことを考えたり。どこか鈍っている気がしてくる。
いや、私はみんなよりも小さい時から練習してきたんだ。高校の中で、いや全道の中でも私は長く少林寺を続けている方だと思う。
私が負けるわけがない。そう自分に言い聞かす。
他の選手が次々と演武をする。それを見るとどんどん不安になってくる。
「やー」
男子のコートから修也の叫びが聞こえてきた。修也ってこんなにうまかったっけ?いつの間にこんなに技がきれいに出せるようになっていたんだろう。
少林寺を始めた時は同じくらいの身長だったのに今じゃ私よりもずいぶん背が高い。長身を見事に活かした蹴り技は見えない相手であっても同情してしまうほど切れ味がある。
俺、少林寺で全国一位を目指しているから。修也はいつもそう言っている。修也はどうしてそんなに少林寺を頑張れるんだろう。
「ほら理菜、もうすぐ出番だよ」
蘭先輩が笑顔で私の背中を押す。蘭先輩は暫定一位。その笑顔が勝利への余裕なのかいつもの優しさなのか私には分からない。
大きく息を吐いて呼吸を整える。蘭先輩や修也は関係ない。私は私の演武をするだけだ。
「札幌北丘高校。岩田理菜」
名前を呼ばれて私はコートに立つ。ここから先の一分間は孤独の中で自分との戦いだ。
コートの中央で合掌をする。さあ、スタートだ。
構えをして自分のスイッチを入れる。動きの構成は体に染み付いている。
あれ、何か調子が変だ。いつもなら架空の相手がまるでその場にいるかのように感じるのに今は何も見えない。コートの中でただ一人。
まずこちらから突きをする。いつもは見えない相手にも手応えを感じていたのに今日は全然感じない。
汗が額からにじみ出る。慌てるな、落ち着いて。
すぐに相手からの攻撃が来る。だからそれを受けてすぐにこっちからもう一撃突けばいい。
体はしっかり動きを覚えているのに、なぜか頭がそれに追いつかない。その分だけ動きのキレが落ちる。
さっきの蘭先輩や修也の動きがフラッシュバックする。いや、そんなの関係ない。今の目の前の演武に集中しないと。
「あー!」
思い切り叫ぶ。だけど虚しくコートに響くだけ。
遠くで誰かが私を見ているところを想像する。コートの中で私は一人。そこで必死に動いて戦っているふりをしている。そう思うと、何だか自分のしていることがバカらしく思えてくる。
今の私はただ決められた通りに動いているだけだ。そして私は孤独に負けてしまう。
ふう、やっと終わった。合掌をした時、私の心の浮かんだのはその言葉だった。
たったの一分間のはずなのに恐ろしく長く感じた。ただ苦しいだけの一分間だった。点数が出た。二百五十点。案の定、点数は低い。
蘭先輩にも負けて、今回の私は三位だ。全道大会の二位と三位は三年生だし、四位は富良野東の選手だ。
私、ものすごいランクダウン。
もう少林寺なんか嫌だ、やめてしまいたい。そう心の中で思っているはずなのに、なぜかうまく頷けない。自分でも何が何だかわからないよ。
呆然と立ち尽くす私に蘭先輩が駆け寄ってきた。
「理菜、大丈夫?具合でも悪いの?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
私に勝って蘭先輩は得意になっているかと思った。けどそうじゃない。私のことを本気で心配してくれている。
修也と西園寺先輩がこっちにやってくる。男子もちょうど終わったとこみたい。
「いやー、あと二点ってところで西園寺先輩に負けちゃったよ」
修也が悔しそうに、でもどこか晴れ晴れとした表情で話している。負けたのにどうしてそんな表情ができるの?
試合が終わった。あとは各高校ごとに集まってそのまま解散だ。
男子の単独演武は西園寺先輩が一位で、修也が二位だった。女子も単独演武の一位は蘭先輩だ。
やる気がすっかり無くなっちゃったよ。負けが続くんだったら少林寺はやめようかな。
「よかったところも悪かったところも色々見つかったいい機会だったと思う。明日はゆっくり休んで、また月曜から練習していくぞ」
どうせ私は悪いところしかないですよーだ。自分の中に疲れだけがずしんと残る。
「よお、理菜」今一番話したくない相手、修也が目の前にきた。
「何よ、修也」
「二位になったんだからもっと喜んでくれてもいいのに」
「何で私が修也が二位になったら喜ばないといけないのよ」
「理菜が全道一位になったとき、俺は嬉しかったぜ」
私が全道大会で優勝した時、修也はすごく喜んでくれた。
「ねえ、あの時、私だけ全国に行くの嫌じゃなかったの?」
「理菜がいい成績残せたら嬉しいに決まってるじゃん」
修也が素直に笑う。素直すぎて思わず目を逸らす。
「何で一緒に喜んでくれるの?」
「そりゃ、昔から一緒にやってる仲間だからな。仲間がいい成績を残るのも嬉しいぜ」
きっと修也は本当に少林寺が好きなんだ。
私は修也に誘われたから少林寺を始めただけ。スタートから全然違う。
「今回は残念な結果だったけど、次は頑張ろうぜ」
修也の顔をじーっと見る。さっき試合で見た修也とは違う、いつもの修也がここにいた。
「理菜」
一華が私を呼んでいる。そうだ、一華と一緒に帰る約束をしたんだ。
「試合見てたよ、お疲れさま」
「うん、ありがとう」
「修也君もお疲れ。二位だったね、すごいじゃん」
「俺ってすごいんだよ。知らなかった?」
修也が嬉しそうに笑う。
「ねえ、修也君。今日、私が理菜と帰ってもいい?」
そんなの修也に聞くことないのに。変なの、一華。
「お、そっか。じゃあな、理菜」
修也がスタスタと帰って行った。
「はあ、なんか疲れちゃった」
ぐー。私のお腹が鳴っちゃった。もうすごく恥ずかしい。
「まずはお昼でも食べに行こうか」
一華の提案に私は大きく頷いた。