今までは、ずっと見ない振り知らない振りをしていたけれど、実際そうなのだから仕方がない。

「邪魔などと、そんな……ラザール様。ご心配をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」

 ラザール様は貴族らしい容貌に、余裕ある笑みを浮かべて私の謝罪に頷いた。黒い髪はまっすぐで、同色の瞳は謎めいていると、貴族令嬢たちの中でもとても人気の公爵令息なのだ。

 私だって彼の婚約者であるというだけで、よく意地悪されてしまった。今ではもうその立場を譲ってしまって何の悔いもない。

 いつもならば、先触れをして訪問するのが貴族の中では当然の作法だけど、婚約者が家出から帰還したというとんでもない緊急時ならば、色々とすっ飛ばしてしまっていてもおかしくはなかった。

 ましてや、ラザール様と私は今現在は結婚を約束した婚約者なのだから、応接室で待つことなく、ここまでやって来ることも咎められるようなことではなかった。

 なかったけれど、だからって、もっと早く声を掛けてくれたって良くなかった? こっちは一人だと思っていたから、心臓が飛び出るほどに驚いてしまった。