「良かったわね。お姉さま。お父様とお母様も受け入れてくださって」

 腕に絡み付く和華の案内で用意してもらった部屋に入ると、和華はますます人懐っこい笑みを浮かべる。馬車の中ですっかり意気投合した和華は、海音が一歳年上だと知るなり、当たり前のように「お姉さま」と親しみを込めて呼んでくるようになった。聞いたところ、この世界の女学校では同性の先輩のことを「お姉さま」と呼ぶのが普通らしい。一人っ子の海音にはこそばゆい文化であった。

「これも全部和華ちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 すっかり警戒心を解いた海音も和華を妹のように愛おしく見つめる。ここでは家族のように振る舞っていいと灰簾家の人たちに言われたので、敬語も畏まるのも止めていた。その上で、気になっていたことを和華に尋ねる。

「ところで和華ちゃん、さっき青龍さまに嫁入りするって話していたけど、出発しなくていいの……?」
「その話なんだけどね。お姉さま……」

 腕を掴む手に力を込めたのか、顔を上げた和華は目に涙を溜めながら訴えてきたのだった。

「わたし、わたしっ……。青龍さまに嫁ぐのが怖いの。今代の青龍さまはとても怖くて厳しいって噂の人で、お仕事で青龍さまと会ったっていうお父様の同僚の人たちも、みんな酷い目に合ったんですって。そんな青龍さまがわたしを伴侶に迎え入れたいって、急に婚姻の申し出をされてきたみたいで……」
「そんなに恐ろしい人なの? 青龍さまって……」
「歳はお姉さまと同じくらいの男の人よ。人なんだけど、この国と青の地を治める守護龍さまで、ずっと二藍山という山の山頂に一人で住んでいるの。人嫌いで滅多に人を家に招き入れないし、政府から手伝いの女中や使用人を紹介されても、すぐに追い返してしまうような気難しい人なの。会ったことが無いから顔も知らないし、話したことも文通をしたことも無いから、噂しか知らないし……もう、わたし怖くて……。でも七龍さまの伴侶に選ばれるということは、とても名誉あることだから、お父様やお母様にも相談出来なくて……」

 事情を聞いたところ、和華には相思相愛の華族の男性がいるそうで、ゆくゆくは両親から許可をもらって婚姻を結ぶつもりでいたらしい。そんな矢先にこの青の土地の守り神にして、国の守護龍の一柱である青龍の伴侶に突然選ばれてしまったという。
 青龍に限らず、七龍の伴侶に選ばれた者は、政府の命令で七龍と婚姻を結んで、生涯七龍と添い遂げなければならない。七龍たちは人里を離れた自然の中に暮らしており、人里に降りてくることは決してないため、当然七龍に付き従う伴侶も七龍と共に自然の中で暮らして、滅多なことで七龍から離れられない。嫁いだ後の生活は全てこの国の政府が補償してくれるが、その代わり伴侶に乞われた以上、それを拒否することは許されないという。
 また伴侶を輩出した家系には、国の繁栄に貢献した名誉として相応の身分と財産を与えられるため、昔は富と名誉を狙って、自分の娘を七龍の伴侶として偽る者が後を絶たなかったらしい。今は政府が各地の七龍と連携して内密に七龍の伴侶を選定して、ある日突然、伴侶に選ばれた娘とその家族に通達が届く仕組みに変わったという。
 
「そっか。それは辛いね……」
「だからね、お姉さま。お願いがあるの……。わたしの代わりに、七龍の伴侶として青龍さまに嫁いで欲しいの。我が儘って思われるかもしれないけれども、他に頼める人がいなくて……。他の女中たちは青龍さまの噂を知っているからみんな怖がってしまって、親類にも年頃の娘はいないから、頼めるような身内もいないし……。もうお姉さまにしか頼めないの」
「身代わりってこと? でもそんなことをしたら……」

 目尻に溜まった涙を拭いながら心細そうにしがみついてくる和華に胸が苦しくなる。この世界、いやこの時代は、顔も知らない人にある日突然嫁入りが決まるのは珍しくないのかもしれない。それでもここまで怯えている和華を放っておくこともできない。和華はこの世界に突然迷い込んでしまった海音を救ってくれた恩人だ。そんな海音を受け入れてくれた灰簾家の人たちも……。
 それに亡くなった母親とも最期に約束を交わした。『人の心や痛みを知って、思い遣れる人になる』と。
 人嫌いで冷酷無慈悲な青龍さまに嫁ぐことが和華にとっての「痛み」なら、海音はそれを思い遣らなければならない。この場合、和華のために海音が出来ることは一つしかない……。

「私に……和華ちゃんの身代わりって務まるかな。その……顔も似てないし、この世界のことを何も知らないけれども……」
「本当!? お姉さま、わたしの代わりに青龍さまの元に嫁いでくれるの!?」

 ぱあっと顔を輝かせる和華に、海音は「でもねっ!」と慌てて付け加える。

「いま行ってもきっとすぐに和華ちゃんじゃないってバレちゃうと思うの! 着物も着たことが無いし、この世界の勝手やしきたり、国とか青龍さまのこともよく分かってないし……。それよりまずは和華ちゃんのご両親にも許可をもらわないとだし……!」
「それは大丈夫よ。お父様とお母様はわたしに甘いのよ。わたしがお願いすれば、お姉さまに代わってもらうことは出来ると思うの」
「青龍さまは……?」
「それもお父様に任せておけば大丈夫。どうせ今から二藍山に行っても日没までには辿り着けないし、馬車が脱輪して再度支度を整えるのに時間が掛かっているってことにすれば、青龍さまもきっと理解してくださると思うの。相手もわたしの顔を知らないから、歳が近いお姉さまと入れ替わっていても気付かないわ!」

 子供のように抱きついてきた和華に、「ありがとう、お姉さま。大好き!」とまで言われて、悪い気は全くしなかった。和華の両親である灰簾夫婦も、やはり良くない噂ばかりの青龍に一人娘の和華を嫁がせることが気掛かりだったようで、和華の身代わりに嫁ぐという海音の提案を快く受け入れてくれたのだった。
 その日のうちに灰簾家の伝手を使って、和華の嫁入りの日程を変更したい旨を伝えたところ、青龍である蛍流は理由も聞かずにあっさりと輿入れの日程を三日遅らせることを承諾してくれた。
 そして灰簾家が海音の嫁入りの支度を整えている間、海音は少しでも「和華」に見えるように、華族の令嬢としての最低限の知識やこの世界の常識を叩き込まれた。勉学や行儀作法、着物の着付け方から化粧、話し方や笑い方まで。
 その中で和華と灰簾夫婦から教えられた。『青龍の伴侶になるには、青龍と一夜の夢を結ぶだけでいい。一度でも床を共にしてしまえば、青龍は体裁を保つために、身代わりでも伴侶として海音を迎えざるを得なくなる』と。
 その言葉を信じて、海音は「和華」として蛍流の元に嫁入りしてきた。
 全てはこの世界に来たばかりの海音を助けてくれた和華と、そんな海音を受け入れてくれた灰簾家の人たちの役に立つために……。
 
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