「全てが一掃されたこの国で、七龍に頼らない新たな制度を興す。そうすれば七龍に縛られ、形代に選ばれた人間だけが身を捧げる古例は無くなる。七龍に縛られる者が存在しない、誰もが自分の思うがままに生きられるのだ」
「そんなこときっと誰も望んでいません。それにもしそんなことをしようとすれば、青龍さまを始めとする七龍たちが黙っているはずがありません」

 そもそも蛍流は自分が青龍の形代に選ばれたことを悔やみ、嘆いたことは無い。今でこそ海音との身分違いの恋に悩んでいるが、それも今日中に海音がこの山を出て行きさえすれば全て解決する。託された役目を放棄してまで、只人の海音を選ぶわけが無いのだから。
 海音がいなくなった後の蛍流は、出会った頃のように敬愛する師匠や尊敬する歴代の青龍たちから継承された形代という役目を邁進するようになる。
 加えて、和華という伴侶と共に幸せな夫婦関係を築いていくだろう。伴侶を迎えたことで神気も安定するので、かつて背中を見てきた憧れの師匠を手本として、ますます青の地とこの国に流れる水の龍脈を守り続けるようになる。
 この国に暮らすあまねく全ての生き物に潤う水を行き渡らせるべく、清水の名を持つ青龍との信頼関係を永劫に続けていくに違いない。

「七龍と七龍に選ばれた形代はお互いを補い合う関係になるそうです。七龍を脅かすとなれば形代が、形代を傷付ければ七龍が、黙っているはずがありません。それこそ七龍に罰せられることだって、あるかもしれません……」

 晶真は鼻先で笑うと「果たしてそうだろうか」と嘲る。

「見れば分かるだろう。俺がこうしてこの地を訪れているのは、それもこれも七龍と七龍に選ばれた人間の隙をついて彼らの弱点を探すため。こんな邪な考えを持ちながらも、君とは違って何の影響も受けていない。人目を避けて君と会っていても、青龍の怒りを買っていなければ、七龍に仇名すことを口にしているにも関わらず、罰さえ下っていない。本来であれば逆らう者は問答無用で、七龍による沙汰が下されて天罰を与えられるというのに。それがどうしてだか分かるか?」
「それは……」
「簡単なことだ。この地を守る青龍と青龍が選んだ人間の心が離れているからだ。全ては君を愛したばかりに……だからこそ青龍は罰を与えようとしている。青龍が選んだ人間に悪影響を及ぼしている君に。この山を降りたところで青龍の怒りが収まるとは限らない。身体の侵食は進行し、やがて塵となって消えるかもしれないぞ。君は本当にそれでいいのか? 今の君は青龍たちの邪魔にしかなっていない。彼らの心を掻き乱し、対立させ、そして務めを妨げている。自身の力を振るえないほどに、青龍と形代との間に距離が生じているのだ。この状態が続けば青龍の龍脈は力を失い、近い内にこの国は荒れる。だがそれこそが好機だ。その隙をついてこの国の悪習を崩壊させる。そうすれば青龍から蛍流を解放して、君が抱える恋も徒恋とならずに成就させられる。青龍さえいなくなれば、君を飲み込もうとする鱗も一片残らず消えるだろう」

 そうして晶真は手を差し出す。蛍流のように大きく皮膚の厚い掌。そんな晶真の手と眉ひとつ動かさない晶真の無表情を繰り返し見比べる。

「俺なら君を救える。共に七龍とこの国を滅ぼし、愛する人を取り戻そう。俺と共に来ると良い……海音」
「わっ、私は……」

 海音の心に迷いが生まれる。今の自分が蛍流たちの負担になっていることは間違いない。その罰が身体を覆う鱗であり、この鱗に全身が覆われた時に自分がどうなるのか警告として毎晩同じ夢を見ているのも納得がいく。ここを離れたからといって、鱗が無くなるとは限らないというのも。
 だからといって昌真についていくことで全てが解決するとも思わない。この国のシステム――七龍の加護を受けることを前提とした国の制度、を根本から変えたからといって、海音が抱える問題が無くなるとも限らない。それでもこのままここに海音が居続けても、蛍流だけではなく国にとっても悪い方向にしかいかないのは確かだろう。
 ここで昌真の手を取らずに灰簾家の娘として嫁入りすることは、世界にとっては良くても海音にとっては良い話では無い。それなら一縷の望みにかけて昌真の話に乗るのは悪くないのかもしれない。青龍から蛍流を解放して何のしがらみも無く、互いに情愛を交わせる賭けに興じてみるのも。
 どのみち灰簾家の娘として嫁いだとしても、昌真について行ってこの国を滅亡させたとしても、海音が幸せになれるとは限らないのだから――。
 緊張のあまり胸が締め付けられているような気がして、心なしかズキズキと痛い。口が渇いているのを感じつつ、唇を舐める。その間も昌真は辛抱強く海音を待ち、自分の手を取る瞬間を待ちわびているようであった。そんな昌真の期待に応えるように、ようやく海音は覚悟を決めると昌真に向かって手を差し出す。
 それでも体重を掛けられたかのように腕が重く、電池切れのロボットのようにぎこちない動きしかできない。時間がゆっくり過ぎているようにも感じられて、心なしか昌真が差し伸べる手までの距離さえ遠いような気がしてくる。
 そうしてようやく昌真と手が重なる瞬間、どこか自信に満ち溢れた暗い笑みを浮かべる昌真を嘲笑うかのように二人の手を中心として青い稲妻が弾けたのだった。