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「間違いない。この神社だ……!」

 その日、高校生活最後の春休みを利用して、海音は思い出の神社を探していた。
 訪れたのはたった一度だけ、それも街頭がまばらな夜更けの時間帯。闇夜に紛れて朧気なところもあったものの、外観や雰囲気は記憶の中と寸分違わなかった。鳥居を通った時から感じられる厳かな空気に、古ぼけた木製の拝殿と年季の入った賽銭箱でさえも、あの時と何も変わらなかった。
 ベージュ色のロングワンピースの裾を踏まないように気を付けながら、雑草が伸び放題になった石段を上って賽銭箱の前まで行くと、長財布を開けて大切に取っていた五円玉を迷わず投げ入れる。鈴を鳴らして海音の来訪を伝えた後、祀られている神への敬意と感謝を込めて二礼、そして邪気を払って拍手を二回。
 そうしてわずかにずらして柏手を打った両手をぴったりと合わせると、ずっと言おうと決めていた言葉を頭の中で唱えたのだった。

(神様、お礼が遅くなってすみません。十年前はお母さんを助けてくれてありがとうございました。お母さんと最期に楽しい一年を過ごせました。今度は私が看護師になって、お母さんのように病気で苦しんでいる人たちを助けていきます……)

 海音の母親は十年前に癌を発症すると、治療のために何度も転院を繰り返して、最期にこの神社から程近い大学病院に搬送された。そこで一年間の闘病生活を送った後、ほんの数日間だけ自宅で家族水入らずの時間を過ごして、永遠に帰らぬ旅に出たのだった。
 気付いた時には手遅れだったらしいが、それでも母親は少しでも長く海音や父親と時間を過ごそうと、辛く苦しい闘病生活を耐え続けた。結局、癌は完治せず、最期の日をほんの少し伸ばしただけであったが、最期の瞬間まで母親は一切の希望を諦めなかった。
 だがそれはあくまでも実際に治療を受けていた母親の話。それに付き添っていた海音の父親は、日に日に容態が悪化する母親とまだ幼かった海音の育児で、心身共に不安定な状態が続いており、大学病院に転院した時はげっそりと面やつれしてしまった。
 癌の名医がいるという噂を聞き、わずかな望みにかけてはるばる遠くから転院してきたものの、その医師からも手の施しようが無いと匙を投げられてしまった。更に母親の容体が急変したと連絡を受ける度に、仕事を抜け出して病院に駆けつけなければならない日々。身も心も擦り切れて摩耗していた。

 海音も次第にやつれていく母親の姿を見ていられず、何度もその場から逃げ出したくなった。たった()()を除いてそれをしなかったのは、生にしがみつこうと必死な母親と、そんな母親を支えていた看護師たちの姿から目を離せなかったから。大人になった今なら理解できる。看護師たちも母親が長くないと気付いていたが、それでも母親の意志を尊重して最期まで最善の方法を考えて、海音たち家族のために手を尽くしてくれたのだと。
 父親が医師と話している時や心が耐えられなくなって席を外した時は、待合室で暇を持て余していた海音の話し相手にもなってくれた。本当なら仕事で忙しくて、海音の相手までする余裕は無かっただろう。それでも父親と共に母親に付き添う子供の海音を気に掛けて、他愛の無い話で笑わせてくれただけではなく、こっそり飴やガムまでくれた。
 そんな看護師に海音もなりたいと思うようになり、独学で猛勉強をした。そして奨学金制度を利用して、来月から他県にある四年制の看護学校への進学が決まったのだった。
 そうなると心残りは、一度だけ病院を抜け出して神頼みをした神社とそこに祀られている神様への礼だけであった。