「師匠にはおれを責めて詰る権利があった。茅晶と親子水入らずで暮らしていたところに割り込んだだけではなく、師匠に残された時間が短いことも伝えにきたようなものだ。不幸をもたらす存在に、甲斐甲斐しく世話を焼く必要さえ無い。その辺に捨て置けば良かったのだ。これまでの七龍の代替わりと同じように」
「でも師匠さんはそうしなかった。元の世界を恋しむ蛍流さんの気持ちを受け止めて、茅晶さんと分け隔てなく愛情を注いでくれたんですよね。青龍としての務めを全うされて……素晴らしい方です。私だったら自分の居場所を奪われるような気がして、きっと受け入れられません」
「おれもだ。これまで自分の全てを犠牲にしてまで得てきたものを横取りされるように思えて、怒り狂うだろうな。あの方の器の大きさには、到底敵う気がしない。それを最期まで一切悟らせず、後を継ぐおれが罪悪感に苦しまないように配慮する思慮深さまでも……そんなこと優れた人格者でも無ければ、出来るはずもない。もっと早く気付けていれば、師匠の力になれたかもしれない。後悔先に立たずとはまさにこのことだな」
「そんなことは……」
 
 そう言い掛けた海音であったが、蛍流は自身を嘲るように鼻先で笑い飛ばされてしまう。雲嵐も言っていたように、蛍流も充分に青龍としての役割を全うしている。今はまだ師匠の足元には及ばないかもしれないが、追いつくのも時間の問題だろう。
 けれどもそれを部外者の海音が言葉を紡いで説明したところで、蛍流の心に届くことはない。青龍として苦悩する蛍流の気持ちを理解して、支えてあげられるのは、七龍と同じ時を過ごすことになる伴侶だけ。ただの人間である海音は蛍流の心を理解して見上げることは出来ても、隣に並ぶことは許されない。
 ただ蛍流の苦しみが軽くなるように、祈ることしか出来ない。

「この世界に来て五年が過ぎた頃から、師匠が寝込むようになった。回数は日増ししていき、亡くなる数か月前には、布団から起き上がることさえ困難になった。青龍の仕事は全ておれが行い、その合間に師匠の看病を担うようになった。その頃になると、茅晶は日がな一日部屋に引きこもって、何か調べ物をしているようだった。顔を合わせるどころか、口さえほとんど利かなくなっていた」
「それまで茅晶さんと仲が良かったんですよね。どうして……」
「きっと茅晶は知っていたのだと思う。おれが師匠の命を脅かしていることに。おれが力を蓄えて活気づいていくにつれて、師匠は衰えていき、やがて命さえも青龍に刈り取られてしまう。嫌われても当然だ」
 
 今まで膝の上で固く握りしめていた拳を開く。そうして在りし日を回想するように、蛍流は耳に心地の良い好音を低くして静かに続ける。

「……最期の瞬間、おれは布団に横たわる師匠の手を握り締めていた。呼吸がか細くなるにつれて、握り返す師匠の手からも力が抜け落ちていったが、それでもその手が冷たくなるまで握り締めていた。あの手の温もりと握り返してくれた掌の感触を生涯忘れはしない。そして誓いを立てたのだ。これまで師匠から与えられた恩に報いるためにも、おれはこの地で青龍として生きると」
 
 その後、師匠が生前に残した遺言に従って荼毘に付した後、滝壺近くにある石碑の下に埋葬した。石碑の下には歴代の青龍やその伴侶たちの亡骸が眠っており、師匠も自らそこで眠ることを希望したからであった。そして石碑には、形代としての師匠の名である「茅」を刻んだという。

「後に残されるおれたち二人のことを考えて、師匠はいくつもの形見の品を残してくれた。屋敷、技術、知識、人脈、そして遺言。遺言はいくつかあったが、その一つが伴侶を迎えて家族を作ることだった」
「どうして師匠さんは伴侶を迎えるように言い残したのでしょうか?」
「生前、師匠は異なる世界から来たおれが、この世界に一人取り残されてしまうことを心配していた。もしかすると知っていたのかもしれない。この後に起こる一連の出来事を……」
「何があったんですか?」
「師匠が亡くなった直後、清水の命を受けて、始めて青龍の形代としての仕事を果たすことになった。その最初の仕事というのが……茅晶をこの山から追い出すことだった」
 
 青龍の代替わりに伴う諸々の処理を終えて、正式に次代の青龍が蛍流に決まると、また日々の生活が戻り始めた。
 これからは二人で手を取り合い、お互いを支え合いながら生きて行こうと、改めて茅晶と向き合う決心をした時だった。
 青龍の形代としての最初の仕事――茅晶の追放という勤めが、蛍流の元に舞い込んだという。