「どんなパンを食してみたいとか、希望はあるか?」
「そうですね……。この世界にあるかは分かりませんが、チョコレートっていう甘いお菓子が中に入ったパンが食べてみたいです。子供向けのお菓子にもあって、元の世界ではよく食べていました。小さな箱に入った一口サイズのパンのような形をしていて、中にはチョコレートが入っていて……」
「おおっ! あの菓子はまだ存在しているのか! 外箱には髭を生やしたパン職人が書かれていなかったか?」
「書かれていましたが……知っているんですか!?」
「知っているもなにも、両親や使用人の目を盗んで、初めてスーパーマーケットなる場所に行った際に買ったものだ。学友から聞いて、スーパーマーケットでも菓子が買えるというのは知っていたが、手元にあったのは両親に内緒で使用人の手伝いをしてもらった百円玉が二枚だけ。数ある菓子の中からどれを買えばいいのか分からず、一番下の棚に陳列されていたチョコレート菓子の箱を手に取った覚えがある」
「スーパーに……チョコレート……」
まるで海音が暮らしていた世界を知っているかのように、蛍流は興奮気味に話し続ける。昔を懐かしむあまり、圧倒されている海音に気づいていないようだった。
「自分で小銭を払って買い物をした達成感で意気揚々として帰ったものの、仕事で滅多に自宅に立ち寄らない両親が、何故かその日に限って帰っていてな。菓子をどう隠そうか迷ったな」
「その後、どうしたんですか?」
「一人で外出したと知られたら叱られると思って庭に隠れていたら、庭師に見つかった。父の秘書にして執事を務めていた清水のところまでこっそり連れて行かれると、車の後部座席に乗せられて、車を洗浄すると父に断りを入れた清水が自宅から車を出してくれたのだ。洗浄している間に車内で食して良いと、その日だけは許可をもらった。普段は車中での飲食を禁止されているからか、これには魂消てしまったな」
その時を思い出しているのか、蛍流は遠くを見つつ声を弾ませながら話し続ける。
「外で清水が車を洗っている間、おれは初めて自分で買った菓子を食したが、あのチョコレート菓子の甘い味と外から聞こえる車の洗浄音は今でも忘れられない思い出となった。知ってるか? 洗浄中の車を内側から見ると、窓には白い泡のカーテンが掛かっているように見えるのだ。それがまるで雲の中にいるように思えて、次いで泡を洗い流す際には滝を内側から眺めているような不思議な気持ちになる。そんな中で食べるチョコレートは、どんな高級チョコレートよりも甘く感じられた。小さな冒険の結末に相応しい褒美だった」
「白い泡のカーテンに滝の内側、そしてピンチを切り抜けてようやく食べられた宝物のようなお菓子。なんだかファンタジー作品に登場する冒険者みたいです。その……私が住んでいた世界に、あまりにもそっくりな気がしましたが……」
「そっくりというより、同じ場所だろうな。おれが生まれ育った場所と、お前が住んでいた世界というのは」
「それって、つまり……」
緊張のあまり、海音は喉を鳴らしてしまう。さっきの話を聞いた時も予感がしたが、子供の頃の蛍流の話を聞いて、もしかしたらという期待がますます膨らむ。
こんな偶然があるのだろうか、まさか目の前の蛍流も――。
「今から十年前、青龍の形代に選ばれたおれは、青龍の清水によってこの二藍山に連れて来られた。それまで両親と共に暮らしていた世界――『日本』という国から」
その瞬間だけ、いつも陰を帯びている蛍流の笑みが晴れやかなものとなる。右目下の小さな黒子ごと細められた藍色の目と薄っすらと赤みが差した白い頬を柔らかく弛めて、ようやく胸につかえていたものが無くなったというような年相応の爽やかな笑顔。
これまで見たことが無い蛍流の微笑みに、海音の胸が激しく高鳴り出す。
初めて自分と同じように異なる世界からやって来た人を見つけたというのもあるだろう。これまで一線を引いて海音と接してきた蛍流の過去に、どこか興奮を隠しきれない。
「そうですね……。この世界にあるかは分かりませんが、チョコレートっていう甘いお菓子が中に入ったパンが食べてみたいです。子供向けのお菓子にもあって、元の世界ではよく食べていました。小さな箱に入った一口サイズのパンのような形をしていて、中にはチョコレートが入っていて……」
「おおっ! あの菓子はまだ存在しているのか! 外箱には髭を生やしたパン職人が書かれていなかったか?」
「書かれていましたが……知っているんですか!?」
「知っているもなにも、両親や使用人の目を盗んで、初めてスーパーマーケットなる場所に行った際に買ったものだ。学友から聞いて、スーパーマーケットでも菓子が買えるというのは知っていたが、手元にあったのは両親に内緒で使用人の手伝いをしてもらった百円玉が二枚だけ。数ある菓子の中からどれを買えばいいのか分からず、一番下の棚に陳列されていたチョコレート菓子の箱を手に取った覚えがある」
「スーパーに……チョコレート……」
まるで海音が暮らしていた世界を知っているかのように、蛍流は興奮気味に話し続ける。昔を懐かしむあまり、圧倒されている海音に気づいていないようだった。
「自分で小銭を払って買い物をした達成感で意気揚々として帰ったものの、仕事で滅多に自宅に立ち寄らない両親が、何故かその日に限って帰っていてな。菓子をどう隠そうか迷ったな」
「その後、どうしたんですか?」
「一人で外出したと知られたら叱られると思って庭に隠れていたら、庭師に見つかった。父の秘書にして執事を務めていた清水のところまでこっそり連れて行かれると、車の後部座席に乗せられて、車を洗浄すると父に断りを入れた清水が自宅から車を出してくれたのだ。洗浄している間に車内で食して良いと、その日だけは許可をもらった。普段は車中での飲食を禁止されているからか、これには魂消てしまったな」
その時を思い出しているのか、蛍流は遠くを見つつ声を弾ませながら話し続ける。
「外で清水が車を洗っている間、おれは初めて自分で買った菓子を食したが、あのチョコレート菓子の甘い味と外から聞こえる車の洗浄音は今でも忘れられない思い出となった。知ってるか? 洗浄中の車を内側から見ると、窓には白い泡のカーテンが掛かっているように見えるのだ。それがまるで雲の中にいるように思えて、次いで泡を洗い流す際には滝を内側から眺めているような不思議な気持ちになる。そんな中で食べるチョコレートは、どんな高級チョコレートよりも甘く感じられた。小さな冒険の結末に相応しい褒美だった」
「白い泡のカーテンに滝の内側、そしてピンチを切り抜けてようやく食べられた宝物のようなお菓子。なんだかファンタジー作品に登場する冒険者みたいです。その……私が住んでいた世界に、あまりにもそっくりな気がしましたが……」
「そっくりというより、同じ場所だろうな。おれが生まれ育った場所と、お前が住んでいた世界というのは」
「それって、つまり……」
緊張のあまり、海音は喉を鳴らしてしまう。さっきの話を聞いた時も予感がしたが、子供の頃の蛍流の話を聞いて、もしかしたらという期待がますます膨らむ。
こんな偶然があるのだろうか、まさか目の前の蛍流も――。
「今から十年前、青龍の形代に選ばれたおれは、青龍の清水によってこの二藍山に連れて来られた。それまで両親と共に暮らしていた世界――『日本』という国から」
その瞬間だけ、いつも陰を帯びている蛍流の笑みが晴れやかなものとなる。右目下の小さな黒子ごと細められた藍色の目と薄っすらと赤みが差した白い頬を柔らかく弛めて、ようやく胸につかえていたものが無くなったというような年相応の爽やかな笑顔。
これまで見たことが無い蛍流の微笑みに、海音の胸が激しく高鳴り出す。
初めて自分と同じように異なる世界からやって来た人を見つけたというのもあるだろう。これまで一線を引いて海音と接してきた蛍流の過去に、どこか興奮を隠しきれない。