「美味いな。これもお前の作り方が良いからだな」
「そんなことはありません……。混ぜ合わせ方が悪くて膨らまなかったものや、温度の調整が出来なくて割れてしまったものもあります。これだって焦げ目があるので、成功したと言っていいのかどうか……」
「売り物では無いのだ。これでも充分、成功に値する。焦げた部分は流石に処分するしかないが、失敗したものは後で料理にでも使えばいい。そうだな……せっかく砂糖と卵があるのなら、たまには作ってみるのもいいかもしれないな……プティングでも」
「プティングって……プリンのことですよね。あの、黄色と茶色をしたお菓子の! プリンなんて、作れるんですか?」

 茶碗蒸しならこの世界でも何度か口にしたが、まさか洋菓子のプリンまで存在するとは思っていなかったので、海音の心が沸き立ってしまう。それもまさか菓子作りに興味が無さそうな蛍流が作れるというのも驚きであった。
 期待を込めて蛍流を見つめると、二個目のカルメ焼きを口にした蛍流が教えてくれる。
 
「ここでのプティングは蒸し料理のことを指すが、その中に砂糖と卵を使った甘い菓子がある。卵の黄色とカラメルソースの茶色の二層仕立てになっている茶碗蒸しに似た甘味だが、この菓子のカラメルソース作りには砂糖が欠かせない。独り身の時は敢えて作るものでも無かったが、材料があるのなら作ってみるのもいいかもしれん。ただプティング作りに必要な牛の乳が足りるか……」
「足りない時は雲嵐さんに頼みましょう! プリンなんて久しぶりなので楽しみです!」
「プティングが好きなのだな」
「はい! 子供の頃から好きでよく食べていました! 甘くて冷たくて、何より柔らかくて食べやすいので、風邪を引いて食欲が無い時は必ずお母さんが買ってきてくれました。早く元気になりなさいって、励まされて……っ」

 そこまで言い掛けたところで、亡き母親との思い出を想起して胸が苦しくなってしまう。
 海音が幼い頃は風邪を引いて寝込む度に、母親がスーパーマーケットから三個セットのプリンを買ってきてくれた。粥も食べられないくらい具合が悪い時でも、不思議と冷たいプリンだけは食べられたので、熱を出した海音が食べたいとねだっていたことも関係あるのだろう。熱で火照った身体に、冷たいプリンがすうっと身体の中を通っていく快感が今でも忘れられない。
 母親が亡くなってからは一度も風邪を引いていないが、今でも母親が恋しくなった時にはプリンを買って食べていた。プリンを食べていると、次々と母親との思い出が蘇ってきて、寂しい心を癒してくれたのものだった。この世界に来たからには、もう両親との思い出に由来するものとは出会えないと思っていたが、もしかすると探せばあるのかもしれない。
 急に海音が黙ってしまったからか、蛍流が心配そうに「海音?」と声を掛けてくれる。咄嗟に頭を振ると、何でもないというように笑みを浮かべたのだった。

「すみません。元の世界のことを思い出して、しんみりしてしまいました。元の世界で食べたプリンをもう二度と食べられないと思うと、なんだか寂しくなってしまって……」
「これまで敢えて聞いてこなかったのだが、お前について教えてくれないか。年齢的におれと同じくらいなら、学校にも通っていただろう。家族はどんな人たちだったのだ?」
「本当だったら、四月から看護師を目指して、看護系の学校に通う予定だったんです。お母さんが病気に罹って入院した時に、入院先の看護師さんたちにたくさん良くしてもらったことが忘れられなくて……。大人になったら私も看護師になって、お世話になった看護師さんたちのようになりたいと思ったんです」
「立派な心がけだな。母君は完治したのか?」
「結局治らなくて、九年前に亡くなりました。でも最期はお母さんの希望で、家族みんなで自宅に帰ってゆっくり過ごせたんです。自宅に帰ることさえ難しいってお医者さんに言われていたのに、最初の峠を越えてからなんだか急に元気になったみたいで……」

 末期を迎えた母親が自宅に帰れたのは、一週間にも満たないほんの数日間のみ。それでもその数日間は、海音の中で忘れられない思い出となって、今も残り続けている。
 病気が発覚してから、長らく病院に入院していた母親の最後の願い。辛い闘病期間中もこの願いだけを支えに耐え続けていたと、後に父親から聞かされた。
 家族みんなで自宅に帰る、という願いを――。

「薬石効なくか……。それはさぞかし辛かっただろう」
「最初こそ、なかなかお母さんが亡くなった現実を受け入れられなくて辛かったです。でもいつまでも泣いているわけにはいきませんし、私まで塞いでいたら、ただでさえ打ちひしがれているお父さんがますます立ち直れなくなります。そんなことは天国にいるお母さんも、きっと望んでいないと思うので……」
「強いのだな。父母のためにも前を向こうとして、だが……」

 そっと蛍流の手が海音の頭に乗せられたかと思うと、優しく撫でてくれる。

「その悲しみや寂しさを、ここでは隠す必要は無い。元の世界や両親を恋しがって泣いたとしても、それを咎める者も、罪悪感で苦しむ者もいない。この世界(ここ)はお前の父君はおろか、召天された母君でさえ目の届かない場所。これまでのように我慢せず、気が済むまで声を上げて泣いてもらったって構わない。肩を貸して話しを聞くくらいなら、おれにだって出来る。ここに来た頃のように、もう人目を忍んで泣かずともいいのだ」
「ありがとうございます。気を遣っていただいて……」
「気遣いなんてしていない。おれにはお前の気持ちが痛いほど分かる。元の世界に残してきたものに対する未練や後悔さえも。家族や友人に別れをする間もなく、あまりに突然だっただろうからな」

 耳たぶまで真っ赤になりながら礼を口にすれば、蛍流は柔和な笑みを浮かべる。海音の頭を愛撫して、黒髪に触れる蛍流の手がむず痒い。
 もしかすると、蛍流なりにずっと気にしていたのだろうか。ここに来たばかりの頃、元の世界や両親が恋しくて泣いていた海音のことを。