海音が蛍流のために、雲嵐から材料を取り寄せてまで作ったお菓子というのは、昔ながらの砂糖菓子であるカルメ焼きであった。
 小学生の時に習ったが、日本では南蛮貿易をきっかけとして、諸外国から多くの菓子が伝来されたと言われている。
 その前から日本各地では餡、水飴、煎餅といった菓子が作られていたが、それらとは一線を画す形で、金平糖や有平糖などの砂糖菓子、カステラやボーロなどの卵を使う菓子が宣教師たちによって日本に持ち込まれた。そんな珍しい菓子の一つに、このカルメ焼きもあったという。
 当初は高価な砂糖や卵白を使用していることから、高級品の一つとして扱われていたが、やがて時代を経て安価な値段で材料が入手出来るようになると、カルメ焼きは庶民の間にも広まったとされている。
 海音も小学校の理科の授業で作ったことがあるが、あまりにも美味しかったことから自宅に帰って父親にねだって材料を揃え、一人で完璧に作れるようになるまで何度も作った。受験生の時も、勉強中の糖分回復のお伴として、市販のものを買って食べていたくらいである。
 元の世界では駄菓子屋や祭りの屋台で売られていたが、この世界では市販よりも各家庭での手作りが多いようで、ここまで材料を運んでくれた雲嵐もまだまだ店頭で売っているお店は少ないと教えてくれた。
 作り方が簡単な上に材料さえ揃えれば誰でも作れるが、温度の管理や調整、重曹を加えてからの混ぜるタイミングが難しいので、コツを掴むまでは膨らまずに焦げてしまうが、慣れてしまえば手軽に作れるようになる。
 そんな海音でも勝手が違うこの世界の炊事場では、何個も失敗してしまった。元の世界と同じような温度計がこの世界には存在していないため、温度の管理についてはほとんど勘に頼るしかなかったというのも原因だろう。
 この世界での作り方をよく調べないままに始めた手探りでの調理だったからか、手ごたえを得るまで時間と材料を大分浪費してしまった気さえする。材料が底をつく前に成功して良かったと、密かに安堵しているくらいであった。
 
「なかなか上手に作れなくて、悪戦苦闘している内に砂糖の匂いが充満したみたいです。先日書道を教わったお礼として、どうしても手作りしたくて……。でも元の世界と勝手が違うので、時間が掛かってしまいました」
「礼を言うのはおれの方だ。お前がここに来てからというもの無聊を託つ暇も無く、毎日が充足感で満たされている。こんなことは、この二年間で一度も無かった」
「二年間も……」
「青龍の務めを果たした師匠が深い眠りについて、おれが跡を継いでから……。この二年間は自分のことで手一杯だったな。早く師匠のような一人前の青龍にならなければと、ただ無我夢中に務めを果たして知識を蓄え続けたが、それでも心が満たされず……漠然とした焦りと不安に支配されていた。お前がここに来るまで、ずっとな……」
「一生懸命だったんですね。休む間もなく、たくさん努力をされて」
「それでもまだ師匠の足元には遠く及ばない。自分が青龍としての務めを果たした分だけ、あの方の偉大さに気付かされる。歴然とした差に、己の無力さを痛感してしまう……」

 海音の呟きにも律儀に答えてくれた蛍流は、どこか寂しさを含ませた笑みを浮かべるが、すぐに「つまらない話を聞かせたな」と話をカルメ焼きに戻す。

「そんなことで、久方ぶりに菓子を口にする。お前が手作りしたというカルメ焼き、実に楽しみだ」
「なんだか緊張します。お口に合えばいいのですが……」
「菓子に飢えた口だ。甘いものなら、なんでも口に合う」

 二人並んで縁側に腰掛け、カルメ焼きが載った皿を蛍流に差し出す。先程一口大サイズに切って爪楊枝を刺したカルメ焼きは、まだほんのり温かい。蛍流が一切れを取ると、海音も反対側から一切れ取る。

「いただこう」
「いただきます」

 焦がし砂糖の甘い匂いが漂うカルメ焼きを口にした瞬間、じゅわっと口の中で溶けて甘い砂糖の味に満たされる。口腔内の熱でとろけるのはメレンゲと同じだが、メレンゲがふわっと消えるように溶けていくのに対して、カルメ焼きは珈琲に溶かされる角砂糖のようにじわじわとゆっくり溶けながら消えようとする。
 雪のように影も形も無くなるメレンゲとは違って、カルメ焼きは存在していた証を残すかのように舌の上に溶け残った砂糖を残す。舌先で味わうこのジャリジャリした砂糖の感触も、砂糖を主原料としたカルメ焼きならではの特徴だろう。その分、他の菓子よりカロリー数値が高いのが難点ではあるが、そこは夕餉で調整すればいい。そもそもこの菓子が広まった時代には菓子の種類自体が少なかったので、一日の摂取カロリーなんて気にしていなかっただろう。貴重な菓子として多くの人たちに食べられていたに違いない。
 続けて食べると砂糖の甘ったるさで胃もたれを起こしそうだが、このカルメ焼きは焦がした部分が苦味となってアクセントの役割を果たすからか、そこまでもたれずに済みそうである。