「……どういう意味ですか?」

 その場に玉簪を置いた蛍流は、荷物を広げた奥座敷の床の中でわずかに開いている場所に移動すると雲嵐と対峙する形で正座をする。蛍流の後に続いて正座した雲嵐はさも当然のように返す。

「ここに荷物を広げている時に、昨日あったことを話してくれたよね。ボクの記憶に間違いがなければ七龍さまたちの住処に続く道って、それぞれ七龍の神気で隠されているはずだから、只人には見つけられないはずだけど?」

 昨日海音が迷い込んでしまった滝壺は、本来なら青龍である清水に認められた者しか立ち入れられない場所である。
 あの滝壺は清水の住処であると同時に、この国に流れる水の龍脈の根源。謂わば、青龍の力の水源とも言える聖域である。
 青龍が司る水の力はあの滝壺を通じて国中に注いでおり、青の地の農作物に実りをもたらす豊かな水も、あの滝壺から流れる水が水源地から川に流れ込むことで成り立っていた。
 悪意ある者に立ち入られて滝壺と水の龍脈を荒らされるわけにはいかないので、歴代の青龍たちは神力によって道の存在を隠し、自らの神力で生み出した守護獣――蛍流の場合はシロたち番虎によって、あの滝壺を守ってきた。滝壺という性質状、水音も漏れないように細心の注意を払って。
 本来であれば、海音のような七龍の形代や伴侶でもない只人は、あの道の存在にさえ気付けず、鬱蒼とした木々が集まるただの森に見えるはずだった。
 それなのに昨日の海音は滝壺に通じる道を見つけて、滝壺に迷い込んでしまった。
 その直前、昨日の早朝に蛍流が滝壺の様子を見に行った時には、道に張り巡らせた神力を含めて何も問題が無かったというのに。
 
「それについてはおれも不思議に思っていたところです。本来であれば、伴侶ではない海音は清水の住処である滝壺に立ち入ることはおろか、道を見つけることさえ出来ません。それなのに彼女は立ち入ってしまった。これはおれが持つ青龍の神気に何らかの問題があると考えられます」
「さっきも言った通り、青の地に異常は無かったよ。もし青龍さまの力に問題があったら、真っ先に被害を受けるのは青龍さまのお膝元である青の地なんだけど。その青の地はせいぜい季節外れの雨季が多いだけで、水害や干ばつは起こっていなかったよ」

 七龍国には全部で六つの土地があり、国の中心部に位置する白の地を除いて、それぞれの土地を五体の龍と、五龍に選ばれた五人の人間が守っている。各地の呼び名はその地で祀っている七龍に因んだ名前となっており、その七龍の加護と恩恵を最も強く受けるとされていた。
 青龍の清水と清水に選ばれた蛍流が住まう土地を青の地と呼んで、青龍が司る水の豊かな土地となっているように。赤龍と赤龍に選ばれた人間が住まう土地を赤の地と称して、赤龍が司る炎や火の勢いが盛んな火山帯が多い土地、緑龍と緑龍に選ばれた人間が住まう土地を緑の地として、緑龍が司る自然の豊富な木々に囲まれた土地となっているのだった。
 もし蛍流が司る青龍の神気に異常が起こった場合、最初に被害を受けるのは蛍流の神気が直轄する青の地であった。水を司る蛍流の力に何らかの異変があった場合、青の地の水脈や川に変化が訪れる。最たるものは、大雨や洪水などの水害、または川が枯れたことによる干ばつ、水質の変化であった。

「季節外れの雨季が多いというのも問題です。連日、政府の役人たちが嘆願に来ています。菜種梅雨の時期を過ぎても続く降雨をどうにかして欲しいと。これでは播種どころか、春に収穫予定の農作物にも影響が出てしまうそうです。青の地は農作物の売買で得た売上高を税として国に納めている民が多いため、収穫が著しく悪いと税を徴収出来ないと」
「そんなことを言われたって、青龍さまは跡を継いだばかりのまだまだ新米青龍でしょう。ここで無理して気負ったって、事態が好転するとは限らないよ。お役人さんたちには青龍さまの力を借りる以外の方法で、解決の糸口を見つけてもらわないと」
 
 雲嵐は否定してくれるが、当の蛍流からしたらかなり歯痒い話である。
 二年前に師匠から代替わりしたばかりの蛍流だが、未だに青龍の力が安定せず、自分が持つ青龍の神力を制御出来ずにいた。その結果、発生している問題が、季節外れの雨季であった。
 本来であれば、蛍流は人と青龍の仲介者として、青の地を治める政府の役人たちの要請に応じて、青龍の力を調整しなければならない。雨を降らして川の水量を増やし、反対に水量が多い時は雨が降らないように力を抑えなければならないが、蛍流が青龍となってからはそれが上手くいっていなかった。
 青の地は豊かな水源を生かして農業が盛んな地域でもあり、農業で生計を立てている民も多いことから、農作物に効果をもたらすような雨季の調整を頻繁に求められる。今は作付けの時期なので雨が多いと困るらしいが、如何せん未熟な蛍流には雨季の調整が出来ない。
 最近では自分の感情が著しく昂っただけでも雨が降り出すため、感情を抑制しなくてはならなくなった。反対に気持ちが落胆しても、やはり降雨になってしまう。師匠が青龍だった時は、こんなことは一度も無かったというのに。
 何が蛍流に欠けているのか、それを埋めてくれる存在として考えたのが、青龍である蛍流を支えてくれるであろう伴侶の存在であった。

「……伴侶を迎えれば、おれの力も安定すると思っていました。しかし実際に灰簾家から寄越されたのは海音でした。その海音が伴侶では無いことは確かです。彼女の背中に伴侶の証である龍の痣がありませんでした。おれの力も変わりませんし、当然彼女自身からも青龍の神気を感じられません」
「痣と神気について確認したんだ」
「彼女が来た日に。変だと思ったのです。初めて会った時から、海音からは青龍の神気を感知出来ませんでした」

 七龍の伴侶に選ばれた者は、自らを伴侶に選んだ七龍の加護を受けて、わずかながら七龍の神気を纏うようになる。その証が七龍の形をした痣と言われてた。
 七龍の形代は伴侶が纏う神気から、自分の対となる伴侶の存在を感じ取れるようになる。そして伴侶が身に纏う七龍の神気を手掛かりに、七龍の形代たちは自分の伴侶を探し出す。近くにいるのか遠くにいるのか、はたまたこの世界に存在しているのか、それともしていないのか――。
 そうして見つけ出した伴侶に、七龍の形代は政府を通じて婚姻の申し出をする。基本的に七龍の伴侶に選ばれるということは、国の繁栄に貢献する名誉ある役割を任されることを意味するため、余程の事情がある場合を除いて、伴侶は七龍と婚姻を結ぶ。政府から出る多額の支度金を使って嫁入りの用意を整えると、七龍が住まう場所へと輿入れすることになるのだった。
 昔とは違って伴侶の輿入れは強制では無いため、伴侶が見つかったからといって、必ずしも伴侶に迎える必要は無い。実際に蛍流以外の七龍の中には、伴侶の存在を肌で感じていながらも、伴侶の嫁入りを申し出ていない者が少なからず存在する。
 伴侶に選ばれても、七龍の形代との婚姻を七龍が正式に認めない限り、伴侶は人として生涯を終える。伴侶が亡くなると、また七龍が形代に相応しい別の伴侶を選ぶ。そうして形代が伴侶として迎え入れるまで、それは永続すると言われていた。