予感

渋谷駅で待ち合わせした。俊平はあの時の服装でやって来た。なつみはクールな感じの白と黒のモノトーンだ。今日はなつみはファッションチェックは必要なさそうだ。俊平がお昼は何処でと尋ねると。
「トンカツ屋」俊平がトンカツ屋を案内すると、こないだなつみがご馳走になった所である。
「仕事、決まった」
「それがなかなか決まらなくて、当面の生活費はある。しかし、早く就職しないといずれ貯金も底をつく」
「なにかやりたい事あるのなさそうね、あったら非正規労働者やってないか」
なつみは俊平に突っ込み始めた。
「なんか特技は、なさそうね」
俊平は苦笑いする。
「なんか好きな事は、なさそうね」
「なんか資格は持ってるの」
すると、俊平が
「あったら非正規労働者やってないか」
なつみはちょっと考え込んで
「部活動やってた、なさそうなの」
すると俊平の表情が生き生きしてきた。
「ボクシングやってた。県大会で優勝した。全国大会に出場するはずが自転車で転倒して骨折した」
なつみは意外な言葉にびっくりした。
「ボクシングは好きなの、当然よね」
「内藤選手みたいな叩かれても叩かれても起き上がるスタイルはいいね」
なつみはおやっとした表情で
「プロボクシングやらないの」
「もう、30です」
「やってよ、応援する」
俊平は忘れていたボクシングに目が覚めたのか、いきあたりばったりの解答なのか、その夜、ビジネスホテルに戻った俊平の頭の中にボクシングと言う格闘技がちらつき始めたのである。俊平はなつみの応援すると言う言葉。てことはなつみさんがリングの試合に見に来てくれる。俊平は福岡県ではバンタム級では敵なしだった。昔のファイティング原田、薬師寺、辰吉がズラリ名を連ねる。しかし、高校時代の話である。辰吉は同級生の女性に告白して振られた事がきっかけでボクシングから身を引いた。現実はボクシングやってチャンピオン目指すのはいいが現実は仕事をしないと生活してマンマを食えない。チャンピオンは無理でも試合になつみさんが来てくれる。
高校の先輩が東京に出て住み込みで新聞配達やってボクシングやってる人が多いと聞いたな。住み込みなら食事の心配や住居の心配はいらないし朝からのトレーニングにもなる。目黒にはジムも多いと本当かどうかは知らないが噂で聞いた事がある。なにより、俊平はなつみさんの応援。これに尽きたのであった。
俊平はなつみと次に会う約束はしなかった。気まぐれだからもしかしたら又電話するかもと言ってくれた。俊平30である。ボクシングやるのはいいが、なつみさんが見にきてくれる。その後は何もないのです。下手すると猛スピードで35になってしまう。そうなったら正社員なんか高卒出だよ。頭が痛くなった俊平である。それはそうとこれまで経済力のなさで散々振られて来たのだ。サラリーマンやってボクシングは無理だな。趣味ならいいがすると突然俊平の頭に閃いたのだ。
「松田なつみさんにいつかその日が来たらプロポーズする。振られてもいい経験だ。後悔はない。男は黙ってひたすら我が道に向かって突き進むだけだ」
なつみはフジテレビの名物アナウンサーでローカル局からやって来た女子アナで出演する事が決まった。なつみの頭には全国区になったらどうしよう。ローカル局が良かったんじゃない、あの時プロポーズを断らなくても良かったのでは後悔の念が襲ってきた。なんたってプロ野球選手である。結婚なんて誰でもよくてその場にいる人を貰っちゃえだったのがなんでこうなったのか。別にお付き合いがあったわけではないのだ。たまに食事に行くだけ、しかし彼は私を狙っていたのだ。デートもしてなくていきなりプロポーズだなんて私事、なつみを舐めてるのか。まるっきりロマンスがない。恋愛の醍醐味がない。多分結婚生活もプロ野球を引退したら価値はなくなる。マスオさん的旦那もいいがまだ27歳である。
なつみと会ってから1週間があっと言う間に過ぎた。俊平はまだビジネスホテルで寝起きをしている。ラジオのスイッチをひねるとアイドルグループ乃木坂46の気がついたら片思いの曲が流れている。テレビのチャンネルをひねるとドキュメンタリー番組だ。マカオにカジノをやりに来た二人組だ。1週間の予定でギャンブルを楽しむらしい。持ってきた資金は汗水働いて稼いだ300万円。俊平は少し減ったが貯金300万を持って上京してきた。そしてビックリしたのがお金を使い切ったら帰るらしい。俺はなんだ300万を使い切ったら次なる道はホームレスへとまっしぐらかもしれない。チャンネルを変えるとニートの若者が市議会議員の選挙にわずかなお金で立候補した。結果は敗北だ。俊平はあと250万円ある。頭の中に浮かんできたのは働いていた工場の派遣社員の知り合いは高卒で愛知県に就職。10年間に200万貯金をしたが。田舎に帰りパチンコで全部使い切ったらしい。彼らに共通しているのは使い切った後に何も残らないが悔やんではいない事だ。もしも、俺がこのお金を使い切ったら鬱病にでもなりかねない自分にハッとした。
俊平が手に持っているリモコンのスイッチを切ろうと触れるととなりの地上放送ボタンに触れた。「名物女子アナ祭り」。そこに登場しているのはなつみである。1週間前に一緒に食事をした彼女だ。彼女は俊平とは違う世界の人間だもう会う事はないだろう。
翌日、ビジネスホテルを出ると足は東京駅に向かった。俊平は大阪に向かった。食い道楽の街だ。とにかく美味しいものを食べようと当てもなく来てしまった。時計を見ると15時だお腹の虫が鳴いてきた。駅前にあるたこ焼き屋に入ると香ばしいソースの匂いに囲まれている。ホカホカの出来立てたこ焼きを頬張った。俊平の口に入ったたこ焼き。今までこんな美味しいたこ焼きにお目にかかったことはない。感動した。そして、俊平の脳裏に「これだ」
得体の知れない感動に包まれた俊平の足は、大阪駅に戻っていた。電車は兵庫県明石駅が終点だ。釣りが趣味の俊平は無償に釣りがしたくなった。明石のタコ釣り。一度は釣ってみたかった。
名物女子アナと題した番組に登場したなつみ。全国のお茶の間に顔を出したが何か虚しさがこみ上げてくる。1日だけのスター。同僚の番組関係者の中では、ローカルからやって来たアナ。逮捕された上尾と何かしら密約があっての起用という噂だ。なつみはその後のスケジュールが埋まってはこない。このままではバラエティーの世界に飲み込まれてやがて芸人の仲間入りか。27歳。もう清純者のアナではとうらない。ドロドロの沼に浸かったキャラ。何を模索しても芸人への階段を上がる道しか見えない。そんな折。NHKの人気アナウンサーが退職するニュースが飛び込んできた。なつみはこのアナ。牧野陽子45歳を尊敬していた。何かしら自分と似てる感じを抱いていた。なつみは暫く休暇をとり実家のある博多に帰省する事に。
この日は土砂降りの雨が降っている。やがて梅雨のシーズンを迎える日本列島である。明石駅に電車は止まった終電である。駅を降りて5分程歩くと卵焼きと書かれた大きな看板があった。卵焼きとは明石焼きの事だ。たこ焼きに似ているが、小麦粉がメインのたこ焼きと違って玉子をふんだんに使ってありモチモチフワフワである。俊平はソースをたっぷりとかけてから口に頬張った。俊平は実家のある熊本県熊本市で人気のあるマヨたこ焼きを思い出した。マヨネーズをベースに柔らかくふわっとした食感である。塩ダレが妙に旨味をそそっている。外を伺うとさっきまで土砂降りだった雨が小降りになった。まだ博多のアパートは家財道具がそのままになっている。東京で住居が見つかったら引っ越すつもりだ。俊平は博多に戻る事にした。友達に電話を入れると博多駅まで迎えに来てくれるとの返事だ。彼の名は岩崎努。高校時代からの親友である。俊平は根が明るい性格からか友達には恵まれている。努と会うのは五年振り、現在何をやってるかは不明だが当時はギター片手にバンドをやっていた。身分はフリーターである。努はGパンにまだ寒いきもするがTシャツ姿でやって来た。手にはエレキを抱えている。
努は博多でフリーター歴約10年。仕事する以外はバンド活動をしている。中洲にあるライブハウスに顔を見せたのは夜の9時を回っていた。既に努の率いる演奏は終了していたがこれから打ち上げ会があると俊平も誘った。宴会のある居酒屋に到着すると店内は貸切である。ドアを開けると二十名はいるようだ。俊平は努の人脈に驚いた。それに努は生き生きとしている。フリーターの身でありながら生き生きしている彼に脱帽だ。努がやって来ると。
「今日は某プロ野球選手の金村光一選手が来ています」努は高校時代に野球部に所属していた。どうやら後輩らしい。金村選手は最近好調を維持している。3週間前から調子が上がっていた。
努の挨拶はまだ続いた。
「もうひとり有名な友人も招待しました」
すると後方の席からひとりの女性が立ち上がった。俊平の目からは二十代の可愛らしい女性だ。
「松田なつみです」皆んながざわめき出した。俊平も驚いた。