「‥‥‥あ‥‥あの」


『櫂さんから聞いてるから
 早く上がって。』



 いつのまにか私が
 床にに落としていたであろう鞄を
 綺麗な手が拾ってしまうと
 そのまま部屋の中へ何も言わずに
 歩いて行ってしまった


「あ、あの!!ちょっと!!」


 ガチャン


 扉が閉まる音で我にかえり、
 その場で躊躇しながらも
 重たい大きな扉を慌てて開けると
 靴を脱ぎ捨て彼を追いかけた


 駄目だ……


 ここにいたら……
 私はここにいちゃいけない


 ドクンドクンと
 警告音が大袈裟に脳内に鳴り響く


 初めて来た人の家なのに
 ずかずかと上がり込む私だったけど、
 真っ白な扉の先に現れた空間に驚き
 その場で立ち止まった


 
 うわ‥‥‥なに‥‥ここ。


 見渡す限りの広い部屋に高い天井


 部屋の中なのに階段があるってことは
 ここは‥‥まさかメゾネットタイプ?


 エレベーターもよく考えたら
 十五階までしかなかったから
 気付いたけどここ最上階じゃん!!


 何処を見渡しても凄すぎて
 開いた口が塞がらない……


『ねぇ、こっちに来て座って貰える?』



 ツッッ!!


 あまりの凄さに目的を忘れてた!!
 初めて見る感動的な空間に
 のんびり見とれてる
 場合じゃないのに‥



「あ、あの!」


 ソファの近くまで行き
 近付いた私は、
 彼の手から勢いよく鞄を奪い取る


 昔と変わらない黒い髪と瞳に
 あの時に引き戻されそうで怖くなり、
 心臓の音が聞こえないように
 カバンを胸に抱え込んだ


『なに?』


「……バイトの件
 やっぱり断らせて貰えませんか?」


 いきなりアポなしで来て上がり込み、
 面接もせずやっぱり辞めますなんて
 非常識だし人間として最低だと思う


 でも、忘れたくて苦しくて、
 もう二度と会うこともないと
 思っていた相手だからこそ、
 今すぐにでも逃げ出したくて仕方ない


 5年前のあの日
 あんなことをしなければ
 良かったのに‥‥って





『‥‥‥嫌だって言ったら?』


 えっ!?