白衣を纏う先生が振り返って
もう一度私の顔を見て何か考えている



『今から聞くことに
 落ち着いてゆっくりでいいから
 答えてほしいのですが
 お名前は立花 日和さんですか?』


「……ちが……あ………」


どうしよう………


さっきは違うと思ったのに……
今度は何も出てこない。
頭の中が何もないみたいな
感覚に体が震える



『日和!!
 お前ふざけてんのか!?』


「でも………分かんな……あ……
 分かんな……いの。
 たちばなって‥‥知らな‥‥い」


お兄ちゃんの叫び声が
遠くで聞こえるのに
何にも言葉が出てこない。


話したいのに声が上手く出ない。



「ハァ‥‥イヤ‥‥‥」



『落ち着いて下さい、立花さん?
 立花さん!!』


呼吸が苦しくなった私に
マスクが被されると体が急に熱くなり
私は意識をまた失った







あれから何日か過ぎているのに、
自分の名前が分からないことに
毎日頭を抱えてしまう


自分のお母さんとお兄ちゃんは
この人だって分かるのに、
あとのことが全く分からないままだ


心が落ち着くまで
誰とも会えないよう
個室の病室を選んでくれた
お兄ちゃんには感謝をしてる


まだ痛む体でベッドの柵の
少し上を見上げる


「(たちばな ひより…‥‥
 やっぱりこれが私の名前。)」


どうして何も思い出せないのか、
何でこんな世界に
自分がいるのかが分からない




昨日、心が不安定なのか夜に眠れず
やっと浅い眠りにつけた昼ごろ、
部屋の外で話すお母さんと先生の声が
聞こえてしまった


『………記憶喪失‥です‥か?』


記憶喪失なんて
疑いたくもなるけれど、
実際に名前すら思い出せない自分に
涙が込み上がる


お母さんはお父さんと離婚をして
今は北海道と遠くに住んでいるらしい。


そして私は都内の大学に通うため
今は一人暮らしをしている。


お兄ちゃんは私が通う大学の
文学部文芸講師らしい



「はぁ……」



昨日少しだけ落ち着いた私に
お兄ちゃんが教えてくれたこと。


話をしていて気付いたのは
生まれた頃から15歳くらいまでの記憶がなんとなくあること


小さい時の話や小学校の話を聞くと
そうだったかもって気持ちになれた。


頭の中のことだから
詳しくは分からないけれど
その後から今までのの記憶が
完全に思い出せない。


記憶が戻るか戻らないかは
現段階では分からなくて、
階段から落ちたときの衝撃が
強かったから
様子を見るしかないらしいのだ



受け入れたくても
受け入れられない状況が
いつまで続くのだろう‥‥


知りたい………
私が忘れてしまったことを
誰か教えてくれるなら
それでもいいから
この寂しさから連れ出してほしい