夏期補習も早いもので五日が経っていた。その間私は忙しさにかまけて、今一番大事な課題である所の雄太君への返事を先延ばしにしていた。
「千尋~……」
「う……ごめん。」
「謝るくらいならさっさと断ってきなさいよ。まったくあんたってば、肝心な時に優柔不断発揮するんだから……」
 呆れた顔の桜に叱られた私は、しょぼんと肩を落とす。そして深い深いため息を吐いた。
 今日の補習は先程終わって、我が二年三組の教室は私達しかいない。二人はそれぞれ自分の席に座っていた。
「だって雄太君、何だか私の事避けてるっていうか、全然つかまんないし。あんなに仲良かったのに実は連絡先知らないし、断ろうにもまず会えないんだもん……」
「それは!雄太君がわざと会わないようにしてるんでしょ。それに千尋の方も引け目があるから本気で見つけようとしない。違う?」
「違くない……たぶん。」
 桜の言ってる事は当たってる。少なくとも私の本心はその通りだから。

「……雄太君は私に断られるのがわかってて、逃げてるのかな。」
「そうなんじゃない?それか、様子を見てるのかも。」
「様子?」
「千尋の様子よ。ただ単に自分を好きじゃないから断ろうとしているのか、他に好きな相手がいるのか。いるならそれは誰か。」
「へぇ~…そこまで考えてるのか……」
「ま、私の想像だけどね。気まずくて会えないだけかも知れないし。」
「う~ん……」
「でもまぁ、会えないんじゃしょうがない。よし、千尋!行くよ!」
「え?何処に?」
 急に椅子から立ち上がる桜にビックリして顔を上げると、桜は人差し指を教室のドアに向けて言い放った。
「職員室よ!」



「失礼しま~す。……あれ?高崎先生だけですか?」
 職員室のドアを開けて中を覗くと、そこには高崎先生しかいなかった。隣で桜がガッカリした顔をしている。顔に出過ぎだよ、もう……(呆)
「風見さんに大神さん。まだ残ってたんですか?」
「え、えぇ。ちょっと宿題でわからない所があって、桜に教えてもらってたんです。」
「そうですか。勉強熱心ですね。」
 先生が笑顔を見せながらこっちに歩いてくる。
『先生が好き』という自分の本当の気持ちに気づいた今の私にとって、そんな(無駄に)爽やかな笑顔は心臓に悪い……
「あの、藤堂先生ってもう帰りました?」
 邪念を吹き飛ばしながらそう口にする。途端にその笑顔が固まった……ように見えた。気のせいかな……
「あ、あぁ……藤堂先生ならちょっと電話してくるって言って外に行きましたよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないですか?」
 高崎先生らしからぬ何処か突き放すような口調に、私は首を傾げた。
 どうしたんだろう?何か先生、機嫌悪い?私何か気に触るような事言った?
 いや、でもただ藤堂先生について聞いただけだし、忙しくて疲れてるのかな……?
「わかりました。先生、ありがとうございます!さようなら!」
 急にテンション上がった桜が大声でそう言うと、私を無理矢理引っ張って行こうとする。私は危うくコケそうになりながらも先生に向かって笑顔を見せた。
「じゃ、じゃあ先生。また明日。さようなら!」
「……はい。明日もよろしくお願いしますね。」
 いつもの穏やかな先生に戻った事に安堵しつつ、桜に連れられるまま職員室を後にした。

「あ!いたいた!」
 昇降口を出て藤堂先生を探すと、意外にもすぐに見つかった。昇降口を出て右に曲がると裏庭へと続く細い通路があり、その裏庭よりの所に壁に寄りかかるようにして藤堂先生がいた。携帯を耳に当て、何やら深刻な表情で話している。声をかけようとしていたらしい桜が思わず足を止める程、そこには不穏な空気が漂っていた。
「何か不味い所に来ちゃったんじゃないの?」
「うん…いつもの先生じゃないみたい……」
「帰ろっか、桜。」
「うん……」
 名残り惜しげに先生の事を見る桜の腕を優しく取って帰るよう促す。小さい声で頷いた桜と二人で踵を返そうとした時、突然怒鳴り声が響いた。

「だから何だよ、それは!」
「!!」
 文字通りビクンッ!と体を震わせる私達。恐る恐る後ろを振り返ると、険しい顔をした藤堂先生が電話に向かって怒鳴っていた。
「だから何でそうなるんだって聞いてんだよ!俺が悪いのか?そりゃあ…連絡しなかった俺が悪いけど、このところ忙しくて……はぁ?」
 怒っていた先生が固まった。そして小さくかぶりを振ると、おもむろに携帯を持つ手を変えた。
「……わかった。そういう事なら仕方ないな。いや、全部俺がいけなかったんだよ。あぁ…今までありがとうな。じゃ……」
 通話を切る『ピッ』という小さい音さえも聞こえる程の静寂が辺りを包む。だらんと力なく下ろされた手が、まるで作り物のように見えた。

 どのくらいの時間が経っただろうか。視線を感じて顔を上げると、藤堂先生の驚いた顔と対面した。
「お前達…何で?いつから……?」
「あ、あの……」
 言葉が出てこない。焦る私達を見て状況を理解したのか、先生はいつものように軽いノリでこう言った。
「あーあ!フラレちまったよ。新しい男ができたんだってさ。やっぱり遠距離は上手くいかないって本当だな。」
 苦しくて辛くて悔しいのは自分だろうに、私達に気まずい思いをさせない為に明るく振る舞う藤堂先生に涙が出そうになる。
 そっと桜の方を見ると、桜は泣いていた。
 無理して笑う先生の代わりに泣いていた……