「助けてもらい礼を言うぞ」

「やっぱり昨日の猫ちゃんなんですね!」

「ね、猫ちゃんなどと呼ぶな。俺は──」

「猫が人間になるなんて、うそみたい!?」


 咲良のテンションの上がり具合に、男は戸惑いを見せる。


「そうだ! さっき私の顔になにか……してました?」

「ああ、起こしてしまったようですまないが、あれは俺の愛情表現だ。許せ」


 彼の甘美な声が心地よく蔵の中に響く。その声のせいか、咲良はついつい気を許してしまいそうになる。


「うーん。そっかあ、愛情表現──」


 言葉をさえぎって首を振る。我に返る。


「じゃなくってえ! なんでそんなことするんですか!?」

「な! なんでって。咲良だって俺のことを優しく愛でてくれたじゃないか! それと同じだろう」


 話が微妙にかみ合わないことに戸惑いを覚えながらも、とりあえず悪人ではないような気がして、目の前の全裸の男に対する警戒心が薄れてゆく。


「でもよかったー。ドロボーとか痴漢じゃなくて、そっか……猫ちゃんかぁ」

「ちなみに、俺はただの猫じゃない」

「……?」

「俺は、猫魈(ねこしょう)というあやかしだ。それに琥珀というれっきとした名前もある。常世(とこよ)の住人だが、わけあってこの現世(うつしよ)で行き倒れた」


 思いがけない情報の多さに、頭がこんがらがる。


「う、うん、とりあえず猫ちゃんは、あやかしで、それがどうして人間に……。とりあえず服着ませんか?」


 落ち着いて彼の話を聞きたいと思ったが、恥ずかしくて視線を向けることができない。


「猫ちゃんなどと呼ぶな! 琥珀だと言っておろう」

「わ、わかりました。琥珀、さんですね。とりあえずその格好をなんとか……」


 若い見た目の割りに古臭い喋り方をする猫ちゃん、もとい琥珀と名乗る男は自分の裸体に視線を落とした。


「失礼、そういえば服を再現するのを忘れておったよ」


 「ハッ!」と言って、琥珀が腕をふりかざすと、あっという間に彼の体を衣服が覆った。

 それは漆黒に包まれた見事な、羽織袴というのだろうか。見たこともない光沢のある布生地が黒々とした輝きを放っている。


「う……そ……。キレイ……」


 琥珀は立ち上がり、唖然としている咲良に歩み寄った。そのふるまいは気品にあふれている。

 琥珀は咲良のそばに膝をつく。


「失礼した。(よそお)いはこんなものでかまわんか?」


 手を伸ばせば届く距離でささやいてくる琥珀に、咲良は心の中で酔いしれた。琥珀の顔は近くで見るとよりいっそう美しく、作り物のような印象を受ける。


「いきなり服が……それってなに……魔法?」

「魔法? なんだそれは。これはあやかしが使う妖術と呼ばれるものだ」

「あやかし? それってもしかして妖怪みたいな!?」

「同じようなものだが、俺たちはどちらかといえば人間に近い存在だ。常世において人間社会と同じようにあやかしたちで社会を形成して暮らしている」


 琥珀は咲良を見据えながらたんたんと答える。普通なら頭を疑ってしまうようなぶっ飛んだセリフも、彼が口にすることでなぜか妙に納得してしまう。

 そもそも目の前で起こる不可思議な現象を見てしまった咲良は、全てを信じるほかなかった。

 咲良はごく自然に、あやかしというものの存在を受け入れていた。


「とりあえず、命の恩人である咲良にお礼がしたい」


 右手を差し出してくる琥珀。おそるおそるその手を握ると、ぐっと引っ張られて勢いのまま立ち上がった。

 そして、琥珀は咲良の背中にぎゅっと腕をまわしてきた。


「やっ」


 小さく声を出した私の抵抗むなしく、そのまま彼に抱きしめられてしまう。


「咲良、お前のおかげで俺の命は助かった。拾ってくれて本当にありがとう」

「──!!」


 咲良は声を出すことができずに、彼の大きな腕の中に身を預ける。

 とくん、と胸が鳴るのがわかる。


(こんな気持ち初めて……心地いい……)


 知らない男に抱きしめられているはずなのに、咲良はとても落ち着いていた。本来ならばありえない光景だが、不思議と彼に身を預けることに不安はない。


「うぅ!」


 咲良の身を離し、琥珀は急にくぐもった声を出して顔をしかめた。背中の方を押さえて膝をつく。


「どうしたんですか?」

「なに、かすり傷だ」


(キズ?)


 咲良が琥珀の服をまくり上げると、下に着ている襦袢(じゅばん)が真っ赤に染まっていた。