「もうイヤだ。帰りたくない」


 いつもの帰り道で、咲良は雨に打たれながらつぶやいた。

 自分の顔を濡らしているのが雨なのか、涙なのか、それすらもよくわからない。

 放課後、担任から頼まれた書類の整理を終えて帰ろうとすると、雨がパラパラと降っていた。傘を忘れたので仕方なく濡れながら帰っているところだった。


 すると、雨音に混じってなにかの鳴き声を耳にした。


 気のせいだろうか。辺りを見回すと、近くに色褪せた赤色の鳥居があった。その奥には古びた小さな神社が見える。


(あれ、こんなところに神社なんてあったんだ……?)


 境内の奥の小さな(やしろ)。その賽銭箱のそばに何かが横たわっている。


(なんだろ……なにかいる)


 何かの動物かもしれない。咲良はおそるおそる足を進めた。境内の中を通り、それに近づくにつれ心臓の音が高鳴る。


 それは猫だった。力なく横たわっている。


「だ、大丈夫?」


 黒猫に見えるが、泥と雨にまみれてそう見えるだけかもしれない。


(死んで……ないよね。鳴いてたもん)


 咲良は猫のそばまで来てしゃがみ込む。

 猫は目を閉じたままぐったりと動かない。風のせいで雨が容赦なく吹き付けている。体温を奪われた猫はもはや動けないほど弱ってるのかもしれない。


(どうしよう。どうしよう──)


 助けてあげたいが、咲良には頼れる大人はいない。おろおろしている間にも、雨足はさらに強くなってきた。

 咲良は意を決した。

 制服の上着を脱いで、猫の身体をくるんで抱えた。そして、走った。



 雨の中、咲良はなんとか猫を連れ帰った。小さくて軽そうに見えた猫の体も、抱えて走るのはけっこうしんどかった。

 制服も靴もグショグショになったけど、そんなもの別にかまわない。この子を苦しみから解放してあげたいって気持ちで必死だった。

 家の者に見つからないように、離れにある風呂場へと入った。そして猫の体をぬるま湯で洗ってやり、体をよく拭いてあげた。

 それからタオルで包み、蔵へと連れて行った。



(どうしよう……ミルクとかあげたほうがいいのかな。母屋の冷蔵庫に牛乳はあるけど……)


 咲良が母屋に立ち入ることはめったにない。立ち入りが禁止されているわけではないが、継母かレイコに見つかるとろくなことにならないからだ。

 使用人たちも、立場上は宮野家の子供である咲良に対して最低限の世話はやいてくれるが、さすがに拾ってきた猫のことを相談することはできない。



 咲良は迷ったあげく、水を汲んできて猫に与えた。

 目の前に水の入った皿を置くと、猫は少しだけそれをなめた。しかしその後、また横になって静かに寝息を立て始める。

 その姿を、ただ見つめた。


 結局何もしてやれない、そんな自分の無力さに嫌気がさした。


 涙がぽろぽろとこぼれてくる。


(なに泣いてんだろ。私のバカ──)


 涙を指でぬぐう。


(私が泣いてもなんにもならない)

(この子が死んだら私のせいだ)

(もし、他の人に拾われていたら、助かっていたかもしれないのに──)


 咲良は眉間にしわを寄せ、悲痛な願いを口にしていた。


「お願い……どうか、この子を救って……」


 咲良は祈りながら、猫の体を優しくなで続けた。