それからアリヤは一年間、死に物狂いで頑張った。家の手伝いもこなし、空いた時間と隙間時間を見つけては勉強と体力作りに励み、詩術の訓練も欠かさない。めきめきと成績と詩術の腕に筋力、体力を上げていく様は友人達に若干、引かれる程だった。
 そうやって過ごした一年後。努力の甲斐あってか、十五歳の彼女は学校を首席で卒業し、厳しい入学試験を突破して遂に学院への入学を許可された。時折、知恵熱でうなされたこともあったのでまさかアリヤが成し遂げるとは思っていなかったのか、彼女の両親は「よく頑張った」「自慢の娘だ」と何度も彼女を褒めて合格通知をもらった日は、街一番のレストランでお祝いした。それも嬉しかったが、アリヤが伝えたい人はもう一人いる。無事に合格できたと土下座したあの日から連絡先を教えてもらったダーゼルへ、彼女は手紙で報告する。これを足がかりにもっと勉強して絶景保存士になりたいと意気込みを書いて便箋に入れて封をし、切手を貼ると、詩術が施された手紙は鳩の形に折られて窓から飛んで行った。
 数日後にダーゼルから返事が来て、内容は入学金のことと「学院行っても頑張れよ」というシンプルな応援だけだったが、アリヤはその素っ気なさが彼らしい感じがして、密かに彼からの手紙が楽しみになっていった。



 学院ではアリヤの知らなかった多くの知識、詩術、人々が彼女を迎えた。学院長のシンユエ・リュンヌの下、詩術師として活躍している精鋭揃いの教師陣に習い、自分の好きなことには全力投球してアリヤは確実にその全てを吸収していった。新しい友人、古くからの友人達とも繋がりを断たず、学校を卒業した頃と比べて彼女は見識と視野を広げることができたと感じた。しかし、学院の中でも絶景保存士を目指しているのは彼女を入れて数える程しかいなかった。その事実にやはり、ダーゼルの言っていたことはあながち間違いではないなと彼女は痛感していた。
 試しに何とはなしに友人達に絶景保存士について訊いてみると、皆一様に「あれは趣味でしょ」だとか「あんまり稼げなさそう」だとか「資格自体は国家資格レベルの勉強が必要な割に職業としてはあまり旨味が無い」とあまり良いイメージは無さそうだ。
 実際、アリヤもこれらの意見には反論できなかった。確かに絶景保存士はその名の通り、絶景を実際に自分の目で見て景色を知識として取り込み、実際に触れて正確なイメージを補強し、実際に絶景の材料となる石や土、植物の葉などを現場から採取しなければならない。そして、目当ての絶景に出会うまでにはとにかく指定の時間まで辛抱強く待たなければいけなかったり、危険な山道を進まなければならなかったりとその一瞬の為に費やす労力を考えたら、確かに他の職業を選ぶのが賢明な判断であり、大抵の人々は選ばない道だろう。それをアリヤは批判するつもりは無い。しかし、それを差し引いても絶景保存士という職業は依然として彼女の心を掴んで放さなかった。
 授業の一環としてシンユエの引率の下、隣国の木の国まで赴いて実際に箱庭をいくつか作ることになった時だ。アリヤを含めて授業に出ているのは五人ほど。それでも、今年は絶景保存士の希望者が多いとシンユエからは聞いていた。多くても、たった五人かとアリヤは思ってしまった。しかし、それもすぐに頭を振って邪な考えだと打ち消す。たとえ五人でも、共に絶景保存士を目指す仲間なのだ。他の科を羨むのは止めようとアリヤが思い直したところで、シンユエからゆったりと課題の条件が発表された。

「はい。それでは、学院を出る前に各自に渡しました課題用の箱に、自分の好きな景色を再現してみてください。後日、その景色についてのレポートも提出して頂きますので、何故その景色を選んだのか、自分のイメージ通りに出来たか等、レポート用紙三枚程度にまとめて下さいね」

「それでは、始め!」の声でアリヤ達は思い思いの場所を探しに行く。彼女が所属している科は少々変わった生徒が多いようで、途中まで誰かと一緒に行こうと考えていたアリヤだったが、声を掛ける前に皆早々と解散してしまう。仕方ないので、アリヤも一人寂しくとぼとぼと歩き出すしか無かった。
 そうして紆余曲折あったが、アリヤは何とか今の段階で出来うる限り、理想の箱庭を作ることができた。レポートもシンユエの言う通りにしっかり三枚書いて提出した。



 そんな典型的な優等生だったアリヤも三年も在籍すれば、学力だけではなく、精神的にも大きく成長したと実感が伴う。学院を卒業した十八歳の彼女は入学当時より凜とし、いくらか大人らしくもなった。ダーゼルとの約束通り、成人した彼女は卒業式の翌日には、早速旅立つ準備をしていた。卒業間近になってから買い揃えた絶景保存士用の詩術道具や在学中に愛用していた日用品を大きなリュックと肩掛け鞄にギュウギュウに詰め込み、ダーゼルが迎えに来るのを今か今かと待っていた。
 午前中はわくわくしながら店先で待っていたアリヤだったが、やがてパンを買い求めるお客が増えてきたので、母にいつも通り手伝うよう言われ、アリヤは荷物を家の方に引っ込ませて配達や接客に駆り出されてしまった。心中でダーゼルはまだかと期待と僅かな怒りが募る。そうして、漸く彼が店に現れた時にはアリヤの心には怒りしか無かった。彼が来店したのは、閉店間際だったからである。現れたダーゼルにアリヤは開口一番に言った。

「遅いよっ!!!! ダーゼルッ!!!!」

 エルフ族は耳が良い。小さなパン屋でアリヤの大絶叫を聴かされたダーゼルは思わず、両耳を押さえた。キーンとくる強烈な耳鳴りに苛まれながらも、何とか彼は弁明する。

「いや、ごめんって。ちっと山に登ってたから遅くなっちまっただけなんだって」
「ふんっ、どうだか。一生来ないのかと思った!!」

「約束したのに!」と怒るアリヤに「悪かったって」と謝るしかない様子のダーゼル。それでも、アリヤの怒りが収まらないので、彼は自身のポケットを探り、何か取り出すと彼女に差し出した。

「ほら、これやるから機嫌直せよ」
「わ、私は物でなんて誤魔化されないんだから……! ……何これ」

 アリヤに差し出されたのは、革紐が通された美しい赤い石だった。店で売っている物というよりは手作りらしい物で、細長くしてある石の上部には革紐が三重に巻かれている。石は店内の照明に当てると、燃えるように輝き、微かに虹色の粒子が入っているようだ。

「綺麗……」
「――ほんとは、卒業祝いにって思ってたんだけど、それで詫びってことにしてくれ」
「これ、ダーゼルが作ったの?」

 アリヤがそう訊くと、ダーゼルは「まぁな」と照れ臭いのかそっぽを向いてぽりぽりと頬を掻く。その仕草が何だか可愛らしく見えたアリヤは悪戯心が働き、ちょっとだけからかってやろうと彼の脇腹を指でつついた。

「え~? ほんとに~? なんか怪しい~」
「それは本当にオレが作ったって。女へのプレゼントなんて、よく分かんねぇし」
「ふぅ~ん? でも、粋じゃない。綺麗な石のペンダントなんて」
「なんだ、お前知らないのか」
「へ? 何が?」
「それ、ただのペンダントじゃなくて、お守りだぞ」

 ダーゼルが言うには、絶景保存士は皆宝石に宿る詩情を尊び、小さく加工してお守りとして身に着けているのだという。時に危険な山へ登ったり、海、川、谷にまで足を運ぶ危険な仕事だからこそ、こういった文化が浸透しやすいのだろう。詩情が宿った石は崖からの滑落時などの緊急時に備えて温存しておく物らしい。ダーゼルが自分の身を案じて用意してくれたのだと思うと、アリヤは彼が遅れたことなど簡単に許してしまうのであった。