私と悠は勤務のあと職員室に残った。
パソコンは帰ってから教えることができるけど、誕生日会の準備は保育園でしかできない。
だから、まずは誕生日会の準備を進めることにしたのだ。
誕生日会というのは、月末に、その月が誕生日の子どもたちをお祝いするイベントで、当番の保育士は、子どもたちの前でマジック、劇、ペープサートなどの出し物をやることになっている。
来月は、私と悠がその当番だ。
今回は、私の提案で『ノンタンブランコのせて』という絵本のペープサートをやることになった。
「こらーーー！悠ってば！雑に画用紙切らないの」
「えー。ちゃんと切ってるつもりなんだけどなぁ」
相変わらず、悠は画用紙を丸く切るのが苦手だ
不器用なので切った箇所がギザギザになってしまっている。
丸の形も、綺麗な丸ではなく歪な形だ。
「ちゃんと、まずは丸く切るところは鉛筆で書いて下書きするの。上手く丸が描けなかったら、トイレットペーパーの芯とかで切るところに下書きするの！そういうの、めんどくさがらないの！わかった？」
「はいはい。わかったよー」と、返事をして悠は作業を続ける。
私の前では素直にしているけど、ちょっと目を離すと、悠はすぐに雑に手を抜くところがある。
本当は口うるさく言いたくはないけれど、私は彼のそういうところがすぐ目に入ってしまう。だから仕方がない。
「悠。私が側にいなくても、ちゃんとやってくんだよ」、小さく呟いた。
あぁ。また胸がきゅっと傷んで、心がざわざわする。
「ん？なんか言った？」
「サボらずにちゃんとやってほしいって言ったの。知ってるんだよ。私が見てないところで、悠はサボろうとしてるのっ」
心のざわざわを吹き飛ばすために、あえて大きな声で言った。
すると、「くくく」と悠が笑いだす。
「何が可笑しいの？」
「いやぁ、だってさ。晴はなんでも俺のことお見通しだし。ちゃんと俺を見てくれてるのが嬉しくってさ。晴ってやっぱ俺のこと大好きだよな」
「怒ってんの私は！」
「でも嬉しいなって」
「怒られてるのに、喜ぶなんて変なやつだと思われるよ」と呆れつつ、悠の楽観的な性格を私は見習いたい。
「あはははは。怒られて嬉しいのは晴にだけだよ」
私のざわざわした気持ちをよそに悠はそこ風のように笑う。
いつもこの笑顔を見ていると、私のざわついた心がすっと落ち着いていく。
ぽかぽかと心が平穏になっていくのだ。
ペープサートの制作が完成し、帰ろうとした時、職員室のドアが開いた。
そして「ちょっと犬塚君。帰りに園長室寄ってねー」と、園長先生が読んだ。
「あーっ！しまった忘れてた」と悠が慌てる。
「何？また何か忘れたの？」
「この前イベントで使ったテントが園庭に出しっぱなしでさ。それを俺と園長先生で片付けようって約束してたんだよ」
「もう、何やってんのよ」
私は呆れて額に手を当てた。
「私も手伝う」
「いいよ。晴は休んでて。結構テント重いし」
「なら、尚更一緒にやったほうがいいじゃん。悠と園長先生だけでやるつもりなんでしょ。危ないよ」
立ち上がる私を、心配そうに悠がじっと見つめていることに気がついた。
「そんな見つめられたら恥ずかしいんだけど」
「じゃあ…。晴にも手伝ってもらおうかな。ありがとう」
多分、悠は私の身体を気遣おうとしたのだろうけど、言い出したら聞かない私の性格を考慮したのだろう。
私は、私の抱えている事情で、みんなのお荷物にはなりたくない。
二人で園長室に向かった。
「犬塚くーん。私がどれだけ待ったと思ってるのよ」
「すみません。すっかり約束忘れちゃってました」と、悠が素直に謝る。
「犬塚君のことだからそうだと思ったわ。でも、職員室に呼びに行ったら、あなたたちが仲良く制作してるから声かけられなくって。でも、あんまりにも遅いから最後は声かけちゃったわ」
「ごめんなさい」と、私が謝ると「なんで猫本さんが謝るのよ。いいのよこれから犬塚君に頑張ってもらうから」と園長先生が微笑んだ。
「私も手伝います」
「え？力仕事はいいのよ。無理しないで」
手で静止させようとする園長先生の横で「無理じゃありません。私なんかの心配しないでください。テント片付けるくらい全然大丈夫です」と言った時、悠と園長先生が目を合わせたのがわかった。
私には、とある事情があって保育園の職員はそのことを知っている。
だがら、二人とも私に気を遣ってくれているのだろう。
園長先生も私の性格をよく知っている。こうなった私は止められない。
私はとにかく気を遣われるのが嫌なのだ。
気を遣われたら、遣われたぶんだけ、なんだが自分が普通じゃない気がして嫌になる。
結局、園長先生も折れて、私もテントの片付けを手伝うことになった。
「よし！やっと終わったー」
テントを片付け終えたあと悠のやりきったという声に私は安堵を感じた。
わかっていたけど、結構疲れた。
意識がぼーっとして体がフラフラする。
気を抜いた瞬間よろけてしまい転びそうになったところを、悠が咄嗟に体ごと受け止めて支えてくれた。
「あー。やっぱ、また無理してる。大丈夫？」
「ごめん。ちょっと、ふらついただけだから」と、慌てて体勢を戻した。
「晴っていつも頑張りすぎちゃうところがあるから気をつけたほうがいいと思う」
「う、うん。ありがと」
悠はいつも優しい言葉をかけてくれる。
その言葉が嬉しくて、今度は違う理由で頭がぼーっとしてしまう。
「そういえば犬塚君」
園長先生の声がして、私は我に返り、さっと悠の側から離れる。
しまった。こんなところを見られたら、また、いちゃいちゃしてると思われてしまう。
「保育研究会の実践発表なんだけど、とりあえず、来月には叩き台の資料ちょうだいね」と、園長先生が言った。
え？保育研究会の実践発表？来月中に叩き台の資料？
私の頭がついていけてないうちに「わかりました」と悠の声がした。
園長先生が言ったあと「ねぇ、悠。今の話って何？」と、私はすぐに訊いた。
「あぁ。今年の保育研究会に、俺のクラスの実践を発表して出すんだよ」と、悠があっけらかんと応える。
私は焦った。
悠に保育のことから、料理など、彼に必要なことを半年かけてゆっくり教えていこうと思っていたのに、私に計画が一つ音を立てて崩れた。
保育研究会とは、全国の保育士や大学の先生たちが集まって、保育実践をもとに、より良い保育を討論し研究する会で、一年に一回どこかの都道府県で開催される。
そして、その実践発表の資料とは、当然パソコンで提出しなければならない。
まず、何を書くかも考えなければならないのに、話が急すぎる。
そういえば、この前、職員室で悠は何か園長先生に頼み事をされていた。
これは安請け合いというレベルではない。
悠が珍しくパソコンを教えてと言ってきたことにも納得ができた。
頭を抱える私を見て「まぁ、なんとかなるっしょ」と、悠が笑った。
「悠のバカ！悠がやらなきゃならないことなんだよ！大変なんだよ！なんで私に早く言わなかったの？そうすれば、もっと早くから手伝えたのに」
「晴の負担になりたくなかったんだよ。でも、どっちにしろパソコンは教えてもらわなきゃならないし。負担増やしてごめん」
素直に謝る彼を見たら、怒る気にはなれない。
ため息をついたあと、「なんで研究会の話を受けたの？悠は新人だし、そんな無理しなくて良いと思うんだけど」と訊いた。
「早く晴みたいになりたいんだ。ちゃんと子どもたちの気持ちや発達がわかって。寄り添ってあげれる保育がしたいんだ。だから、研究会の話が来た時、勉強になるからやってみたいと思ったんだ」
真っ直ぐな目で応える悠。
安請け合いじゃなかったんだ。
それに晴みたいにと言ってもらえて、単純に嬉しい。
でも、現実は甘くない。
悠は、資料の内容を日々の保育から考えなければならないし、何よりパソコンが使えない。
「もー。私も手伝うから一緒に頑張ろうね」
「晴はやっぱ優しい。子どもにも、大人にも。そんな晴が大好きで憧れなんだ」
「そういう恥ずかしいことをでかい声で言わないでよ。悠はちょっと私が手伝うことに依存しすぎじゃない？いつまでも自立しないと私どっか行っちゃうかもよ」と、私は恥ずかしさを紛らわすために意地悪を言ってみる。
「ははは。手厳しいなー」と、悠が笑う。
やることは盛り沢山だ。でも、二人でならきっとなんとかなる。
そう二人でなら。
でも、いつか悠は一人でやれるようにならなければならない。
その時のために、今は私が悠を支えよう。
そう思った。
しかし、テントの片付けで予想以上に体力を使ってしまい、その日、私は悠にパソコンを教えることができなかった。
「大丈夫だから、教えにいく」と言ったけれど、私の顔色が悪いことに気がついた悠が「今度でいいからちゃんと休んで。晴は無理して頑張るところがあるから気をつけたほうがいい」と、言って譲らなかった。
実際に私も疲労困憊で、この日は悠の言った通りにするしかなかった。
悔しいが時間がある時、少しづつパソコンの使い方を教えていこう。
まだ時間はある。
パソコンは帰ってから教えることができるけど、誕生日会の準備は保育園でしかできない。
だから、まずは誕生日会の準備を進めることにしたのだ。
誕生日会というのは、月末に、その月が誕生日の子どもたちをお祝いするイベントで、当番の保育士は、子どもたちの前でマジック、劇、ペープサートなどの出し物をやることになっている。
来月は、私と悠がその当番だ。
今回は、私の提案で『ノンタンブランコのせて』という絵本のペープサートをやることになった。
「こらーーー！悠ってば！雑に画用紙切らないの」
「えー。ちゃんと切ってるつもりなんだけどなぁ」
相変わらず、悠は画用紙を丸く切るのが苦手だ
不器用なので切った箇所がギザギザになってしまっている。
丸の形も、綺麗な丸ではなく歪な形だ。
「ちゃんと、まずは丸く切るところは鉛筆で書いて下書きするの。上手く丸が描けなかったら、トイレットペーパーの芯とかで切るところに下書きするの！そういうの、めんどくさがらないの！わかった？」
「はいはい。わかったよー」と、返事をして悠は作業を続ける。
私の前では素直にしているけど、ちょっと目を離すと、悠はすぐに雑に手を抜くところがある。
本当は口うるさく言いたくはないけれど、私は彼のそういうところがすぐ目に入ってしまう。だから仕方がない。
「悠。私が側にいなくても、ちゃんとやってくんだよ」、小さく呟いた。
あぁ。また胸がきゅっと傷んで、心がざわざわする。
「ん？なんか言った？」
「サボらずにちゃんとやってほしいって言ったの。知ってるんだよ。私が見てないところで、悠はサボろうとしてるのっ」
心のざわざわを吹き飛ばすために、あえて大きな声で言った。
すると、「くくく」と悠が笑いだす。
「何が可笑しいの？」
「いやぁ、だってさ。晴はなんでも俺のことお見通しだし。ちゃんと俺を見てくれてるのが嬉しくってさ。晴ってやっぱ俺のこと大好きだよな」
「怒ってんの私は！」
「でも嬉しいなって」
「怒られてるのに、喜ぶなんて変なやつだと思われるよ」と呆れつつ、悠の楽観的な性格を私は見習いたい。
「あはははは。怒られて嬉しいのは晴にだけだよ」
私のざわざわした気持ちをよそに悠はそこ風のように笑う。
いつもこの笑顔を見ていると、私のざわついた心がすっと落ち着いていく。
ぽかぽかと心が平穏になっていくのだ。
ペープサートの制作が完成し、帰ろうとした時、職員室のドアが開いた。
そして「ちょっと犬塚君。帰りに園長室寄ってねー」と、園長先生が読んだ。
「あーっ！しまった忘れてた」と悠が慌てる。
「何？また何か忘れたの？」
「この前イベントで使ったテントが園庭に出しっぱなしでさ。それを俺と園長先生で片付けようって約束してたんだよ」
「もう、何やってんのよ」
私は呆れて額に手を当てた。
「私も手伝う」
「いいよ。晴は休んでて。結構テント重いし」
「なら、尚更一緒にやったほうがいいじゃん。悠と園長先生だけでやるつもりなんでしょ。危ないよ」
立ち上がる私を、心配そうに悠がじっと見つめていることに気がついた。
「そんな見つめられたら恥ずかしいんだけど」
「じゃあ…。晴にも手伝ってもらおうかな。ありがとう」
多分、悠は私の身体を気遣おうとしたのだろうけど、言い出したら聞かない私の性格を考慮したのだろう。
私は、私の抱えている事情で、みんなのお荷物にはなりたくない。
二人で園長室に向かった。
「犬塚くーん。私がどれだけ待ったと思ってるのよ」
「すみません。すっかり約束忘れちゃってました」と、悠が素直に謝る。
「犬塚君のことだからそうだと思ったわ。でも、職員室に呼びに行ったら、あなたたちが仲良く制作してるから声かけられなくって。でも、あんまりにも遅いから最後は声かけちゃったわ」
「ごめんなさい」と、私が謝ると「なんで猫本さんが謝るのよ。いいのよこれから犬塚君に頑張ってもらうから」と園長先生が微笑んだ。
「私も手伝います」
「え？力仕事はいいのよ。無理しないで」
手で静止させようとする園長先生の横で「無理じゃありません。私なんかの心配しないでください。テント片付けるくらい全然大丈夫です」と言った時、悠と園長先生が目を合わせたのがわかった。
私には、とある事情があって保育園の職員はそのことを知っている。
だがら、二人とも私に気を遣ってくれているのだろう。
園長先生も私の性格をよく知っている。こうなった私は止められない。
私はとにかく気を遣われるのが嫌なのだ。
気を遣われたら、遣われたぶんだけ、なんだが自分が普通じゃない気がして嫌になる。
結局、園長先生も折れて、私もテントの片付けを手伝うことになった。
「よし！やっと終わったー」
テントを片付け終えたあと悠のやりきったという声に私は安堵を感じた。
わかっていたけど、結構疲れた。
意識がぼーっとして体がフラフラする。
気を抜いた瞬間よろけてしまい転びそうになったところを、悠が咄嗟に体ごと受け止めて支えてくれた。
「あー。やっぱ、また無理してる。大丈夫？」
「ごめん。ちょっと、ふらついただけだから」と、慌てて体勢を戻した。
「晴っていつも頑張りすぎちゃうところがあるから気をつけたほうがいいと思う」
「う、うん。ありがと」
悠はいつも優しい言葉をかけてくれる。
その言葉が嬉しくて、今度は違う理由で頭がぼーっとしてしまう。
「そういえば犬塚君」
園長先生の声がして、私は我に返り、さっと悠の側から離れる。
しまった。こんなところを見られたら、また、いちゃいちゃしてると思われてしまう。
「保育研究会の実践発表なんだけど、とりあえず、来月には叩き台の資料ちょうだいね」と、園長先生が言った。
え？保育研究会の実践発表？来月中に叩き台の資料？
私の頭がついていけてないうちに「わかりました」と悠の声がした。
園長先生が言ったあと「ねぇ、悠。今の話って何？」と、私はすぐに訊いた。
「あぁ。今年の保育研究会に、俺のクラスの実践を発表して出すんだよ」と、悠があっけらかんと応える。
私は焦った。
悠に保育のことから、料理など、彼に必要なことを半年かけてゆっくり教えていこうと思っていたのに、私に計画が一つ音を立てて崩れた。
保育研究会とは、全国の保育士や大学の先生たちが集まって、保育実践をもとに、より良い保育を討論し研究する会で、一年に一回どこかの都道府県で開催される。
そして、その実践発表の資料とは、当然パソコンで提出しなければならない。
まず、何を書くかも考えなければならないのに、話が急すぎる。
そういえば、この前、職員室で悠は何か園長先生に頼み事をされていた。
これは安請け合いというレベルではない。
悠が珍しくパソコンを教えてと言ってきたことにも納得ができた。
頭を抱える私を見て「まぁ、なんとかなるっしょ」と、悠が笑った。
「悠のバカ！悠がやらなきゃならないことなんだよ！大変なんだよ！なんで私に早く言わなかったの？そうすれば、もっと早くから手伝えたのに」
「晴の負担になりたくなかったんだよ。でも、どっちにしろパソコンは教えてもらわなきゃならないし。負担増やしてごめん」
素直に謝る彼を見たら、怒る気にはなれない。
ため息をついたあと、「なんで研究会の話を受けたの？悠は新人だし、そんな無理しなくて良いと思うんだけど」と訊いた。
「早く晴みたいになりたいんだ。ちゃんと子どもたちの気持ちや発達がわかって。寄り添ってあげれる保育がしたいんだ。だから、研究会の話が来た時、勉強になるからやってみたいと思ったんだ」
真っ直ぐな目で応える悠。
安請け合いじゃなかったんだ。
それに晴みたいにと言ってもらえて、単純に嬉しい。
でも、現実は甘くない。
悠は、資料の内容を日々の保育から考えなければならないし、何よりパソコンが使えない。
「もー。私も手伝うから一緒に頑張ろうね」
「晴はやっぱ優しい。子どもにも、大人にも。そんな晴が大好きで憧れなんだ」
「そういう恥ずかしいことをでかい声で言わないでよ。悠はちょっと私が手伝うことに依存しすぎじゃない？いつまでも自立しないと私どっか行っちゃうかもよ」と、私は恥ずかしさを紛らわすために意地悪を言ってみる。
「ははは。手厳しいなー」と、悠が笑う。
やることは盛り沢山だ。でも、二人でならきっとなんとかなる。
そう二人でなら。
でも、いつか悠は一人でやれるようにならなければならない。
その時のために、今は私が悠を支えよう。
そう思った。
しかし、テントの片付けで予想以上に体力を使ってしまい、その日、私は悠にパソコンを教えることができなかった。
「大丈夫だから、教えにいく」と言ったけれど、私の顔色が悪いことに気がついた悠が「今度でいいからちゃんと休んで。晴は無理して頑張るところがあるから気をつけたほうがいい」と、言って譲らなかった。
実際に私も疲労困憊で、この日は悠の言った通りにするしかなかった。
悔しいが時間がある時、少しづつパソコンの使い方を教えていこう。
まだ時間はある。
