空は秋晴れで雲ひとつなく、青い空が果てしなく広がる。


 道路脇の銀杏並木が彩られ、風に揺れて舞い落ちた葉が、歩道に金色の絨毯を作っていた。


 晴と付き合い始めてから、ちょうど一年がたった秋。


 俺たちは一年記念にふたりでペアリングを買うことにした。


 店に行くために歩道を歩いていると、となりで晴がくすくすと思い出し笑いをする。


 「悠はさぁ、人生損してるよ」


 「なんでだよ」


 「だってさ。あんなに良い香りがする金木犀の花が咲いてることにすら気づかないだもん」


 「だから、あれは鼻炎で鼻が詰まってたんだって」


 「いや、それだけじゃないね。悠は周りを見てなさすぎ、普段から気しなすぎ、ずぼらなだけだね」


 晴は空や花や音楽が好きだったりと、そういうものを楽しめる感性を持っている。人間模様にもよく気づき心を深読みする。きっと感受性に長けているのだ。


 生憎、俺はそういうのに疎い。趣味もスケボーや漫画やスマホアプリのゲームくらいで、とにかく頭を使わないものが好きだ。


 晴が言う通りずぼらなのだ。


 でも俺は、彼女のこの花が咲いたような笑顔を守ることができればそれでいい。


 「そんなんだから悠はデート中に、今わたしと良い雰囲気になってるとかわかんないんだよ。もっと空気読んで!あと記念日に花でもプレゼントできるようになったほうがいいよ!ちなみに、わたしのいちばん好きな花はかすみ草ね」


 ばつが悪いので俺が黙っていても、となりで彼女の口は止まらない。


 「ねーっ!悠って自分の都合が悪くなるとすぐ黙り込むよね!なんか喋ってよ!そうやって、わたしがいつも何考えてるかなんて気にもしてないんでしょ!乙女心がわからなさすぎ」


 ん?数分前まで晴は機嫌よく笑っていたのに、今度は俺のだめなところばかりを考えてイライラしてしまっているぞ。


 最近、俺たちはこのようにつまらないことでケンカをしてしまう。倦怠期だろうか。


 この一年で晴は俺に対して、喜怒哀楽をよく出すようになった。


 天使のように優しい一面もあれば、決して人間完璧ではなく、このように彼氏にあたり散らしてしまう一面も晴は持っているのだ。


 付き合って最初の三ヶ月は猫をかぶっていたけど、だいぶ素直になったものだ。しかし自分の病気のことだけは、彼氏の俺にも素直に打ち明けようとしない。


 心の優しい彼女のことだ。俺を巻き込まないようにとでも考えているのだろう。本当はつらい気持ちを抱え込んでいるだろうに。


 俺は晴からもっと信頼されて、病気のことを打ち明けても大丈夫。そう思われる男になりたい。


 しかし、今は迂闊なことを言うと火に油。


 俺は言葉を選んで、「良かったら晴が乙女心ってやつを教えてくんない?」と言った。


 この言葉が失敗だった。


 「は?わたしが教えるんじゃなくて察してっ!そうやって何も自分で考えない悠のそういうところ!あー!むかつくー!今のは失言だよ」


 道中に雰囲気が悪くなったが、ショッピングモール内の店に着くと、晴は楽しそうにどのペアリングにしようかガラス越しに考え出した。


 彼女の行動は、きらわれていると思っていたのに、ふいに膝の上に乗ってくる猫のようだ。


 そのとき「あ、どの指にはめるか決めてなかったね」と、晴がこっちを向く。


 「左手の薬指だろ」


 俺は即答した。


 「それってどういう意味か知ってるの?」


 そう言って彼女がじろりと俺に視線を送る。


 「うん、知ってる。そのつもりで言ったんだけど」と、少し恥ずかしかったけど目を離さずに答えた。


 すると「ふふふ。ずぼらで最近は失言だらけの悠を今日は許そう」と、晴が満足そうな顔をする。


 ペアリングを買った帰り道。


 俺たちは、さっそく左手の薬指にペアリングをつけてみた。


 「さっきの話だけどさ。悠が無理だって思ったらべつに取り消してもいいからね」


 左手を空に翳して、彼女が自分の薬指につけたペアリングを見つめて呟く。


 「え、そんなつもりないけど」


 「だって。わたしって気分屋でわがままじゃん。それに結構重いとこあるし。あと…、病気のこともあるし…」と、晴は自虐した。


 「俺は晴が心から優しい人だって知ってる。気分屋でわがままなとこも猫みたいで可愛いって思ってるよ。重いのもそれだけ俺を好きなんだって嬉しいよ。それに…」


 病気だって、そう言いかけて、迂闊なことを言って彼女を傷つけてしまうかもしれないと思い俺は口を閉じた。


 「悠って、なんでそんなにわたしのこと好きなのー」と、晴が首を傾げる。


 「うーん。幸せって何かよくわからなくなってたときに、俺は晴を見て生き方が変わったんだよ。俺は今幸せって何かわかるよ。俺の幸せは晴と一緒にいることなんだよ」


 「えー、真面目すぎん!?ちょっとそれは大袈裟だわ。わたしが可愛いからとか言ってよ」と、晴が笑い飛ばす。


 「俺にはそれだけ大切なことだったんだよ」


 「そんな真面目に言われるとちょっと困る。でも悠の気持ちは伝わった。それでもやっぱり無理はしなくていいからね」


 そう言って彼女は反対を向いた。


 「無理じゃない。俺は晴を幸せにしたい。そんで晴と幸せになりたい。だからこの先、何があってもふたりで一緒に頑張ろう。ふたりで幸せになろう」


 真剣に俺は、背中を向ける彼女にそう言った。


 「その言葉、わたしとこの薬指のペアリングに誓える?」


 晴が振り向いて左手をすっと差し出した。


 透き通るような白い手と、薬指にはめられたペアリング。


 俺を硝子玉のような曇りなき瞳で見つめる彼女は、世界でいちばん美しく可愛い。


 「誓うよ」と一言。


 俺は晴の手をとった。


 「言ったねー。あとで取り消し無効だからね」


 「晴もだかんな」


 秋晴れがどこまでもつづく青空の下。風に舞う銀杏の葉が作った金色の絨毯の上を、俺たちはふたりで手を繋ぎまた歩き出した。