検査入院が終わった。
生検の結果が出たら、来週から治療のため、また入院が始まる。
今は一時帰宅中で、わたしは桜舞公園に来ていた。
家に篭っていても気が滅入ってしまう。気分転換に散歩をすることにしたのだ。
風は冷たいが昼間なので日差しがあたたかい。
ふと公園の桜の木を見ると、葉は枯れ落ちてしまっていてどこか寂しい。
けれど、春にはしっかりと花開くための蕾がちゃんと付いている。
この寒い冬を超えて桜は春に咲く準備をしているのだ。
春になったらまた桜を見たい。悠と一緒に。だから、頑張ろう。
去年、K市にふたりで行ったとき。
桜井の泉で春になったらここで桜見をしようと、悠とした約束を思い出した。
悠はあの約束をまだ覚えているかな。
あのときのわたしは、悠と一緒にもう桜を見ることを諦めてしまっていた。でも今はちがう。
「晴、みーっけ!」
声がしたほうを振り向くと、「ほい」とあたたかい緑茶の缶を悠から渡された。
わたしは緑茶を両手で包んで、冷えた手をあたためる。
そのあと、缶の蓋を開けて一口飲むと、体の奥がじわっとあたたまるのを感じた。
「電話出ないし、家に行ってもいないし、探したよ。やっぱ桜舞公園だったか」
そう言いながら悠も自分の手に持っている、緑茶の缶の蓋を開けて一口飲んだ。
「あ、ごめんね」
わたしは家にスマホを忘れたことに気づいて謝る。
「大丈夫!晴がどこにいてもすぐ俺が見つけるからさ」
悠が指で輪っかを作ってわたしを覗き込む。
「悠ぅ、それはちょっとストーカーみたい」
わたしがそう言って苦笑すると、「えー、彼氏と彼女なのにー」と悠が口を尖らす。
「まぁ、悠だから許してあげる。でも他の女の子をそんなふうに見てたら許さないよ」
「あれ?嫉妬?晴っていつもそんなこと言わないのに珍しいね」
「わたしは聖人君子じゃないからね。もう悠の前くらいは我慢せずになんでも言うことにしたんだ」
「ふーん。でも、まあ。俺が他の女の子に目がいく心配はないかなー」
「だろうね。可愛い理依奈ちゃんのご飯の誘いも断っちゃうもんねー」
「え、なんで知ってんだよ」
「明里から聞いたの。わたしは悠のことはなんでも知ってるよ。あと、またG市に行ったでしょ」
「なんで、それまで知ってるんだよ。言ったのは昭彦だな、晴のほうが俺のストーカーじゃん」
「ははは、互い様だね。ストーカーってのは言い方が悪いからファンってことにしとこう」
わたしがそう言ってふたりで笑った。
「あ、これ。晴に渡そうと思って」と、悠が鞄からしらさぎのお菓子と無事カエルのお守りを出した。
ふたりでG市に行ったとき、お互い夜から口を聞かないままで、当然、翌朝も土産屋など寄ってく雰囲気ではなく、わたしは欲しかったのに買いそびれてしまっていたのだ。
悠から受け取ると、しらさぎのお菓子を鞄の中に入れてから、さっそくカエルのお守りを鞄の端につけた。
そして「やっぱ、悠はバカだった」と、わたしは呟く。
「はぁ?失礼だな」と、不服そうな顔をする悠。
「わたしのだいすきなおバカさんだよ」
「だいすきなのは嬉しいけどバカじゃねえし」
「バカだよ。気づいてないの?悠は彼女バカだよ」
「あー、たしかに納得ー。それはそうかも」と、悠が吹き出す。
彼の笑顔を見て、わたしは覚悟を決めた。
「わたし、悠に言わなきゃならないことがあるの。今まで黙っていたんだけど。本当に黙っててごめんって思ってることがあるの」
わたしは言葉を詰まらせながらも、せいいっぱい声を絞り出す。
「え、何?浮気?それとも好きなやつでもいんの?」と、悠が眉間にしわを寄せる。
「もう。真面目な話しようとしてんだからふざけないで!」
「まぁ、俺のことがだいすきで仕方ない晴に、その心配はしてないけどね」
「自信過剰だよ。でも…。わたしは、悠以外は考えられないから、やっぱり自信過剰じゃなくて自信にしていいよ」
わたしは悠とこのたわいもないやりとりをしているだけで、心から安心するし、とても楽しい。
だからこそ、わたしは勇気を出して彼に言わなければならない。
「あのさ、春頃からMSコンチンって薬を飲んでてさ」
この薬のことを考えるだけでも胸が苦しくなる。
「あー、あの咳止めって前に言ってたやつね」
言わなくては。悠にはわたしの病状をちゃんと言わなくては。
だって一緒に生きていくと決めたのだ。悠がショックを受けることは想像がつく。
それでも言わなくてはだめだ。わたしは覚悟を決めて口を開く。
「あの薬って実はモルヒネなんだ」
次の瞬間、思いもよらない悠の言葉に、わたしは驚いた。
「うん。知ってる」
え、と驚いた顔をしているわたしに気づいて悠は「MSコンチンなんて聞き慣れない薬を彼女が飲んでりゃ、気になってネットで調べるだろ」と、冷静に言った。
「え、だって悠ってそういうのあんま調べれないし。知らないかと思ってた」
「晴のためなら苦手でも調べるさ。晴のことならなんでも知ってるから」
なんだ。知っていたのか。それはそれで病状について打ち明けないわたしと、悠は今までどんな気持ちで一緒にいたのだろう。
きっと、たくさん心配して気を遣わせてしまっていたのだろう。悠に申し訳ないことをした。
「MSコンチンがどういう病気のときに処方されるとか、その病気がどうやったら少しでも良くなるとか、今の俺にできることはないかって。ずっと調べてるよ今も」
「悠…。ありがとう」
わたしはさっきまで張り詰めていた緊張の糸が解け、胸の奥があたたかくなるのを感じた。
「調べたら人参ジュースは体が抗酸化するから良くて。緑茶はカテキンが効くと言われてんだって。あくまで食事療法は即効性があって絶対効くわけじゃないけど、俺が晴にしてあげれる数少ないことだと思ったんだ。でも、できることがあるなら俺はそれを全力でやりたい。だから最近、俺も飲みながら晴にすすめてたんだ。気づかなかったんだ」
驚いた。わたしはぜんぜん気づかなかった。たしかに悠は健康に気を使うようなタイプじゃない。
だから初めの頃、人参ジュースを飲んでるときは違和感があった。緑茶も同じだ。
わたしはいつの間にか、人参ジュースや緑茶も日常的に飲むようになっていた。
わたしが諦めてしまっていたとき、悠も大きなショックを受けていただろうに、諦めずに陰でたくさん考えて、わたしのために行動してくれていたのか。
「悠、ありがとう。本当にありがとう」
「そりゃ世界一大切な彼女なんだからあたり前だろ」
わたしにとっては、太陽よりも明るくあたたかい笑顔で悠が微笑む。
その笑顔に背中を押され「生検の結果が出たら、すぐに抗がん剤や放射線治療をするんだって」と、わたしは内に秘めていた不安を吐露する。
「そっか、教えてくれてありがとう」
そう言ってくれた悠が、今まで表に出せなかった自分のすべてを受け止めてくれる気がして、誰にも吐き出せずにいた感情をわたしは曝け出した。
「病気が進行していくことが怖い。つらい治療を始めるのだって怖い。こんな怖くてつらい思いをするのなら、治療なんてしなくてこのまま終わってもいいと思った」
悠は静かにわたしを見つめて、抱き寄せ、何も言わずにはぐをした。
言葉はなかったけれど、悠の言葉にならないわたしを大切に想うあたたかい気持ちが伝わってくる。
「何があってもいつでも俺が晴の側にいる」
悠はそう一言、わたしの耳元で呟いた。