楽しい時間というのはあっという間に過ぎていく。


 気づくともう十二月。


 街はクリスマスムードで賑わっている。


 先月には付き合って二年記念のお祝いをした。


 わたしは悠にコートを、悠はわたしにマフラーをプレゼントした。


 今日の空は灰色の大きな雲に覆われ、時折、雪がちらつく。


 とうとう冬になってしまった。


 「ほい。あったかい緑茶」


 名古屋駅のホームで岐阜県G市までの特急電車を待つ、わたしに悠があたたかいペットボトルのお茶を買ってきてくれた。


 「ありがとう」と言って、わたしはそのお茶を受けとり、しばらくあたたかいペットボトルを両手で包み暖をとる。


 手があたたまってきたので、んー、と力を入れてペットボトルの蓋を開けようとしたが、思っていたより強く締められていてなかなか開かない。


 さっと悠の手が伸びてきて、わたしの持っていたペットボトルを取っていく。


 彼が両手で握ってぐっと力を入れると、すぐにカチッという音がして蓋が開いた。


 「ほい、晴」と、またペットボトルを渡された。


 「ありがとう。そういえば最近よく緑茶飲むようになったよね。人参ジュースはどうしたの?」


 寒くなってきてから、わたしは悠から人参ジュースではなく緑茶をもらうことが多くなったので質問した。


 「あー。寒い時期はあたたかい緑茶かなと思ってさ」と、自分の緑茶を一口飲んでから答える悠。


 「ふーん。緑茶って今まであんま飲まなかったけど、悠がよく飲むからわたしも飲むようになったんだよね」


 わたしがそう言うと、「そっか。良かった」と悠はにっこり微笑む。


 どうやら悠は、今度は人参ジュースから緑茶にはまっているようだ。


 「そういえば、このコート。暖かいし着心地とっても良いよ。ありがとね、晴」


 「良かった。プレゼントした甲斐があった」と、わたしは悠の着ているチャコールグレーのロングコートを見た。


 「俺スケボーしやすいから、マウンテンパーカーしか持ってなかったからなぁ。コートって似合うか不安だった」


 「大丈夫。よく似合ってるよ」


 悠はわたしがプレゼントしたチャコールグレーのコート、白のトレーナー、黒スキニーとスニーカーで合わせてきている。


 「晴も俺のプレゼントしたマフラー使ってくれてありがとう。可愛いよ。ベージュのコートともよく合ってる」


 わたしは悠がプレゼントしてくれた白と淡い栗色のマフラーに、ベージュのコート、白のニットワンピースにタイツを履きスニーカーで合わせてきた。


 待っていた特急電車が時間通りに到着し、わたしたちは乗り込んだ。


 一時間ほどで電車の窓の景色は、名古屋の街並みから飛騨の山奥へと変わった。


 雪を被って白く染まった山に挟まれた線路がひたすらにつづく。


 崖の下を川が流れている。


 街中に住んでいると、普段は見ることができない絶景だ。


 ふいに、わたしはごほごほと乾いた咳が出た。


 「大丈夫?」と、悠が少し心配そうな目をしている。


 「うん。空気が冷たいから乾燥しちゃったのかな」と、適当に答えた。


 わたしは、本当はこの咳が空気が乾燥したからではないことを知っている。


 わたしの心臓の裏にある腫瘍が気管支に触れていて、それが刺激になって咳が出ているのだ。


 実はここのところ咳が止まらなかった。


 春頃から違和感があり乾いた咳が出ている。


 今は大学病院で処方されたMSコンチンという、薬を毎朝飲んでいる。


 それでも最近、また咳が止まらなくなってきたので、医者の指示でその薬を夜も飲むことになった。


 MSコンチンというこの薬。


 よく知られている名前だとモルヒネだ。


 以前この薬を飲んでいるところを、悠に見られたが咳止めだと言って誤魔化した。


 わたしが病院をボイコットして以降は、悠が怖がりなわたしのために診察についてきてくれるようになったので、医者にもこの薬のことは悠には黙っておいてほしいと伝えてある。


 診察時もわたしの希望で、悠は診察室の扉の前で待っている。


 だから悠はわたしの病気の進行を詳しくは知らない。


 悠から「医者の話をひとりで聞くのって勇気いると思う。良かったら俺も診察室の中で一緒に話を聞いてもいいかな?」と、提案されたことがある。


 しかし、わたしは「プライベートなことだから、ごめんね」と、その提案を断った。


 妙に勘の良い悠のことだ。何か気づいているかもしれないが、わたしは自分の病気のことを悠には背負わせられないと思っている。


 だから、悠の提案を断ったのだ。


 初めてMSコンチンを処方されたときはショックだった。


 だってモルヒネと言ったら、医療に素人のわたしでも知っている。


 癌の痛みの緩和として使われる薬だ。


 だから怖くてたまらなくなり、わたしは診察をボイコットしたのだ。


 それから半年、この薬を飲むことにやっと抵抗が薄れていたのに、夜にも飲まなければならなくなって、じわじわと真っ黒な闇がわたしに近づいていると足が竦んだ。


 本当はこの先のことなど、何も考えたくない。


 でも、わたしはやり遂げなくてはならないことがある。


 わたしは、ふたつの決意をしたのだ。


 ひとつは、悠が困らないように保育士として、人として、わたしが伝えられることを全部伝えるということ。


 これまで、わたしにできることは全部やった。本当はまだまだ伝えたいことがある。


 でも、これ以上は仕方がない。


 ふたつめは、悠とお別れをすることだ。


 わたしたちは、付き合っていてもこの先に幸せはない。


 それはわたしのせいであって、悠を巻き込んでこれ以上、彼に背負わせることはできない。


 わたしはこの旅行で悠にそのことを伝えるつもりだ。


 しかし、どのタイミングで伝えればいいかわからない。


 悠と過ごす時間が幸せ過ぎて、わたしの決意が揺らいでしまう。